ある美しいお花畑の寓話・希望編

美しいお花畑がありました。いろいろな色の花、いろいろな種類の花が咲き乱れていました。1本1本をみると、青いのもあれば赤や黄、緑、紫、黒などバラバラな色です。中には汚れたような不思議な色があったり、背丈が長いのも短いのもあったりして、1本1本は決して感動するような美しさではないのです。でも、全体をみわたすと調和していて、ため息と笑みが自然にこぼれるような美しさ。お花畑のこちらをみれば心が穏やかになり、あちらをみればエネルギーがわいてくる。そんな美しいお花畑をみようと、遠くからも多くの人が訪れて、お花畑のある街はいつも賑わっていました。

だれがお花畑をつくっていたのでしょう? 街の人たちが自分の好きな種をまいたり、苗を植えたりしてみんなで育てていたのです。「私は紫色が好きだから」「私は小さくて可憐な黄色の花が好き」--。みんなが好きな花のことを自由に語り、世話していたのです。その自由さが街の人たちの誇りでもありました。

でも、時には困ったことも起きてしまいます。ある時、「私は背が高くて大きな葉っぱのある花が好き」といって、育てた人がいました。ところが、大きな葉っぱのせいで、周りのお花はおひさまがあたらず、どんどん枯れてしまったのです。お花畑はバランスが悪くなって、全体がどんよりとしてしまいました。さあ、大変です!

街の人たちは話し合いをしました。「私は大きな葉っぱはきらいだけど、植えるのはいいよ。それが好きな人もいるだろうから。でも、植える場所をお花畑の端っこにした方がいいんじゃない?」「場所はどこでもいいけど数を考えた方がいいと思うな」「葉っぱがおひさまの光を通して下のお花にもあたるように、お花を改良すればいいんじゃない?」--。

いろいろな意見が出ます。でも、みんながお花畑を大切に思っていることは共通していました。お花畑はいろいろな花があるからこそ美しいことも知っていました。自分の好きなお花を植えると幸せな気持ちになることを知っていましたから、自分の好きなお花が「きれいじゃないからダメ」などと否定されれば悲しくなることも知っていました。だから「大きな葉っぱの花はそもそも美しくないからダメ」などと、お花そのものを否定する意見は出ません。

みんな、粘り強く話し合いました。まず、お互いの意見をよく聴きます。よく聴いたうえで、お花畑が美しくあり続けるためにはどうしたらいいかを話し合ったのです。時間がかかります。時には意見がぶつかり合うこともあれば、話し合いに疲れる場面もありました。「もう面倒だから、誰かに決めてもらえばいいじゃん」という声が出ることもありました。でも、そう口にした人も「このお花畑はみんなのものであり、同時に自分のものでもあるんだ」ということに気づくと、恥ずかしそうに「ごめん。やっぱりみんなで考えよう」と反省したのでした。そして、お花を植えるためのルールをみんなで決めたのです。

ルールは必要があるたびに見直しました。暑い年もあれば、雨が少ない年もあります。病気が発生して、お花が枯れてしまうことだってあります。問題があるたびにみんなは考え、話し合いました。時間はかかりますし、バラバラのお花を育てるのは手間はかかります。でも、みんなが自分の大切なものが大切にされていると感じられることで、自分のためにもみんなのためにも頑張ろうと思えたのです。そうして、美しいお花畑はますます美しくなっていくのでした。

あるとき、このお花畑を自分の好きな花で埋め尽くしたいと考える人が現れました。お金があり、自分で自分を「偉い人」と思っている人でした。自分の好きなことを好きなようにすることができるし、それが当たり前のことだと考え、自分に反対する人や異なる意見を許せない人でした。人が集まって話をすると、自分の悪口を言っているのではないかと心配になる人でした。

偉い人は思いました。「このお花畑が欲しい。私は赤が大好きだ。このお花畑を赤一色にして高さもそろえれば、育てる手間もかからないし、もっと美しくなるに違いない。そうなればみんが私を尊敬し、称えるだろう」

街の人たちは、お金持ちだろうとお金がない人だろうと、女だろうと男だろうと、年をとっていても若くても、ルールを決める話し合いでは特別扱いはしていませんでした。みんなが大切に思っているお花は一人一人違います。それは、お金のあるなしなど関係ないのです。お互いの好きな花を尊重して自由に意見を言い、話し合うこと。それが、手間はかかっても、全体としてはとても美しいお花畑につながることを知っていたのです。

偉い人は、街の人たちが話し合ってルールを決めていることは面倒で効率が悪いと思っていました。バラバラなお花を育てることも我慢できませんでした。だから、最初は自分の庭でお花を植えるだけで、話し合いに参加していませんでした。でも、遠くからも人がみにくるような場で、自分が美しいと思うお花畑をつくりたいと思ったのです。それこそが街のためになると信じ込みました。

そこで、偉い人は話し合いに出ることにしました。とはいえ、偉い人はただ「黙って俺の意見を聞いて従っていればいいんだ」とばかり言うだけです。街の人たちも困ってしまいました。でも、たとえそんな意見にはまったく賛成できなくても、どんな意見でも口にする自由を守ることは大切にしたい。それが街の人たちの考えでしたから、偉い人となんとか対話しようと努力しました。

でも、偉い人は話し合いとか対話をどうでもいいこと、自分を困らせるだけのものだと考えていたので、イライラしてきます。「もう面倒だ!」と、暴力をふるうことを仕事にしている人たちをたくさん雇って街の至る所に配置しました。偉い人と違う意見をいう人をみつけたら、暴力をふるうのです。お金もばらまいて、一部の街の人たちに自分を支持するように命令しました。偉い人の意見に従うと、偉い人から特別なお花の種がもらえたり、優先的に育てる「特権」が与えられたりするようになる。そんな「うわさ」も広まりました。街の雰囲気はどんどん悪くなっていきます。

ついには、「きれいなお花畑をつくるためには効率性や計画性が大事だから偉い人に任せることにする」ことを「多数決」という方法で決めようと偉い人は言いました。偉い人は、「お花畑がもっと美しくなる」とか「手間がかからなくなるから、街の人たちにとってよいことなのだ」などといいます。本当は、自由な話し合いや、話し合うために集まること、偉い人への意見・批判が嫌だったのです。自分の思い通りにしたいだけなのですが、「美しいお花畑のため」なのだといいます。美しいお花畑をなくしてしまえば自分だって困るのだから心配することはない、安心して任せてよ、ともいいます。

嘘も何度も繰り返すと、時には本当にように聞こえてくることがあるものです。街では、暴力などで違う意見を表にだしにくくなったため、比較したり、問題点を考えたりするための意見が少なくなっていきました。だんだんと考えることが面倒になってしまい、「それならいいんじゃないの」と偉い人の意見に従う人も出てきました。

偉い人を支持する人たちは「オトモダチ」などと呼ばれるようになります。中には、「偉い人と違うことをいうなんて街に住む資格がないから出ていけ」「お前の花は汚いからダメだ」などと、いろいろな嫌がらせをするオトモダチも出てきました。偉い人と違う意見の人のお花を踏みにじったり、引っこ抜いたりしたのです。暴力やそんな嫌がらせを恐れて、話し合いの場に出て来る人も少なくなっていました。意見を口にする人もどんどんと減っていってしましました。ついに、偉い人が決めた花だけを、偉い人が許可した人だけが育てることができるようになってしまいました。

お花畑は赤い花ばかりです。ほとんど同じ背丈の赤い花です。一見、整っていはいますが、以前のような人を引き付ける魅力や美しさはなくなっていきました。偉い人を支持して従っていたオトモダチは最初、お花を育てることが許されて得意顔でした。でも、「お前の花の赤は、俺が思っている赤よりも薄いからダメだ」とか「お前の花は背丈が1ミリ短いから二度と植えるな」などと、偉い人や別のオトモダチから、一人また一人と否定され、やはりお花を抜かれてしまうようになりました。

でも、お花畑をよーくみると、ほんとうに数えるほどですが、違う色や違う種類のお花が育っていました。偉い人に見つからないよう、夜中にこっそり育てていたのです。あまりに数が少なかったので、偉い人やオトモダチも気づかなかったのでしょう。そんな違う色の花を育てている人の中に、小さな女の子がいました。

女の子はふしぎに思いました。「まえはいろんな色のお花があったのに、どうしていまは赤いお花ばかりなの? 赤いお花もきれいだけど、いろんな色があったほうがもっときれいなのに。どうして夜中にお花を育てないといけないの? 昼間、みんなでおしゃべりしながらのほうが楽しいのに」

女の子のお父さんとお母さんは、ハッとしました。そうだ。どうしてこんなことになったのだろう。大切なお花畑がこんなふうになってしまったのをみて、なぜ悲しい思いをしなければいけないのだろう。暴力や嫌がらせを恐れて、自分の大切なお花のことは「大した問題ではない」と思い込もうとしていたのではなかったか。そうだ、意見をいわなくなったからだった、と気づいたのです。あの美しいお花畑を取り戻したい。そう思いました。

女の子の一家は、画用紙に絵を描きました。いろいろな色で絵を描きました。それは、むかしのお花畑そっくりで、全体の調和がとれ、とても美しい絵でした。せめて絵でお花畑を飾ろうと思ったのです。お花畑の近くにこっそりとその絵を貼りました。街の人たちは、その絵の美しさをみて感動しました。

偉い人は「絵も赤一色でなければお花畑の近くに貼ってはだめだ」と怒って絵を破いて捨ててしまいました。でも、翌日になると絵は2枚に増えていました。また偉い人は怒って破り捨てます。でも、その翌日には絵は4枚、その次の日には8枚と、どんどん増えていったのです。女の子の家だけでなく、絵を描く街の人たちが一人、二人と増えていったのです。

偉い人とオトモダチは毎日毎日、絵をみつけては破り捨てますが、だんだん疲れてきます。オトモダチの中にも、美しい絵をみてこっそり自分でも描いて貼る人が出てきました。絵をはがすのをやめるオトモダチもいました。絵が増えていくのに、破り捨てる人は減っていきました。最後には、偉い人は一人きりで朝から晩まで絵を破り続けました。でも、あまりにたくさんなので捨てきれません。お花畑の手入れもほとんどできなくなりました。それでも、偉い人は「俺の言うことを聞け!」と怒鳴り散らしていました。

そんなある日、たいへんなことがおきました。病気で赤いお花がみんないっせいに枯れてしまったのです! 手入れがされず、同じ花ばかりだったので、病気があっというまに広がってしまったのです。お花畑には隠れていたほかの色や違う種類のお花がところどころに残っているだけでした。

偉い人は茫然としました。街の人たちがみんなでお花畑を囲みました。みんな悲しそうです。でも、偉い人にやさしく語りかけました。「もう一度、お花畑を一緒につくりましょう」

偉い人は泣きました。自分が間違っていたことに気づいたのです。みんなが好きなお花を大切に育てるから美しく、病気にも負けないお花畑だったのだと気づいたのでした。

みんなでまたお花を育て始めました。偉い人も、みんなと同じように一株だけ自分の好きな赤いお花を植えました。その隣では、あの女の子が青いお花を植えていました。「その赤いお花きれいね!」と女の子は偉い人に笑いかけます。偉い人は恥ずかしそうに、でも嬉しそうに「お嬢ちゃんのお花もきれいだよ」と答えるのでした。

いろいろな色や種類の花が咲き乱れる、美しいお花畑。いまも街の人たちは困ったことがあれば話し合い、お花畑はどんどん美しくなっていくのでした。

(下記は昨日アップしたラストが悲観的なversionです)


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