杉並の妖(あやかし)を作ってみた
「赤っぽく黄ばんだ丸い火がスーッと上がり、(中略) スーッと消えるのを見て『また狐火が燃えているなあ』と話し合いながら、魚獲りを続けていました」
これは杉並区歴史探訪に載っている一文である。
時代は明治の末期。
場所は高円寺南の長仙寺だ。
高円寺駅を背にパル商店街を一本右に入ると赤い大手門が見える。
「アール座読書館」や「ネルケン」の近くと言えば、喫茶好きには伝わるだろう。
恐らく魚を捕っている川は暗渠になってしまっている桃園川だ。
妖怪グッズ専門の「大怪店」があるエトワール通り商店街の裏手を流れている。
相互の距離はだいたい150m程。
今は建物に遮られて川から寺を眺める事は出来ない。
今はなき杉並の原風景を伝えてくれる情緒溢れる一文だ。
風土記を読んでいるとこのような妖(アヤカシ)にまつわる文章が散見出来る。
しかし、このような話を知っている人は僕の周りには居ない。
親の世代や祖父母の世代ですら実際に見聞きしたことがないという。
おそらく戦争の時代を大きく通り過ぎて、大正時代に幼少期を過ごした人まで遡らなければ知らないのかもしれない。
たった100年で僕らの前から消えてしまった「スギナミのアヤカシ」
科学が発展した現代社会ではしょうがない事なのだろう。
しかれど、そんな世界は本当に面白いのだろうか。
なんでもかんでも理屈で説明しようとするのは風情がなくて窮屈だ。
理屈で説明不可能な「何か」の許容は社会を豊かにしてくれると僕は思う。
少なくともコントロール不可な災難を妖のせいにする事はとても合理的だろう。
そんなユーモア溢れる日常を目指して、まずは本記事で「スギナミのアヤカシ」を作ってみたいと思う。
1.妖(あやかし)とは
そもそも妖とは何なのだろうか。
妖怪や幽霊とは違うのだろうか。
化け物や物の怪も含まれるのだろうか。
そんな事を思った方は多いかもしれない。
僕も気になったので調べてみたが、どうやらハッキリとした定義は無さそうである。
というより、ちゃんと理解出来なかったという方が正しい。
ちなみに下記のようなニュアンスの事がいくつかの妖怪本に書かれていた。
適当に書いているので、読み飛ばして頂いて全然構わない。
◯科学では説明のつかない現象を起こす中で、祀られているのが神でそれ以外が化け物。
◯神が零落したものが妖怪。
◯死の延長線上にあるのが幽霊で、死の延長線上にないのが妖怪。
◯決まった人に出るのが幽霊で、決まった場所に出るのが妖怪。
◯同じモノでも誕生の文脈次第で妖怪にも幽霊にもなる。
おそらく学者達の調査方法によって微妙にズレが出てくるのだろう。
喫茶店とカフェの違いを明確に定義付けするよりも大変そうである。
難しい事は学者にお任せして、ここからは「超自然現象を引き起こす」妖怪や幽霊の総称として「妖(あやかし)」を使いたいと思う。
では杉並区内ではどのような場所に妖が出現していたのだろうか。
2.杉並の妖がいづる所
1910年頃に大宮八幡宮の参道付近に高さ六尺の大入道がよく出たらしい。
辻や石橋に出没する大入道にはいくつか種類があり、大半は狸の仕業と言われている。
大宮の村人が近くに生息していた狸を撃って以来、大入道が出没しなくなった事から恐らく狸の仕業だったのだろう。
ちなみに六尺とは180センチ程度。大正時代の男性平均身長は160センチ。
ちょっと大柄なおじさんを当時の人は怖がっていた。
そこから30メートル下った場所には善福寺川にかかる宮下橋がある。
1917年頃に狐につままれた村人が宮下橋付近で帰り道が分からなくなり途方に暮れていた所を他の村人に発見されたらしい。
他にも大宮八幡宮あたりには妖談が存在する。
恐らく昔から地域一帯が畏怖の対象となっていたのだろう。
時は1800年頃(不詳)の江戸時代末期。旧大宮寺の宝篋印塔が化けて人々を驚かせたらしい。
旅人が切りつけた刀傷が塔に残っていると風土記に記載されていたが、風化し過ぎてどれだか分からなかった。
大宮八幡宮への国府道入口に人目を憚りながらコッソリと建っている。
ここらは暗くなると今でも雰囲気があり、僕自身も付近でかなり大きな蛇や狸を見た事がある。
100年前の写真と見比べれば綺麗に舗装されているが、当時を追体験出来る貴重な場所だろう。
そもそも妖が出る場所にはいくつかの傾向があるらしい。
①山や海、川などの人里に隣接する自然界
②峠や辻、橋などの道中
③神社や大屋敷、墓場
上記に共通するのは「境目」で、当時は現世と常世の境が曖昧になる場所である。
加えて日中と日没の狭間になる夕方や明け方も「逢魔時」として恐れられていた。
しかしながら今の杉並は所狭しと住宅が乱立している。
このような環境ではなかなか境目を見つける事は困難だ。
では何を手がかりに妖達の出現場所を見つければ良いのだろうか。
3.杉並の地形について
杉並区が現在のような住宅地となったのはここ100年程だ。
鉄道の誕生と関東大震災を契機に人口が急増したが、それまでは緑豊な農村地帯だった。
つまり大正時代以前の杉並の地形を観察する事によって、妖達の出現場所を見つけられるはずだろう。
では具体的に杉並区とはどのような土地だったのだろうか。
まずは下の写真を見てみよう。
青線は馴染みのある善福寺川や妙正寺川などの大きな河川。
緑線は現在暗渠となってしまった小さな河川や用水路だ。
かつては区内を縦横無尽に水が流れていたことが確認出来る。
では何故ここまで河川が多かったのだろうか。
次に下の写真を見て頂きたい。
杉並区は青梅を起点として、多摩川と入間川に挟まれた巨大な扇状地の下流に位置している事が分かる。
地図を90度回転させて青梅を頂点にして見てみるとより分かりやすい。
扇状地は水捌けが良いため、扇頂や扇央に降った雨は一度地下水となり扇端で湧水する。
つまり杉並以西で降った雨が杉並の至る場所で湧水していたのだろう。
枯渇してしまったが、中央線沿いにもいくつかの弁天池が今でも確認出来る。
次に下の写真を見てみる。
杉並は首都から近い場所にあったためいくつかの街道が区内を横切っている。
そのため年貢を収めるための農道が無数に張り巡らされていた。
また堀之内の寺町を筆頭に寺社仏閣が多数確認出来る。
つまり整備された参詣道が多かった可能性が高い。
上記の事を踏まえると、ここからいくつかの事が考えられる。
①川や用水路、池などの水辺が多く存在していた。
②川が形成した「坂」が多く存在した。
③農道や参詣道が交差する「辻」が多く存在した。
④川と道が交差する「橋」が多く存在していた。
つまり妖が出現する条件はしっかりと満たされている事が分かる。
では過去にどのような妖談が杉並区には存在していたのだろうか。
4.実際にあった杉並区の妖談
ここまでは「妖」と「杉並」についてそれぞれ考えてきた。
では、ここからは郷土史を元に実際にあった杉並の妖を見ていこう。
Ⅰ.水辺の妖
片目の魚の池
上高井戸一丁目にはかつて大きな池が存在した。
薬師寺の側の池に願掛けをしながら川魚を放すと、人の目が良くなる代償として魚の片目が潰れていたらしい。
大正時代以前には人々の信仰を集めた池だが、現在は完全に埋め立てられてしまった。
さんぜん釜の蛇
かつて高井戸東一丁目の大きな泉に蛇が住んでいたらしい。
悪戯をしてきた村人を一飲みにしようとしたが、逆に村人が持っている鎌で真っ二つにされてしまった。
それ以来水量は減り、村人も高熱で死んでしまったという。
1940年頃までは泉が存在していたが、今は弁天祠が郵政グラウンドの隅にヒッソリと佇んでいるだけだ。
酒の湧く貴船神社の池
井の頭線永福町駅からすぐの場所に「和泉」と呼ばれる地域がある。
その由来は貴船神社の境内に存在した水量豊かな泉があったためだ。
枯れることのない泉からは酒の香りがしていたと伝えられている。
しかし、池辺の草藪に住んでいた小蛇を切り殺してしまって以来、泉からは酒の香りが消えてしまったという。
かつての名泉も周辺の宅地化により空堀となってしまった。
阿佐ヶ谷のたたり石
かつて天沼弁天池を水源にして、杉並区内を桃園川が流れていた。
その川辺に乗ると祟られると言われてきた、大きな岩がある。
場所は阿佐ヶ谷北五丁目付近。
河北病院や玉乃湯の側といえば分かる方も多いだろう。
実はこのたたり石がかつて祀られていた場所が非常に面白い。
道が五叉路になっており、更に辻全体が急坂になっているのである。
ここの側を桃園川が流れており、妖談が非常に発生しやすい場所なのだ。
現在ではたたり石も神明宮に移されているため、この話を知っている方も少ないだろう。
Ⅱ.辻や坂の妖
光輪を纏う白狐
天沼八幡から天沼熊野神社までの道中に光輪を纏った白狐を目撃した人が居た。
1920年秋の夜だったという。
悪さをするわけではなかったが気にかかっていたため、村民と相談した結果、熊野神社の摂社として祀られる事となった。
現在は白玉稲荷神社として立派な鳥居も設けられている。
薬罐坂
杉並区HPにも掲載されている。
区内では唯一妖談から名前がついている場所だろう。
場所は上荻三丁目。
現在は善福寺川に向かって緩やかに下っていく二車線の道路となっている。
区画整理前は草木が茂る急坂だったらしく、狐や狸が薬缶に化けて出るという伝説が残っていた。
現在の形になった50年程前でも地域の子供達は怖がっていたらしい。
ちなみに薬罐坂という名称の坂は都内に4箇所ある。
坂の土の色が薬罐色(赤銅)だった事や、野干(狐に似た化け物)が出る事からやかん坂という名称になった等、微妙に由縁が違ったりする。
Ⅲ.神社の妖
荻窪八幡神社の白蛇
「大正の初め頃、(中略)子供が、神社の境内で面白半分に白蛇を殺し、その夕方行方不明になりました。」
これは杉並歴史探訪からの抜粋である。
その後村人総出で探したところ、善福寺川で1km下流の近衛邸付近で水死体として見つかり、大きな蛇が仏様の傍から逃げていった事から白蛇の祟りと噂が立ったそうだ。
実際に亡くなった子供の親の実名が出ており、実話である可能性がとても高い。
長龍寺の豆腐地蔵
長龍寺の境内にひっそりと佇むお地蔵さんには不思議な話がある。
「まだ市ヶ谷に寺があった頃、夕暮れになると坊さんがよくお店に豆腐を買いにきた。
しかしお坊さんに渡された銭は少し経つといつも木の葉になってしまう。
怒った豆腐屋の訴えを聞いた寺社奉行が、後日成敗の為に坊さんに切りかかると、坊さんはパッと消え血のついた石片だけが残った。
道に残った血の跡を辿って行くと、右耳の欠けたお地蔵様に行き着いた」
この話は当時噂になり、豆腐好きのお地蔵様として江戸中の豆腐屋さんがお詣りに来たらしい。
江戸時代に流行った妖である「豆腐小僧」と属性が似ており、何らかの繋がりがあるかもしれない。
Ⅳ.墓の妖
松の木の大塚
梅里2丁目には、かつて江戸より以前の古墳が存在していた。
宅地化される以前は塚に狐の住処となっていたという。
1913年頃には成田や田端地域のお年寄り達が、狐に憑かれた事を理由に油揚げをお供えしていた。
あたり一帯を散策したが、それらしき痕跡を発見する事は出来なかった。
ぜに塚・かね塚
南荻窪1丁目にはかつて2つの塚が存在していた。
金銀財宝が埋まっていると言われた場所も現在ではマンションが建っている。
1961年には、ぜに塚跡地に建っていた公団の社宅に坊主姿の人影が出ていたらしい。
入居希望者が減少したため、建物は取り壊されしばらく放置されていた。
Ⅴ.人の怪談
田中稲荷神社の一本松
妖談ではないが区内には「丑の刻参り」の話も実在している。
場所は高円寺南の田中稲荷神社。
これは人を呪うための儀式であるが、詳しくはご自身で調べて頂きたい。大正以前は境内の一本松に大きな釘が何本も打ち込まれていたらしい。
釘が刺さった松は無くなっていた。
上記の妖談を観察していると、今でも伝わっている妖談には下記の特徴がある。
①ケモノや地蔵などの「キャラクター(姿形のあるモノ)」が出てくる事。
②出現場所が水や坂などの王道条件に当てはまっている事。
③具体的な地域の名称が出てくる事。
妖談を想造するにはこのフォーマットに即して書いた方が説得力が出るはずだろう。
さて、ここまで長々と書いてきた記事もそろそろ終わりが近づいてきた。
材料も揃ったので今回の目的である「スギナミのアヤカシ」を想造して締めたいと思う。
舞台は現代の荻窪。青梅街道を練り歩く妖達のお話である。
それでは最後までお楽しみください。
5.天沼百鬼夜行
天沼陸橋の頂上から街道を眺める。
橙色の街灯にあてられたアスファルトは妙に艶かしい。
時刻は夜中の3時をまわったところだ。
今日は熱帯夜にも関わらず少し涼しく感じる。
おそらく他と比べて少し高い場所にあるため、風が通りやすいのだろう。
橋の下には線路が通っている。
昔はここに橋は無かったと死んだ曽祖父が言っていた。
それ以前は中央線と青梅街道が地上で交差しており、物凄く不便な開かずの踏切があったらしい。
これは後から図書館で知った。
少し背伸びをすると、荻窪駅から橋の下を抜けて阿佐ヶ谷方面に向かう線路の先にスカイツリーが見える。
真っ直ぐ伸びる線路の先にツリーの位置が重なっているため、魔界か何かに導かれているようだ。
やはり酔っ払っていると変な妄想が捗るらしい。
アラサーにもなって週の半ばから泥酔する自分に笑えてしまう。
今日もカウンターで隣の席の人に散々愚痴った挙句、泣きながら説教をしてしまった。
あといくつ年を重ねれば私は悩みから解放されて穏やかに生きていけるのだろうか。
長く吐いたため息は誰もいない夜道に吸い込まれていった。
煌々と光るツリーにさよならを告げて南阿佐ヶ谷の自宅に帰ろうと振り向いた瞬間、体が固まった。
向こうから車道の真ん中を人が歩いて来るのだ。
しかも1人や2人ではない。
黒い影が塊となってこちらへ向かってくる。
後ろに伸びる列の長さは悠に100メートルを超えるのでは無いだろうか。
近づくに連れてお囃子の音が大きくなる。
重なって聞こえるのは馬のいななく声だろうか。
息を深く吸い込んで、高円寺阿波踊りの予行演習だと自分に言い聞かせてみるが、やはり明らかに様子がおかしい。
あまりの異常さに動けずに居ると、いよいよ一団が近づいて来る。
酒と大量に流れる汗で潤んだ瞳を必死に擦りながら目をこらすと腰が抜けた。
街灯の明かりに照らされたモノ達は明らかに人では無いのだ。
小さな体に対してあまりにも大き過ぎる頭を持つ者。
馬なのか牛なのか人なのか分からぬ異形。
美しい立ち姿にも関わらず、この世の者とは思えぬ形相でこちらを見つめる女。
言葉では表せないモノ達がゆっくりと自分の目の前を歩いていく。
あまりの恐怖に今までの人生が走馬灯のように駆け巡った。
何をどこで間違えたのだろうか。
全てを他人や社会のせいにして逃げてきたツケが回ってきたのだろうか。
ひさかたぶりにちゃんと生きたいと思った。
しかし列の中から声が聞こえる。
「あの人間、私達のことが見えているね」
心臓がグンと跳ね、思わず目を瞑った。
ジュルリと舌なめずりをする音が目の前を通り過ぎる。
「見られたならば致し方ない、取って食ってやろうか」
滝のようにかいていた汗がピタッと止まった。
もはやここまでなのかもしれない。
父と母と初恋の人の顔が浮かんだ。
あの頃にちゃんと告白をしておけば良かったと涙が頬を伝う。
いよいよ死を覚悟した時、翁の面を被った小人が列から外れてヒョコヒョコと近付いてきた。
両の手の平にスッポリと収まる大きさだ。
思わず上半身だけ仰け反ると翁が笑いながら語りかけてきた。
「まあ、そう怯えなさんな」
唐突な言葉に喉がつまり声を出せずに居る自分に翁は続ける。
「別にあのモノ達も本気で言っている訳ではない。疲れてイライラしているだけじゃ」
穏やかな雰囲気に殺意は無いのだと胸を撫で下ろす。
聞く所によると一行は丸の内から青梅の山に帰っている最中らしい。
江戸時代から続く恒例行事だが、あまりにも長い旅路で疲れている上にここ最近では陸橋を登らなくてはいけない事に辟易しているのだそうだ。
「線路が無い時代はとても楽じゃった」と戻り際の翁からため息が溢れる。
その哀愁漂う様子に何故かシンパシーを感じた。
いつの間にか先頭は陸橋を降り終えて駅の向こうまで進んでいる。
「何百年生きても悩みは尽きないのか」
思わず口から溢れた言葉は、少し明るくなった東の空に霞んで消えていった。
※本記事はツブサに寄稿した文章に一部加筆修正をしております。
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