テニス上達メモ467.これで高まる自己肯定感!
▶結果にこだわるのは、自己肯定感が低いから
最近「結果」についての話を、よくします。
「結果は気にしなくていい」と。
だけど結果を出したくなるのは、なぜでしょうか?
「そんなの当たり前だ!」と思われるかもしれませんけれども、もう少し深く考察してみましょう。
結果にこだわるのは、自己肯定感の低さに由来しています。
自己肯定感とは、「結果に関わらず自分には価値がある」という、自分に対する感じ方。
ですから自己肯定感が高いと、結果にあまり関わらずにいられます。
自己肯定感が低いと、「結果を出せない自分には価値がない」という自分に対する感じ方になります。
ですから自己肯定感が低いと、結果を出したくなってこだわらずにいられなくなるのです。
▶なぜ『嫌われる勇気』なのか?
SNSで承認欲求を高めようと躍起になるのは、自己肯定感が低いからです。
「多くの人に認められないと自分には価値がない」という自分に対する感じ方の現われだからです。
自己肯定感とは、結果や他者からの承認はどうあれ、「自分には価値がある」という、自分に対する感じ方。
私は未読ですけれども、『嫌われる勇気』というアドラー心理学の本が、ベストセラーになりましたね。
一般的には多くの人が「嫌われたくない」思いでいる。
その思いに真っ向勝負で「嫌われる勇気を持ちましょう」というテーゼをタイトルに感じます。
なぜ、嫌われたくないのか?
自己肯定感の低さに由来しています。
自己肯定感が低いと、「嫌われる自分には価値がない」という自分に対する感じ方になります。
だけど自己肯定感とは、結果や他者からの承認が得られなくても、あるいは嫌われようと、「自分には価値がある」という、自分に対する感じ方。
「別に嫌われても構わない。全員に好かれるのは無理。なので自分には価値がある」という感じ方だから、結果が出なくても、認められなくても、嫌われても、「まぁ、どうにかなる」あるいは「どうでもいい」という受け入れ方ができるのです。
▶過剰な挨拶、謝罪、へりくだり、笑顔のワケは?
ひるがえって、なぜ人に好かれようとするのか?
自分で自分の価値を認める自信がないからです。
つまり、自己肯定感が低いから、人に好かれよう(嫌われないようにしよう)と腐心する。
ですから自己肯定感が低い人ほど、他人に好かれたいし、嫌われたくないのです。
そのせいで、挨拶や謝罪やへりくだりや笑顔が「過剰になる」という話は、「テニス上達メモ006.ミスしても平気でいられる『平常心(メンタルタフネス)』を身につける『はじめの第1歩』」というコラムでお伝えしました。
では、どうすればいいか?
「自分で自分の価値を認める自信がない」と先述しました。
つまり、他人に認めてもらう必要はなくて、自分が勝手に自分の価値を認めればいいだけです。
だけど、それができないのですね。
他人に認めてもらうのは、それは認めさせる努力が必要だから大変だけど、自分で勝手に自分を認めるだけなんて、簡単そう!?
しかしそれができないから、多くの人が、「生きづらさ」を抱えているのです。
▶自己肯定感の高さと、プライドの高さは、完全に反比例
自己肯定感が高いから人間的に優れているとか、低いから劣っているなどと、言いたいわけではありません(※注1)。
むしろ自己肯定感の高さとプライドの高さの関係は完全に「反比例」ですから、「俺は自己肯定感が高いから優れている!」などと言う(言わなくても思っている)人が、仮にいるとしたら、本当はかなり自己肯定感「低め」です。
ただの感覚。
自己肯定感覚であり、自己肯定思考でもありません。
ですから自分でどんなに、「自分には価値がある!」と思い込もうとしても、それは頭によって思い込もうとする「思考」ですから、自己肯定感を高めようとしても、なかなか上手くいかないのですね。
「感覚」ですから、いつも申し上げているとおり「体で覚える」体育で身につくものです(そのための具体的な方法は後述します)。
▶自己肯定感の高かった人、武井実良さん
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、自己肯定感覚。
視力が高いから人間的に優れているとか、低いから劣っているとかいう評価は、かなりおかしいですよね。
当然ですが、視力が高い人のなかにも、自己肯定感の低い人もいれば、視力が低い人のなかにも、自己肯定感の高い人もいます。
私の知り合いでは故人ですが、ブラインドテニスの発案者である武井実良さんは、視覚障がい者でありながら、あのハイパフォーマンスとバイタリティから拝察する限り、彼の自己肯定感は「かなり高かった」に違いありません。
▶どんな人にも自己肯定感は、「生きやすい」人生を歩むためのベース
テニスはミスするスポーツです。
ゲーム開始直後から「あなた今、ミスしましたよ」
「またミスですか。どうしようもないですね」
「もう0-40ですよ。ダメでしょうね」という衝撃を、次から次へと突きつけられるのが、テニスの試合です。
そこを、「ミスと自分の価値とは関係ない」という自己肯定感の高さをもってガードしないと、テニスは身が持たないスポーツ。
ですからテニスと、自己肯定感との結びつきとを、繰り返し訴求しています。
いえテニスに限らず、人である限りヒューマンエラーのミスは避けられませんから、テニスプレーヤーに関わらず、どんな人にも自己肯定感は、「生きやすい」人生を歩むためのベースになります。
「ミスと、自分の価値とは、何の関係もない」という感じ方。
こういうと「何でもかんでも自己肯定感と結びつけるな!」という反論も聞こえてきそうではありますけれども、自己肯定感が「ベース」ですから、むしろ「何でもかんでも結びつく」のです。
▶自己肯定思考ではなく、自己肯定感覚
さて、生きる上でベースとなる自己肯定感。
こういった話を理解して、なかにはすぐに高まる人もいますが、なかなか高まらない人もいます。
それは先述したとおり、頭で思い込もうとする自己肯定思考ではなく、自己肯定感覚だからです。
そこで、具体的な自己肯定感の高め方として、「テニス上達メモ056.振り回し、1000本ノック、1000球ラリー。その心は、悟りの修行!?」が役立ちます。
つまり実地に基づき自己肯定感を高める練習を、「1000球ラリー」のごとく繰り返すと、間違いがありません。
1000球ラリーと同じく、100球や200球では出てこない「感覚」が生じるからです(その具体的な方法は後述します)。
1000本ノックよろしく「速射砲」と称される、ソフトボール女子日本代表の宇津木妙子元監督のアメリカンノックを受けた読売ジャイアンツの坂本勇人内野手は、「感謝」を口にしました。
しごきなのに、なぜ感謝?
そういう肯定的な「感覚」が、引き出されるのです。
▶だれでも自己肯定感が高まる方法
自己肯定感は、自他の「ありのまま」を受け入れると急激に高まるのですが、「ありのまま」とは私自身を含め、たいてい「みじめ」「弱い」「恥ずかしい」「みっともない」「さびしい」「泣きたい」「自信がない」「汚い」「ズルい」「自分だけトクしたい」などといった「闇の本音」を、むき出しにしていくのです。
これを、1000球ラリーを行うがごとく(自の「ありのまま」を受け入れる)、速射砲を浴びるがごとく(他の「ありのまま」を受け入れる)、体育としてやる。
ただし注意点があります。
自他の「ありのまま」を受け入れる、と先述しました。
つまり自分の「闇の本音」をむき出しにしても、否定せず受け入れてくれる「他者」の存在が欠かせません。
泣きたい自分をむき出しにしたところ、「泣くな!」などと否定して言い返してくる相手ではふさわしくないということです。
そういう観点から「むき出し」にすることには、付き合うのにふさわしいパートナーを見極められるのにも役立つ利点が、あるのです。
※注1
自己肯定感と人間性とは一致しないと申しましたけれども、それは現時点で自己肯定感が高まっていない人をおとしめるような表現は避けたい意図があります。
自己肯定感が低いと、どうしても「生きづらい」のは事実です。
たとえば自己肯定感の低さとDV(ドメスティック・バイオレンス)率は、完全に正比例。
自己肯定感が高い人で、近しい人に暴力を振るうという例は、見聞きしたためしがありません。
される側もそうですが、DVをする側の人も、かなりの「生きづらさ」を抱えているのは明白です。
暴力を力づくで抑えようとしても、無力。
DV治療にも、自己肯定感を高める取り組みが有効です。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
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