なかったことにしない
時々、
「あれ?」と思うことがある。
なんか『違うこと言っちゃった』感じがする。
きのうの記事で人を振り回す人の話を書いたけれど、
きっと彼ら彼女らは自分の発言を撤回したりひっこめたり、なんていうことは余程のことがない限り、しないと思うのです。
逆に私は些細な違和感を察知すると速攻で意見を引っ込め、なかったことにし、自分の気持ちだけがわさわさとしていくのを感じてきました。ずっと。
ここ数日の間に、何度もそんな場面がありました。
いつものように引っ込めたってよかった。なかったことにしたってよかった。どうせ私のことなんか誰も知らない(良い意味で)。
だけど、もうそれはやめようと思ったのです。
この先、自分の気持ちに正直に『いやこれは撤回しよう』と思うことがあればそうするかもしれない。だけど、そうでないのにひっこめようとするのはもう、癖みたいなもの。
それを、やめようと思ったのです。
私はたしかにこう思いました。こう感じました。と発言することを、そのとき生まれた感情を、なかったことにしない。私は私の思うように思っていいし、私の感じるように感じていい。それが、他人とは違っても。
ある場所の居心地が以前とは変わって来ています。
居心地が良くないから去る、それもひとつだけど
居心地が良くなくても居る、という選択肢もまた、ひとつなのでは。と思うようになってきました。
この先どうすることになるかはわからないけれど、いま感じている居心地の変化=違和感とは違うので、もうすこしみてみたいと思うのです。
『私なんて』という劣等感が強すぎて、まともに人と関わっていない気が、おおいにするのです。
こういったささやかなひとつひとつの『私はこう思った』『こう感じた』を掬いあげていくこと。ひとつひとつが私の分子であり、どれひとつ欠けても私ではないのだから。
インナーチャイルド、まだ名前のつけられていない『それ』について言えば『なかったことにしない』が最重要課題なんでした。そのくせについつい、こんな大事なことを忘れそうになる。
これもまた私の分子。