妹のパーキンソン病治しましたが、それが何か? 手のひら先生の高麗手指鍼療法 20
タイトルが刺激的ですか?
西洋医学も東洋医学も脳について分かってきたのはごく最近のことです。
ただ西洋医学では診断技術の進歩が大きいので、脳の解明は次々とされています。
ところが東洋医学では相も変わらず二千年前のバイブル「黄帝内経素問霊枢経」を元に、治療方法を十年一日のごとく探っている状態です。
がんを治し予防する免疫力を調整する方法は書かれていませんし、脳がどのような働きをする臓器であるか分かりませんでした。
当然治療できるツボはありません。
それでは治せません。遅かれ早かれ鍼灸が消えていくかもしれません。
それを打ち破ろうと高麗手指鍼の研究を行い、臨床結果から導き出したのがタイトルになりました。
妹のパーキンソン病まで治せるとなるには、まだ20年以上の経験と思考の時間が必要でした。
ひょんなことから開業の道へ
若い方は知らないでしょうが、ほんの30年前までは鍼灸師もあんま師も良い職業とは思われていませんでした。
現在のように福祉環境も意識も良くなかった時代です。あんま師は「・・・のやる職業と思われていました。
父は10歳の時に両親に先立たれ、姉と弟とは別れ別れに親戚の家に預けられて育った環境でした。それでもどこかで旋盤の技術を学び、その技術では一流だったようです。
そんな生い立ちからか上昇志向が人一倍強かったので、私が大学に行き公務員になって課長になってくれることが喜びだったようです。
息子の方は老後の第二の人生のため自分の虚弱体質を治すために鍼灸学校に行ったのですが、良くある日本の親子関係みたいにコミュニケーションが不足していました。
親子喧嘩ですね。
卒業して2,3年は学生中に出来なかったことの整理とか、次の準備とかを考えていました。
ところが卒業した後のクラスメートの年賀状でお互いが同時に出している場合は良いのですが、相手がこちらの賀状に返信したものがいけないことが書いてあったのです。
考えてもいなかったのに開業の夢などを書いたので、相手も「いよいよ開業ですね」なんて書いてきます」それを見た父親が例のごとく「出ていけ」になってしまったのです。
実体験の大切さと開業の壁
在学中に小セミナーを行ったりして、鍼灸師にとってはいかに実体験が必要かを実感していました。
しかし公務員は副業禁止なのでそれは不可能でした。
日曜大工ならぬ日曜マッサージ師を無料で行っていた同級生がいました。「みんなうまいと言ってくれているんだ」
プロになるにはお金が絡まないと本物にはなれません。下手なら次回はないのです。指名されることもありません。
勿論そのようなことを避けるために日々努力、切磋琢磨をするわけです。それでも実践と言う壁は存在します。
私は鍼灸師を職人と同じと考えていますので、技術が伴わなければ何の役にも立ちません。
若ければ整骨院や整形外科に勤務し、そこからのれん分けのようにお客さんを分けてもらうのが通常の開業に至る過程です。
しかし本物の鍼灸師になるにはどこかで現状を断ち切らないとなりませんでした。
「良く公務員を思いっ切って辞めましたね」と言われましたが、成り行きの無謀なふるまいだっただけです。
家族を抱えていたなら決してこのような無謀な行動は行わないはずです。
敢えて飛び込んで地獄の道
あとで冷静に考えれば、すべての選択が悪かったです。
1、立地 電車路線がクロスするところでしたがそこで上下車する人はわずかでした。
2、マンション 都内のマンションならいざ知らず、普通のマンションでは営業できません
3、広告宣伝・口コミなどの方法がない
チラシ配りをしました。友人にもらったバイクでチラシを六千枚配りました。その頃はエロビデのチラシがポスティングで多く、良く彼らと会いましたね。
テレビでその元締めがインタビューされていました。6000枚配って電話が掛かってくるのは2,3件で実際購入するのは1件と言っていました。
まさに鍼灸師のポスティングと同じだったのは、経済行動はみな同じと笑ってしまいました。
1年は開業の準備で公務員との2足の草鞋、次の年はいよいよ開業です。
1年目に友人から誘われたのが「高麗手指鍼」だったのです。今私が行っている鍼技術です。
退職金ですか?
シャボン玉のように1年足らずで消えていました。
孫正義さんには足が向けられないはず
結局武家の商法であえなく閉院しました。
親父に頭を下げざるを得ませんでした。大和田専務とは違いましたが。
自宅で開業と言うことになりましたが、住宅街の中で駅から12分の距離、自費診療と不利な条件ばかりです。
そんな中2年目から患者さん用の読み物として「手のひら先生の健康相談室」を発行しました。
それをネットのホームページに載せたところ、3年目からアクセスが急に増えました。
ヤフーの孫正義さんがネット接続を定額にした影響でした。
そのことで東京の田舎にも全国から患者さんに来ていただけるようになりました。
孫さんには今でも足を向けて寝られないのですが、孫さんがどちらの方角に住んでいらっしゃるか分かりませんので。教えていただく方はいらっしゃいますか?
この間すでに免疫の調整方法を考え実践していました。
ですから手術後に起きる腸の癒着治療は世界で治せるのは私一人ですし、関節リウマチを治療できるのはこの時の研究の成果でした。
SEOとは何ぞや
検索エンジンがヤフー一強からグーグルに代わり始めて大きな変化が度々起こるようになりました。
それでは絶対治せないだろうと考えるページが、SEO業者の技術で上位になっていました。私のページは逆にどんどん下がっていきました。
医療類似行為となっていても人間の身体に関することであり、それを評価することは難しいこととは思います。
西洋医学でも治せない病気は様々にあります。その治療を評価することは難しいでしょう。
私が20年近く前にホームページを作った時、おそらく画期的な作りだったはずです。
それはいま診ている治療中の患者さんの治療経過を載せたのです。
途中で失敗すれば治療方法がだめだと知られてしまいますし、毎回書き込むのも大変なことでした。冒険でした。
たまにそのようなページを見かけることがありますが、完治の言葉で終わっていることはありません。
東洋医学では免疫システムを調整する能力はありませんし、脳を治療できる脳神経のツボそのものがありません。
二千年以上前に完成した治療法をそのまま踏襲しても、免疫や脳の治療は出来ないのです。
皆さんはどのようにして治しているのでしょうか?
まとめ
1、鍼灸の道はいばらの道 バラ色ではない
2、事前の家族間の意思疎通は大事
3、開業するには技術・人脈・広告宣伝が重要
4、のれん分けしてもらうのが本道
5、結局この世界にどこかで飛び込まないと道は開かれない
私のホームページはこちらです。「手のひら先生のリウマチ相談室」
次の本は「手のひら先生スタイルの高麗手指鍼療法」がどのようにして生まれたのかを書いたものです。
他の鍼灸書のようにこのツボを使えば治るというような本ではありません。
手のひらのツボのことや治療法については
「高麗手指鍼講座」柳泰佑著 たにぐち書店 刊 日本語訳がありますのでご覧ください。鍼灸は見たり読んだりしても身につくものではありません。
一般の方には病気を治す鍼治療とはどういうものか理解できるように書いてあります。さらに私なりの簡単自律神経調整法を図解しております。