閉じ込めるか、解き放つか③
続きです。
ペンタクルスのシンボルは円のなかに五芒星が描かれている。円のなかに五芒星が描かれているのか、それとも五芒星が円で囲われているのか。どっちも同じことだと言われそうだけど、なんかこういう微妙さを感じていました。
五芒星は人が両手両足をひろげたかたちだと聞いたことがあります。物質的なことをあらわすペンタクルスには制限というキーワードはあてはまらないと思っていた(制限はソードだと)けれど、私がどこかでペンタクルスを制限の世界だと思っていたのかもしれない。義務や責任、調和のために必要な我慢。
学生時代の部活動で起きたことでした。中高とは違って、年長の指導者がいるわけではありません。すべて学生がやっていることです。私の所属していたこの部は50名を超える大所帯でした。役職があってもなくても、それなりにみんな暗黙の了解で引き受けている役割や担当がありました。
当時、幹部交代でひとつ下の学年に諸々を引き継ぎ、運営に関しては私たちはサポートにまわったばかりでした。やっと純粋に楽しんで活動できる、そうなったばかりでした。
ペンタクルスの10をみると、シンボルが乾杯のカップに描かれています。人が多くなればなるほどかみあったり、かみあわなかったり、複雑になっていく社会。それは人がひとりひとり感情をもっているからなおさらだよと言われているみたいです。
私はこの一枚が当時の部活そのものをリアルにあらわしているように感じました。学生だけで運営するからこそ、いまのメンバーだけでなく、OB、外部との折衝、いろいろと『うまくやっていくために必要なこと』ってあるよね、って。それらすべてを内包しているカードのようにみえて。
私はいやなことを押し付けられたのだと被害者ぶっていたけれど、新しく部長になった子も、その子をとりまく幹部も『うまくやっていくために必要なことのひとつ』をこの先輩なら、と思って推してくれただけなのかもしれない。私があまりに大袈裟に受け取りすぎただけなのかもしれない。結局は私のペイジ的な態度ひとつで外部との折衝にたいそうなダメージを与えてしまったことはたしかで、私は消えたい、いなくなりたい気持ちでいっぱいだったけれど、幹部の子たちもやりきれない思いだっただろう。ああ、どうして何十名もいるなかでよりによって私を選んだのか。
いわゆる『大人げない』『その場にふさわしくない』対応しかできなかったことが、だって私はイヤだって言ったもん!という『幼稚で』『子供じみた』私の、部長や幹部へのあてつけみたいに思われたかもしれない。いや、誰がどう思ったかもなんてどうでもいい、とにかく私は混乱していて、困惑していて、その予期せぬ一連の流れすべてがイヤだった。ほんとうにイヤなんだっていう気持ちが伝わらなかったことがイヤだった。泣けばよかったのか?その場から去ればよかったのか?
でも運命の輪は言っている、
『それでよかった』。
そう、それでよかった。
なぜ30年ちかくも前の、思い出すことのなかったことが浮上したのかは結局わからないまま、それでも私は並べ替えをしてみることに。
ペンタクルスのクイーンがシンボルを抱えつつ鳥と語り合い、鹿に寄り添っている。これがとても印象的に目に焼き付けられました。シンボルのなかに取り込まれて縛られているのではなく、物質界のゆたかさを全身で味わっているように見えます。当時の私にはなかった余裕があります。いまも、まだもっていないかもしれない。私のこの苦い経験をゆたかさとして書きかえることで、すべてが昇華できるように感じました。
ああ、だから『それでよかった』のか。
パチパチとおさまるべきところにピースがおさまっていったようです。起こったできごとは変わらない。そのとき感じた感情も、なかったことにはしない。その感情が育ててくれたものがある。ここまで私を導いてくれたものがある。橋渡しをするようなソード6。
ペンタクルスのなかに自分を閉じ込めるのか、ペンタクルスを使いこなすのか。あらゆる経験を価値と認めるだけでいい。カップペイジの軽やかさや素直さを忘れずにいたい。
並べ替えをしたこのかたち・・このかたちはなんだろうとぼんやりみていたら、
漢字の『主』に見えてきた。
人生が私のもとに戻ってきたような。あのときフリーズしていた私のストーリーが解凍されて私のもとに戻ってきたような。
カップエースにはこぼれる水がかたちをもっているように描かれている。感情のひとつひとつが価値あるもの。自分の気持ちも相手の気持ちも丁寧に扱っていく人でありたいと思う。
水に描かれた渦巻きと、人の額に描かれた∞と。滞りなく循環させていく。そして総じて『それでいい』
内観含めのセルフリーディングでうまく書けていないところもありますが、おおよそ90分で30年前の私は救われたようです。またこの件でチラチラ浮上することがあるかもしれないけれど、ていねいにみていきます。苦い経験も、価値のある経験。