見出し画像

心倒さず通り抜ける


今年の目標

この一年を、さいっっっっつこうの一年にするために、目標を立ててみました‼️


ズバリ!


〜イチイチ心を倒さない〜


昨年は、おたすけ先からの猛烈な試練に心を打ち砕かれ、ときには泣き、叫び、路上でわめき散らし、絶望の淵を漂っていました。笑

しかし、いちいち心を倒していては、神様の受け取りもありません。

なぜ、心を倒さないことが大事なのか?


おふでさきに

よき事をゆうてもあしきをもふても
そのまゝすくにかやす事なり

『おふでさき』五号54

「よき事をゆうても」とは、

口で「嬉しいなぁ」「ありがたいなぁ」といっても

「あしきをもふても」
心の中で、「ウザい」「しんどい」と思っても、

その言った通り、思った通りに、神様のかえしがあるのです。


良い種が芽生えてくるためにも、良い言葉や心遣いが大事です。

「おやさま」は

「一日の日は千日の理にもなる」

『先人の遺した教話(四)教祖より聞きし話・高井猶吉』14頁

と仰られ、その反対に、

「三年つとめても、神の受け取る日、一日もなかった」

『先人の遺した教話(四)教祖より聞きし話・高井猶吉』14頁

とも仰られます。

要は、みな心次第です。


日常の全ての心遣いを受け取られ、返して下さいます。

だからこそ、どんな中でも喜んで通る!

イチイチ心を倒さない!

喜び勇んだ心を変わらずに通り抜く!

そんな心を定めました。 


神のためし

すると、さっそく試練が訪れます💦


それは、雨がザバザバと降る、ある冬の朝。

おたすけ先のおばちゃんから、用事を頼まれました。

要件は

「水とタバコを買ってきてくれ」

「それとマグロの刺身も買ってきておくれ」


そのおばちゃん。

最近になって非常に腰が悪く、家から出られません。

なので、最近は私に何でも頼んできます。

しかし、心が浅はかな私。

さっそく不足不満が湧いてきます。笑


(水くらい水道水飲んどけやぁ)

(あと、タバコ我慢してぇなぁ)

どうしてそう思うかというと、、、

そのおばちゃん宅、わたしの家から10キロほど離れています。

自転車で約50分。

しかもその日は、朝からザバザバと大雨。🌧️

外は極寒。🥶

気温は3.8度。❄️

車はありません。

カッパを着て自転車を漕いで行くしかありません。🚴


雨なので手袋もつけられません。

行くしかないかぁと思い、コキコキと自転車を漕ぐも、雨風で手が冷たすぎて、今にも凍結しそうです。

感覚がほとんどありません。


(あのババァ、こんな日にお使いを頼みやがって💢)


と思いそうな心を

ダメダメ、イチイチ心倒さない😃


目標を立てたばかりです。

さっそく心を倒すような事をしては、申し訳がありません。


冷気漂う雨風がビュンビュン吹く中を、わたしは最高の笑顔で自転車を漕ぎます。


あ〜ありがたい! あ〜さいこう!

このあと、ぜぇっっっつたい、

イイことあるあるあるある(*´∀`)♪


こんな感じで、心を陽気に奮い立てます。笑


そして、スーパーでマグロのお刺身と水と、

コンビニで、タバコを買ってお宅へ向かいました。


家に着くなり

「遅くなりすみません。買ってきました〜」

と、品物を袋から出します。

するとおばちゃん、マグロの刺身を見て

「あんた何やそれ!もっと小さいのなかったんかいな!」

ブロック🧱のマグロを買ってきたものですから、それに怒られました。


「まぁいいわ、あんたそれ切ってくれ」

私がマグロをスライスして、おばちゃんに出しました。

するとまたまた怒られます。


「あんたこれ、凍っとるやないか!」

そうです。

半解凍状態でした💦

「こんなの固くて食べられるかぁ!」

そのおばさん、あまり歯がありません。笑

「もっとババァの気持ちになって考えとくれぇ!」

こちらも悪いですが、レンチンで解凍したらすぐ食べられます。

寒い中1時間かけて自転車を漕ぎ買い物をしてきたのに、案の定、怒られる始末。笑

まぁ、こんなことは序の口、優しい方です。

ちょっとムカつきましたが、イケナイイケナイ。


今年の目標は、心を倒さない。

笑顔で笑顔で😀



そのおばちゃん、

マグロあんたも食べな〜と言うので、いただきましたが、その場の話もイマイチ盛り上がりません。


私としては、

なんで文句ばかりのこのババァのおたすけをしないといけないんやろうと、

もうこのおばさんと今日は話したくない、

そんな心になります。

さっさと洗い物をして今日は帰ろうと思いました。

しかし、洗い物をしながらふと思いました。

せっかく来たのだから、なにか神様の話をせんといけんな。


そこで、人間の「元始まりの話」をしようと思い立ちます。


洗い物が終わり

「今から10分ほど神の話を聞いてください。」

するとおばちゃん。

「10分ならイイよ」とのこと。

さっそく、「元始まりのお話」を始めました。


この世の元始まりは、どろうみでありました〜

と話し始めると、ほらキタ!

文句の嵐🌀笑

話している最中に、、、

何やそれ!
あんたの話はつまらん!
天理教の話なんか聞きたくない!
あんたはババァの嫌がらせに来たんか!
そんな話するならもう帰れ!

おばちゃん、テレビをつけだしたり、電話をしたりします。

私も負けずに、「元の理」の話を取り次ぎます。

せっかくたすかる話をしているのに、あのおばさん。

ぜんっっっつぜん、話を聞いてくれませんでした。笑


それでも、心倒さず、笑顔で笑顔で☺️

決め言葉は、

「このあと絶対、いいことあるある(*´∀`)♪」


それでは、どうして心変わらず通り抜くことが大事なのでしょうか?


みかぐらうたより

みかぐらうた、二下り目

九ッ こゝろをさだめゐやうなら
十デ   ところのをさまりや

『みかぐらうた』二下り目

九ッ こゝろをさだめゐやうならとは、

心を定めた状態が変わらないでいること。

すると、

「十デ ところのをさまりや」

それぞれの土地所は、争いもなく、貧者や病人もいない、治ったところとなる。


さらに、先人の教話から詳しく見ていきます。

梅谷四郎兵衞の教話より

梅谷先生は、「おやさま」の話を側でよく聞かれた先人の一人です。

タイトルは、「天然の道、自然の道」

この話が、ものすごく良い話です。


このお道の台は天然の理という、

天の理の迫りくる事をたのしむという心を定めて通るよう


これより先、日々月々年々に通る道には、どんな日もある、どんな月もある、どんな年もある、

心変わらず通りぬけるよう、

谷川へ大金の壱枚橋をかけてやろうという、

それから又高い山へ登らにゃならん、高山の背へ登りつめたら、万石積の蔵の戸前へ手を掛けさそうという道。

この道は天然の道、自然の道である、
紙は薄いが千枚二千枚と重ね合すれば、矢玉も槍も通らぬもの。

『先人の残した教話 静かなる炎の人・梅谷四郎兵衞』5頁参照

※万石積・・・米一万石を入れてある蔵



天の理が迫りてくるとは、神様からの試練です。

どんなことが起きても、

楽しむという心を定めて通るよう。

心変わらず通り抜けるよう、

との仰せ。

すると、

谷川へ大金の壱枚橋をかけてやろう。

それから高山の背へ登りつめたら、万石積の蔵の戸前へ手を掛けさそうという道。

何があっても、心倒さず、楽しんで(*´∀`)♪

そしたら、ぜったいイイことあるある(*´∀`)♪


最後に陽気づくめに関するおふでさきで終わります。

これからハ心しいかりいれかへて
よふきづくめの心なるよふ


月日にわにんけんはじめかけたのわ
よふきゆさんがみたいゆへから


せかいにハこのしんぢつをしらんから
みなどこまでもいつむはかりで

月日よりよふきづくめとゆうのをな
これとめたならさねんゑろなる


このはなしどふぞしいかりきゝハけて
はやくしやんをしてくれるよふ

『おふでさき』十四号24〜28


次は、困難を笑顔で通ることで、ムーブメント(社会現象)が起きる話をします!


いいなと思ったら応援しよう!