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愕然

ふとしたはずみに、昔の知り合いの現在を知ることとなり、ぴったりの言葉でいうなら愕然としています。
友人ではなく、かつての友人です。ともに学んだ仲間で、講座をはなれてもずっと一緒にいて、ずっと語り合った仲間です。何mも先を歩いているイメージで、いくら手を伸ばしても届かないような気のする人でした。

ある瞬間から話さなくなりました。正確にいうと話してくれなくなりました。目もあわせてくれなくなりました。私が何かしたおぼえはまったくありませんでした。仕方ないですね。人間ですもの。気が変わることはあるでしょう。それでも、話せないまま講座は続いていきます。彼女を思い出すとき、あの重苦しく胸がわさわさする感覚までも一緒に思い出します。

現在、ご活躍です。かなり華々しく。
全くもって手の届かない人になってしまった。
あの瞬間、ほんの少しの時間でも、ともに行動し語り合い励まし合ったこと、それを奇跡だと思おう。

彼女が華々しくご活躍されていることと自分の現状を比べて落ち込んでいるのではないのです。
彼女は努力を、人並み以上の努力をたゆまず続けた(きっと)。そして私はそうしてこなかった。そのことに落ち込んでいるのです。

はずみで目にしたご活躍のようすを拝見して、
私には貪欲さが足りなかったのだとわかりました。なりふり構わず集中することができずに、いつも散漫でいる。それをつい数日前、私はそうでないとバランスがとれないと書きました。これが私のスタイルだとも。やってもいないことをやっているかのように勘違いしていました。

私はまだ、なにもしていない。ほんとうに、なにもしていないのです。なりふり構わずやりきったことがないのです。誰かからみてみっともなくても構わない、それくらい頑張ったことがないのです。いつもどこかで線をひいているのです。

私は誰に対してかっこつけているんだろう、誰によく見せたいんだろう。それで結局、なにものにもなれないでいる。

メンターからの言葉でたいせつにしているのは、『なにものでもなく、なにものでもある』
これを私は自分に都合よく解釈していたのではないか。そんな気がしています。膝から崩れ落ちそうです。
このことがわかってよかった。
今日から6月がはじまります。
自分で決めているリミットまであとすこし
なりふり構わずやります。

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