働くと言う事(兄)
「働く」とイメージすると大人になってから向き合うことだ思いがちです。
しかし、実は生まれてから間もなく働いているのです。そして、しばらく経ってから学校といったコミュニティーに所属するようになり「働く」メカニズムが構築されはじめます。
それは「学ぶ」と言うこと・・・
生まれた時に「おぎゃー」と泣いてすぐに始まるのです。
ハイハイを学び、たち歩きを学びます。そして、言語を学ぶ。
学校に入ってからは勉学や集団行動を学びます。
しかし、この辺りから他人任せな「学ぶ」に蝕まれるようになってきます。
多くの人たちは学校で良い成績を取る、良い学校に受かる、良い会社に就職する、といった点に評価の基準を求めます。
そして、一生懸命勉強すれば、良い成績を取れる可能性が増えて、良い学校に進学して、良い会社に入る、よりよい人生を送ることができるといったサクセスストーリーを頭の中に描くようになります。
大人になってからは、一生懸命働く時間を増やしていけば収入が増え、欲しいものが買えて、好きなことができる、表面的に満たされることで人生が豊かになると考えがちになります。
盲目的に勉強してきた人たちは人生の本当の意味を見つけることなくただ単に与えられたものをクリアしていくと言うことに重きを置きガチになってしまいます。
一方で、自分が何をやりたいかということを常に問いかけている人たちは、遠回りをしながらも本当の意味での「学ぶ」と言うことを自分のペースでし続け、他人に助言を求めることがあってもあくまでも自分自身が主役となります。
常に自分自身で学び続けていく人は働くと言うことに人生の意味を見出します。
現在は働いた時間はもちろんですが、働いた質も問われ始めてきます。
YouTubeやプロゲーマー、など・・・昭和時代では、つゆだに想像しなかった職業や少し変わった視点からのサービスの提供が平成後半から令和にかけて続々登場してきました。
誰かが何かを考えて新しい「もの」が誕生します。
働くという事はこの世に生を受けたその瞬間から「常に脳を働かせる」という事ではないでしょうか。