私たちは猫でした(極論)
展覧会へ行くと、必ずと言っていいほど映像作品の周りには人だかりが出来ている。どうして他よりそこだけ混むのか。みんな動くものがひたすらに気になる猫にでもなってしまったのか。
同じような現象は他にも存在する。
例えば、道を歩いている時ふと「人流に流されてしまった」と言うことはないだろうか。「あ違う違うこっちだった」って感じに。自分の目は目的地を示すサインへしっかり向いているのに、なぜか(脳死状態で)人流という流れに身を委ねてしまう。誰かが先導してくれると言う安心感に惑わされている私たち。その先にはもちろん死(迷い)しかないのに…(100回は死んだ私)
どうやら私たちは『Webサイトを見るとき、文字よりも絵や写真の方に目を引かれてしまう』のと同じで『絵や写真よりも動くものに目を引かれてしまう』性質を持っているみたいです(ほぼ猫じゃん)。動くもの、要するに人流に目を引かれてしまった私たちはそのまま、どんぶらこどんぶらこと何処かへ流され、そのまま迷子になってしまう。さらに、人流はマジョリティーになるので、意外に目的地に辿り着いてしまうことも多い。そんな成功体験にもことごとく洗脳され、また私は流れに身を委ね(悪い癖)、今日も健気に迷うのである。
この状況下において、ご丁寧に作り上げられたサインは意味をなさない。無念すぎてかける言葉も見つからなかった。
この『影響されやすい人流がある』という忌まわしき迷いの原因。
たしかに、小さい頃よく母にも「知らない人にはついて行ってはいけない」と言われていたけれど。最近は道に迷う恐怖から、人流に頼りすぎて、人の少ないところに行けなくなってしまったと言う私には全骨が折れる。
そのまま私が軟体動物になる前に、誰か早くどうにかしてください。
追録 おやつは世界を救う。
It's a Sweet World. 甘いものがなきゃやってられない。今回のお供は『FELIXガム』。猫になりたい。ホットカーペットでグルングルン体をうねうねさせている猫になりたい。