インドに呼ばれて 2
初めての異国の地 ニューデリー
インドの首都、デリーの国際空港に着いたのは夜中の1時すぎだった。
とりあえず空港の中で朝を待とうと思っていたけど、外に出て煙草を吸っていた時に話しかけてきたおじさんが車で街まで乗せて行ってくれるというので街に出ることにした。(今考えたら少し恐ろしい)
空港内ですでに世界観がすぎる。
知らないおっさんとの夜中のドライブが始まった。
今まで見たことのない外国の風景。匂い。
靄のかかった薄暗い街をインディアンポップをかけながらすごいスピードでぶっ飛ばす。こんなアトラクションが富士急ハイランドにあれば流行りそう。
どうやらこの国には交通ルールみたいなものはなさそうだった。
あまりにも乱暴な運転で途中飛び出してきた野良犬を轢きかけた。
車を下ろされると目の前が旅行代理店で、どうやらここで宿を取れということらしかった。
英語は全然わからないし、疲れと眠気でぼーっとしているうちにどんどん話が進んで、ホテルが予約され送り届けられた。
案の定おっさんには高額なチップを払わせられた。
初日だし、夜中だからまあ寝床が確保できたんだからいいか。
泥のように眠り、気がつくと朝。クラクションと人の大きな声で起きた。
ジェットコースターのように目まぐるしかった昨日のできごとが夢だったかのようだった。
カーテンを開けて窓の外を見ると、道路には車や牛が歩いていて、野良犬が吠えている。
やっぱりおれはインドにいるみたいだ。
それからデリーには3日くらいいた。
デリーに着いた翌朝に、また同じ旅行代理店に連れていかれ、ほぼ強引に、北インド、ラジャスターンを2週間くらいかけて周るツアーを組まされた。
毎日朝っぱらから車でクトゥブ・ミナールやらラール・キラー、ガンジー博物館、フマユーン廟、ロータステンプルと、有名な観光名所を次から次へと連れ回されて、毎日同じカレー屋でご飯を食べさせられた。
旅というよりも圧倒的に観光という言葉がしっくりくる毎日。はやく自由な旅がしたかった。
デリーはとにかく雑多な町だった。町中には人が多い。
それに牛や犬も猿もそこらじゅういるし、道はいつも渋滞。
道端にはゴミ、牛のうんこ。
毎秒のように誰かのクラクション、怒鳴り声、夜中は犬の遠吠えと、人が多いのは一緒だけどおれの地元東京とはまるっきり違っていた。
まず人の持つエネルギーが圧倒的に日本人とは違う。テンションが高いとかじゃなくて、インド人はとにかく "生きている感じ" がすごいのだ。夏は50度にもなる砂埃とゴミだらけの街で、訳のわからない道端のスパイシーもの食べて暮らしている。
平成時代の東京という温室で育ったおれには毎日がヘヴィだったけど、紛れもなくこれが彼らの日常なんだ。
そんなパワフルな町に、彼らには本当に気力を絞り取られた。
ちょっと道を歩くものなら、しつこいおっさんになにかしらの勧誘をされ、店に入ればメニューを持ってくるより先に、頼んでもないカレーが出される。
何を買うにもまず値段をチェック、交渉。
おまけに町中どこでも外国人のおれはたくさんの視線を浴びる。
目が合おうが向こうから目を逸らすことはなく、とにかくみんなまんまるい目でずーっとおれを不思議そうにみてくるんだ。オブジェでも眺めるみたいに。
カフェでコーヒーを飲んでいたら話かけてきた親子。赤ちゃんのミルク代が欲しいと言うので、「じゃあ代わりに写真撮らせて。スマイル、スマイル」と言ったら笑ってくれた。
大きな交差点の渋滞で車の窓をノックしてきた赤ちゃんを抱えた6歳か7歳くらいの女の子が、真っ黒に汚れた痛々しいくらい細い腕を伸ばして「ハングリー、マネー」と訴えてくる。
その手に20ルピー札を握らせると、黙って綺麗な花をくれたことをよく覚えてる。
信号や渋滞するような場所の道端にはたくさん子供たちが待機していて、車が止まると同時に一斉に道路に走り出して車の窓ガラスをノックして周る。
日用品なんかを売ったり芸をしたり、赤ちゃんと空の哺乳瓶を抱いて訴えたり。
それぞれだけど、とにかく精一杯そのガリッガリの足でできるだけ多くの車を回ってお金を貰う。
とにかく懸命に今日を生きている子供たちに心を打たれて、ついチップをあげてしまうと、それを見た他の子たちが一気に集まってきてしまって軽いパニックになる。
おっさんとのドライビングトリップ
ほぼほぼ一人で行動することができないまま、デリーを出発して、運転手のタラちゃん(48歳のおっさん)との車での旅が始まった。
やっぱり旅ってこういうもんじゃない気がするけど。
まずはデリーからタージマハルの町アーグラーで1泊してから、ラジャスターン州の州都ジャイプルまで行った。
タラちゃんは大声で歌を歌い、飽きたらどこかに電話したり、当たり前のようにおれの煙草をがんがん吸うガサツなおっさんだ。
英語もわからないのも申し訳ないのと、タラちゃんの強引なアテンドで最初の方は特にストレスフルな旅だった。
インドといえば、という名所の一つ、タージマハル。
タラちゃんに何度も断ったのに勝手に付けられたガイドは日本語を喋る関根勤みたいな顔のおっさんだった。
タージマハルは写真を撮ってみるとポストカードと同じようなつまらない感じだけど、実物はとても箔があって美しかった。
それからひたすらにタラちゃんにひたすらコミッション目当てで、宝石屋だのお茶屋だの絨毯屋だの色んな店を連れ回されて、「帰りたい」と言っても「もう1軒だけ」とおれの意見を聞き入れてくれず、店に入るたびに関根勤と店員と一緒になっておれに何か買わせようと必死になっている。
こんなに断り続けた一日は間違いなく生まれて初めてだろう。
挙げ句の果てにいつもホテルで別れる時に、自分からチップを要求、小額だと「少なすぎる。チップは500ルピー以上だ」とか抜かしやがるのでおれは外に出るのも、タラちゃんに会うのも億劫になっていた。
ただひとつ良いことは、気がつくとすっかり「No!」とハッキリ断るスキルが身についていたことだ。
ここでも城塞に登らされたり猿と触れ合わせられたり蛇遣いと一緒に笛を吹かされたり、相変わらず自由はなく忙しかったけど、なんとなくおれもわがままを言えるくらいにはインドに慣れてきた。
「それはやりたくない」とか「ビール飲ませろ」とかはっきり言うと、意外にもタラちゃんは予定を変更して、ビールを買ってきてくれたりした。(ただタラちゃんの床屋とかランチとかこっちもけっこう付き合ってる)
ガサツな奴にはこっちもガサツにいけば少なくともこの国では円滑に物事が進むみたい。
いつものように勝手に連れて行かれ、何千円も払って狭い空き地で象に乗らされそうになった時、「乗るか、こんなの。絶対やらない。」とおれがひたすらゴネるとタラちゃんは少ししょんぼりしながらやっと諦めてくれた。
「お前がやりたくないことをしても、おれは嬉しくない。おれはお前にハッピーにするツアーガイドだ。You Happy Me Happyだ。」
You Happy Me Happy はタラちゃんの口癖だった。
そんなに悪いおっさんではなさそうだ。
こいつとも楽しくやれるかもしれない、そう思ったその夜、タラちゃんは勝手に友達と合流して、そいつも一緒食堂に夜ご飯を食べに連れていかれた。
もちろんおれはほとんど放置で、2人はヒンディー語かなにかでベラッベラ楽しそうにやっている。
やっぱりまだまだこいつとは仲良くなれそうもなかった。
プシュカルレイクへ
ジャイプルを後にしてプシュカルへ。
プシュカルは山に囲まれた小さな町。
町の中心にはプシュカルレイクという湖があって、その周りには皮製品やイタリアンレストランやカフェなんかが並んでる洒落た町だった。
おれのギターの師匠の持ち歌に、"プシュカルレイク"という曲があっておれはその曲が好きだった。
旅行代理店のテーブルに広げられた地図にプシュカルという文字を見つけて、おれからここはツアーに組み込んでと頼んだのがプシュカルだった。
小さな町の中心にあるプシュカルレイクは神聖な湖。
ヒンドゥー教の人たちが沐浴やお祈りをしている。
お祈りの声や鳥の鳴き声を聞きながら、湖のガート(湖縁)に座って風に吹かれていると不思議なくらいすっとした気持ちになったけど、チップ目当てにお祈りを教えてやるだの花買えだのうるさいおっさんが多いのは鬱陶しかった。
町にはパスタやピッツァの店が多く、湖を見ながらゆっくりコーヒーを飲めるようなカフェも多かった。
まるでイタリアの田舎町にでもきたような洒落た町並みは今までの町とは違った。
とにかくカレー以外のものが食べられて、今までの町よりも落ちついているこの町はとても居心地がよかった。
プシュカルでは3日くらい、タラちゃんとのツアーから逃れてのんびりと過ごした。
一人旅がはじまる
プシュカルから列車に乗るためにジャイプルに戻った。
ここからはついに本当に一人旅。
タラちゃんにジャイプルの駅まで送ってもらった。
タラちゃんとの旅は今振り返るとほんの1週間くらいのものだけど、寝てる時以外はとにかくずっと一緒にいたので、車の中でもなんとなく2人でしんみりしていたのを覚えてる。
ホームに着いた。
インドの駅は入り口からホームまでたくさんの人が床に布を敷いて寝ている。その数はとてつもなく、災害の時の避難所かなにかみたいだった。
それは人間だけではなく、牛まで一緒に寝ている。
定刻を過ぎていつまで待っても電車が来る気配がない。
1時間も待っていると最初は一緒に待ってくれていたタラちゃんも痺れを切らして「まだ列車は来なそうだし、車に戻ってしばらく寝てくる。」といって行ってしまった。
きっとタラちゃんはこのまま帰ってこないんだろう。
また数時間、ただひたすら真夜中のホームで列車を待つ。
そもそも電車は来るのかさえ疑わしくなってくるけど、周りの人たちにナーバスになっている人なんていなかった。
みんなこの真夜中の寒いホームで自室に居るみたいにリラックスして、ただ電車を待っている。
ホームの電光掲示板も見方がいまいちわからないし、適当なのでホームが急に変更されたりするし、ほぼ勘で列車を待っている。
違うホームに列車がくると「もしかしたらあの列車なんじゃないか」と見に行ったりする。
この列車じゃないにしてもここでいつ来るか分からない列車を待つより、もうこの列車に乗ってどこか知らない所にでも行ってみようか、そんな考えが浮かぶくらいには待つことに疲れていた。
思い留まって、もと居たホームに戻ると、なんとなくみんなが戻ってくるおれを指さしたり手を振ったりしている。
すると、ずっと近くに座って同じ電車を待ってたおばあちゃんが歩いてきて、
「どこ行ってたの!彼があんた探してたよ!」言いながら指差す。
すると向こうにタラちゃん。
おれを見つけると駆け寄ってきて「どこに行ってたんだ!心配したぞ!」と怒鳴る。
さっきまでおれに見向きもしていなかったみたいだった周りの人たちも、一安心という雰囲気になってる。
タラちゃんも含めて、周りの人たちもこんなに親身なやつだとは思ってなかった。
わざとらしく馴れ合うわけじゃなく、ただ当然のようにとても自然に人を思いやるインドの人々の距離感がとても温かかった。
それと同時にこれまでとにかく肩に力を入れて、いつの間にか人を信用しないように距離を置いて身を守っていたことに気がついた。
ここからは一人旅。
インドの人たちみたいにもっと自然に旅したらもっと面白いかもしれない。
インドの旅のコツをインドの人たちに教わった気がした。
結局、定刻から5時間以上遅れて列車はやってきた。もう夜も白んできそうな時間だ。
タラちゃんはおれのバッグとチケットを持って真っ先に列車に乗り込んで、座席を見つけて案内してくれた。
「バッグのファスナーの鍵して、寝る時は枕にして寝ろよ!」
「怪しいやつに、インドは初めてかと聞かれたら初めてって言うんじゃないぞ!カモられるから」
「降りる駅はわかってるか?乗り過ごすなよ!」
とタラちゃんは親みたいな事を言う。
長い汽笛が鳴った。
タラちゃんとハグをして別れ際、
「5時間も電車が遅れたのにちゃんと一緒に待っていたんだから1000ルピーのチップをくれ。あとその日本製のタバコも1箱くれ。」 というタラちゃんの最後の言葉。
そうだった、タラちゃんは最高峰にガサツ野郎なんだった。
チップとタバコを受け取るとタラちゃんは「アリガトウ」と言って嬉しそうに列車を降りていった。
「アリガトウ」はおれが彼に教えた唯一の日本語だ。
いよいよ一人旅が始まるという自由な気分と一緒に少し寂しくなった。
インドに呼ばれて 3 ついに始まった本当の一人旅 につづく↓
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