
歪んでいた欲求
消えちゃった記事があったのを、「もう書かないでいいかな」と思ったものの、実はこれ、相当なテーマな気がしたのでもう一度書くことを試みてみます。ただ、全部消えちゃったので、その後の気づきも含めて書きます。先にことわっておきますがちょっと長い&ウザイです。
ずっとタロットがひけずにいたのだけど、さすがに新暦旧暦ともに1日になった2月1日、久しぶりにひきました。例によって、
#新月の問い満月の答え です。
出たのは悪魔のカードで、
これをみたとっさの反応としての問いは「あなたが脱け出そうとして脱け出せずにいることはなんですか」という、いかにも真面目ちゃんなものでした。すると「それは違うと思います」ときっぱりと手を上げて異を唱えるもうひとりの私。どれどれ、聞いてあげよう。
『これを出したら(言ったら/表現したら)嫌われるって思っていることは何ですか』
は?
と思ったけど、なんか納得がいったのでそこから「では、現時点での答え(これ言ったら嫌われる)は何だろう?」と考えたところ、出てきた答えが
『欲しいものを欲しいと言うこと』だった。コワ。
コッワ。
悪魔のカードそのものが、欲望とか本能とか依存とか執着とかそういうキーワードを持っているけど、私の場合は『欲しい』に対するエネルギーがものすごく不健全で、発酵不足あるいは過発酵、ややもすると腐敗方面に行っていたのでは、ということに気づいた。背すじが凍る。
では、何が欲しいのか(欲しいと言えないのか)で出てきたのが、『友達』そして時間をおいて出てきたのが『お金』だった。この2つについてのベクトル、違うようにみえるけれど根本は同じだと思う。きょうは主に、お金についての考察を書いていきます。
もの、に対して欲しいと思う気持ちは自分のなかで『購買意欲』とか『好み』と混同されているのだろう、あんまり違和感がないし、健全に言えている(ような気がする)。それなのに『これから先、わたしが望む未来』とか『感じていたい気持ち』『一緒にいてほしい誰か』とかに関しては、途端にシャッターが降りている。
えー、そうだったの?それじゃ手に入らないよ。うん、頭ではわかる。それでも、私のなかにはそれらを『欲しい』を言うことに抵抗があるし、それだけでなく『言ったら嫌われる』と思っている。じゃあ、それって何。
『欲しい』を言うことが『卑しい』と思ってるところがある。やだ、なんだろう。
この話をART in YOUのご主人にしたところ、はからずもご主人も同じことを同じ2/1あたりに思ったのだそう。ご主人の場合は『欲しいものは、理屈じゃないんだ、欲しいんだよ!』だったそうです。
たぶん、、、自分ひとりだったら気づかなかったと思います。シェアしたことを家に持ち帰ってまた何日かたって、まさにいまさっき気づいたこと。
これって頻繁に目にしていた『ノード軸が切り替わった』と関係あるかもしれない、と。(いまだに占星術マスターできてない私の言うことなので違ったらごめんなさい。)
最近、ドラゴンヘッド―テイルのラインが牡牛座―蠍座に切り替わったばかりだそう。
牡牛座には所有とか安心感とかのキーワードがあり、蠍座には掴んだら離さないとか本音に忠実でいるとかのキーワードがある。
そして牡牛座は私のネイタル月のサイン、蠍座は太陽のサイン。なんだかこの一見わかりにくくこんがらがってる感じは、私そのものな気がして。
『欲しい』は誰しもが持ってあたりまえな気持ちなのに、それが『卑しい』に変換される?それってどういうわけなのか。
みっともない、かっこわるい、恥ずかしい。これらは私が幼少期に、親から言われてきたこと。『親に恥をかかせないようにしなければ』みたいな歪んだ気持ちが、この期に及んでもなお『欲しい』をストレートに言えない私を作り上げたのかもしれない。
学びに対する異常な欲求があることは根源的なものだと思ってきたけれど、もしかすると『学ぶことを欲するのは誉められこそすれ、貶されるはずがない』と、いつのまにか正当性を持ち出して
学んで文句言われるはずがない→だから学ぶことにお金をかける→いつまでも学んでいるのは何も身についていないからだろうと言われる→学んだことを生かして仕事にしようと試みる→提供したいのに、お金が欲しいと言えない→価格を下げる→やっていけなくなる→雇用される働き方に戻る→・・・
なに、このループ。コワ。
ノード軸の移行が私の個人的な問題に関係あるかないかは、わかりません。でも、私はそう思った。いつも、いちばんに欲しい気持ちや感情、状態を口にできず、体(てい)のいい何かにすり替えていた。それを、無意識にやってきた。ずっと。
いーーーやーーー!!!
(善逸みたいに、涙と鼻水が両方出てくるよ)
欲しいものを、欲しいとちゃんと言う。
欲しくないものを、欲しくないとちゃんと言う。
結局、こういうことなんだろうけれど。
#新月の問い満月の答え はホントはもっとシンプルで、軽やかで、これから15日間どんなしてすごそうかな?ぐらいでいいはずですよ。ねちこい私がネチネチ想ってるだけです。でも、これまでを振り返ってみてもやっぱり大アルカナが出るときって大きな変わり目だったり節目だったり、チャンスだったりしている。そして、今回は久しぶりの大チャンスです。と思う。
欲しいを口にするとき、どこか歪んでないか?素直に言えているか?自分に嘘をついていないか?ちゃんと目を光らせていこうと思った。という長々話でした。お付き合いくださいましてありがとうございました。
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