超高齢化“新宿巨大団地”の「保健室」に集う人たち
(*この原稿は、毎日新聞WEB「医療プレミア」で筆者が連載する「百年人生を生きる」で2019年1月21日に公開された記事です)
「いつでもどうぞ」といわれても、ただお茶をしに行くというのは……。そんな、「居場所」に敷居の高さを感じている人でも気軽に立ち寄れる場を提供したい、という考えから始まった活動がある。誰にとっても、生活の中で大事にしている「健康」を入り口にした、街の中の「よろず相談の場」づくりだ。
超高齢社会を先取りした都営アパート
東京都新宿区の都営戸山ハイツアパート。35棟に約3000世帯が暮らし、その半数以上は高齢者という超高齢社会を先取りしたような団地だ。この団地の「33号棟」1階にある商店街の書店を改装して2011年7月にオープンした「暮らしの保健室」が、その「よろず相談の場」だ。平日の午前9時から午後5時まで、看護師が常駐し、予約不要・無料で健康相談に乗っている。ただお茶をするだけでもいいし、食事会や健康講習会、ヨガ教室などの行事に参加することもできる。
ある秋の一日。70平方メートルほどの室内に置かれた楕円(だえん)形のテーブルの周りでは、お茶を飲みながら談笑する人、表情が生き生きと見えるようにメークを施す「美魔女メイク」コーナーで、専門のボランティアにマッサージやメークをしてもらう人など、高齢の女性10人ほどが集い和気あいあいとしている。ちょっと離れた相談スペースでは、看護師に健康相談する人の姿もある。
訪れていた人たちに話を聞かせてもらった。
「地域に友達ができた」
井出智津さん(86)は、団地近くの戸建て住宅に長男と暮らす。保健室に通い始めて3年ほど。実はこの日は2カ月ぶりの訪問で、スタッフやほかの利用者から「久しぶり」と声をかけられていた。夫の正人さんが18年9月に亡くなり、しばらく訪れることができなかった。「最初に来た時も、その後もずっと主人と一緒に来ていました」と井出さん。この日、初めて一人で訪れた。
足を悪くしていた井出さんが、ここでマッサージを受けられると聞き、試しに来たのが訪問のきっかけだった。井出さんは、おしゃべりが楽しくなった。正人さんは、あまりおしゃべりの輪には加わらず、隅で本を読んでいることが多かった。だが、ボランティアスタッフの女性と本の趣味が一緒だと知り、本の貸し借りを始め、訪問を楽しみにするようになったという
時々、正人さんは体調のことなども、保健室の看護師に相談していた。昨年5月、胃がんで入院した時は、一人で医師の説明を聞くのが不安で、暮らしの保健室室長代行で看護師の杉本弥生さんに同席を頼んだ。心強かった。最期は在宅で正人さんをみることになり、訪問看護のことも杉本さんに相談した。
「看取りまで本当にお世話になりました。こことご縁をいただいたことで、主人は幸せな晩年を過ごせました。私も幸せです」。井出さんは「美魔女メイク」をしてもらい、生き生きとした表情で話をしてくれた。
保健室の前を歩いていて、スタッフから声をかけられてお茶をしたのがきっかけで、よく訪れるようになったという遠藤孝子さん(69)。実は以前はちょっと気分がふさぎがちだった。でも、ここにいるとなんとなく落ち着く。気分が晴れやかになる。今では気持ちも積極的になり、保健室で紹介された近くの高齢者施設で週に1回、食器洗いのボランティアをするようにもなった。
渋沢千代さん(86)は16年暮れ、埼玉県から引っ越してきた。夫が亡くなってひとり暮らしになったのを機に、戸山地域で暮らしていた長女と一緒に住むことに。誰も友人のいない土地だけに、最初は不安も募った。だが、娘とたまたまのぞいた「保健室」の雰囲気が気に入った。整体師が無料でマッサージもしてくれるし、年の近い人たちとお茶飲み話ができる。「地域に友達ができた。越してきてよかったよ」と渋沢さんは笑う。
無料で予約不要のよろず相談所
暮らしの保健室は、同区のNPO法人「白十字在宅ボランティアの会」が運営している。区内で訪問看護の仕事を1992年から続けている看護師の秋山正子さんが理事長を務めている。戸山ハイツでは、ひとり暮らしの高齢者が増え、孤立死なども問題になっていた。だが、体調や介護、暮らしの中で気になることを気軽に相談できる相手がおらず、健康の状態が悪化してから訪問介護・看護につながる人が多かった。
「そうなる前に、なんとかしたい」。秋山さんは、気軽に誰もが立ち寄れて、無料で予約も不要なワンストップのよろず相談室のアイデアを思いつく。ちょうど、よろず相談室の事業計画が、厚生労働省が制度運用を始めたばかりの在宅医療連携拠点のモデル事業に採択され、助成を受けられたこともあり実現にこぎつけた。
看護師以外にも30人ほどのボランティアスタッフが登録していて、交代で数人が常駐する。薬剤師や管理栄養士、整体師、主婦などボランティアも多彩だ。年間に約6000人が利用し、健康相談件数は電話相談も含めて600件ほどある。女性の利用が8割を占める。
ちょっとした健康上の不安から、がんや認知症、介護に関することなど相談内容はさまざまだ。ボランティアスタッフとただ話をしただけで「すっきりした」と帰っていく人もいる。ケースによっては、井出さんのように地域の病院や、地域包括支援センターにつなげることもある。
持ち込まれる相談は健康問題だけにとどまらない。「ベランダに水があふれてしまい、何とかしてほしい」という住人からの相談に、「その方の部屋に行き、長靴を履いて掃除したこともありますよ」と杉本さんは笑う。杉本さんたちは団地の祭りや商店街の女性たちでつくる「女将(おかみ)の会」にも参加するなど、近所づきあいを大切にしている。一方、商店街の人たちも高齢者や困っている人に対して、保健室を紹介してくれている。地域の人たちからも支えられているのだ。
「ここに来ると高齢の人たちが生き生きとおしゃべりしている。それを見て、自分もまだ元気に明るく暮らせるんじゃないかと気づく。『歩く、しゃべる、食べるが元気の秘訣(ひけつ)だ』と自然に感じるようになるんです」と杉本さんは言う。そして、忘れられないというエピソードを語ってくれた。
周囲と打ち解け認知症も改善
15年秋ごろから約2年間、毎週月曜と火曜の朝、団地に住む80代の男性が保健室玄関の掃除や花壇の手入れをしてくれていた。認知症を患い、最初は病院から「保健室」を紹介されて訪ねてきた男性だった。当初は不安と混乱からか、男性は不機嫌な様子だったが、あるボランティアスタッフと話が合った。ボランティアスタッフと一緒にお茶や弁当を食べようと、頻繁に訪問するようになった。きれい好きな男性に対して、杉本さんが掃除を頼むと、男性は自発的に掃除をするようになった。最初は無表情だったのが、3カ月もすると笑うようになり、他の利用者とも打ち解けて認知症も改善した。男性は17年にがんで亡くなった。最期は杉本さんたちが見送った。
「家族の間で何かトラブルがあったのでしょう。最初は男性の遺骨引き取りを拒んでいた息子さんが、ここでの周囲の人たちと男性の交流の様子を知ると、『家族には悪い父親でしかなかったが、違う面もあったのか』と遺骨を引き取ってくれた。『人としての生活を取り戻させてくれた保健室がなければ、和解はなかった』と息子さんはおっしゃっていました」と杉本さんは振り返る。まさに街の中にある「保健室」が、人生の最期まで「居場所」を提供し暮らしを支えたのだ。
多機能な「居場所」が全国に広がる
「暮らしの保健室」の活動は、生活・健康相談の場▽医療と介護・福祉の連携拠点▽なじみの人と過ごせる地域の居場所――など、多面的な機能を持っている。運営経費は新宿区の助成金などで賄っているが、活動を支えているのはボランティアや地域の人たちの協力であることは間違いない。この仕組みは17年度にグッドデザイン賞を受賞して注目され、全国各地で「暮らしの保健室」づくりが広がりをみせている。
最近、地縁や血縁とは異なる、人と人とのゆるやかなつながりが注目されている。社会学や政治学の分野で「ソーシャルキャピタル(Social capital)」(社会関係資本)と呼ばれる考え方だ。
ソーシャルキャピタルの考え方を広めた米国の政治学者ロバート・パットナムは、これを「人々の間にあるつながり―社会ネットワークとそこから生まれる互酬性と信頼性の規範」などと規定している。
「暮らしの保健室」でボランティア活動をしたり、また相談に乗ってもらったりすることは互酬性、つまりお互いの助け合いにつながる。また、日々交流することで「相互の信頼性」も増していく。まさに、そこでの人のつながりが、ソーシャルキャピタルそのものといえる。
地域コミュニティーが抱えるさまざまな問題解決のために、ソーシャルキャピタルの活用は有効だといわれている。内閣府もその効用に関して調査を実施し、「コミュニティ再生の成功要因の多くが地域のソーシャル・キャピタルに依存していると考えられ、(中略)重要な役割を果たしている可能性」(「コミュニティ機能再生とソーシャル・キャピタルに関する研究調査報告書」05年)があると分析している。
地域に高齢者が増える中、「暮らしの保健室」のような活動はさらに必要とされていくはずだ。多くの人たちの協力と支えが、各地域で大切な役割を担い、人々がいきいきと暮らせるコミュニティー作りにつながっていくことが期待される。
(*この原稿は、毎日新聞WEB「医療プレミア」で筆者が連載する「百年人生を生きる」で2019年1月21日に公開された記事です。無断転載を禁じます)