2日目の夜ふかしと、追記
おはようございます。私を生んだ母が生まれた日。そして夫が生まれた日。復帰の日の朝です。
ゆうべ日付がかわってから久しぶりのワインで乾杯し、深夜にちゅらさんの総集編のつづきをみたので夫はまだ眠っています。好きだったシバタさんの「に、似ている!」が総集編ではぜんぜん出てこなかったけど最後にみれて嬉しかった。つくづくいいドラマだった。これから潮の時間にまにあえば海へ、の予定です。
『ちょっと何言ってるかわからない』だったと思いますが3回にわたる内観日記をお読みくださったみなさま、ありがとうございました。ちょっと何言ってるかわからない、が上書きされるかもしれませんが追記しておきます。
タロットを展開する前にあらかじめセルフ・セラピー・カードをひいていました。そしてタロットをよんだあとにひらいてみました。それがこちら。
うわ。
絵だけでもうわかる、縛られていたようでみずから制限をかけていたこと。『フラッシュバックの正体を見に行く』という冒険に出るために自分を信頼したこと。そして30年越しに解き放たれたこと。
重たそうな鎖で私がつなぎとめておこうとしたのは被害者的な立ち位置だったのかもと。そんな立ち位置に依存する、なんて普通には考えられないけれど、潜在意識ってそういうことがひんぱんにおこる。しかも私はすじがねいりのネガティブ番長だったから。
冷静になれば「えっ、なんでそういうふうに受け取っちゃうの」「えっ、なんでそういうふうにしか考えられないの」って思うようなことを、そうとしか思えずに生きてきた。自分でも苦しかった。わかるとできるは別の話だということは、私の人生を振り返るだけでも十分すぎるぐらいにわかる。
行動も思考もそうだけど、動けなくなる私に手をさしのべてきたのはいつも、もうひとりの私だった。そんな気がする。そして私には、こんなふうに動けなくなる時間が必要であったようにも思う。ちゃんと私の納得できるプロセスを経ないで救われてしまったら、大切なこともわからないし、救われたのかどうかもわからない。
ちゃんと、全細胞でわかりたい。
その私のこだわりはわかってあげたうえで、もうすこし軽やかな世界へ私を連れていってあげたい。30年は長いよ、さすがに。