ベストバウト・ザ・シーン

有田と週間プロレスとを時系列表を頼りに見直すということをここ一週間くらいかけてやった。

いつか、いつかやりたいなぁと思っていたけれど、なんせ結構な量があるんでなかなか箸が進まずにいたのだが、
本当は13機兵防衛圏をば、あれこそまさしくストーリーも有田と週プロみたいな感じで、各キャラクターごとに大筋となるストーリーがランダムに並んでいて、あるキャラクターの最後の方の話が違うキャラクターの最初の方に出てきたりすっから、誰かがこういう表を作ってくれて、スッキリした気持ちで時間の流れ通りに遊べたらな、、ともうずっと思ってるんだけども、調べども調べども中々そんな表は出て来ないので、、
ではその流れの気持ちよさだけでも体感しようという事で、有田と週間プロレスとを時系列順で見るという事で代用的に体感しようということになった。その流れがあったので流れるように最後まで楽しめた。

そしてまだ有田と週刊プロレスとを一度も見たことがないという人には絶対的にこの上の表の順番に沿って見ることをオヌヌメする。
なぜなら物語の前後に繋がりがあるというだけで、点が線であるというだけで物語の内容が頭にグングン入ってくるから。それに加えて、有田がその場限りのゲスト、つまりは点である人に向けて楽しめるようにと毎度毎度、懇切丁寧に大まかな流れを話してくれるので、そこで前回の復習をしつつ次へと進むことが出来るから。

だがこんな不景気の閉塞した時代に俺の生活の中じゃそんな暇ンゴは存在いたさない!
という輩のためにここでは僕が見通した中でも特に最高だったってとこだけに特記して話すね。🙋🏻

しかもターザン山本に習って完全なる主観よ?

でも他人を一切考慮しないとなると、もしかするとここで新説を提唱する事になるやも分からんよね??そんな淡い期待に向けてペンを走らせていこうじゃないか

話はじめる前に有田と週刊プロレスとのこの辺見とけばこれからの話分かりやすいかもってとこは先に挙げとくね。これから下はそのネタバレも含むので先にそっちを見てからこの下を見るのがいいかもしれない。できる限り説明は加えていくつもりだけども、
S1#9
S3#18
S3#14
S3#19
S3#20
S1#1
S1#2
S3#21
S2#19
S2#20

有田と週刊プロレスとを通しで見ているとプロレスの知識が備わると同時に見方というか楽しみ方も備わってくる。その見方、楽しみ方の中で一つにあるのが、ああ、この場面はあの場面を彷彿とさせるなみたいな見方で例えば、今日の後楽園ホールの天龍はあの時札幌で天龍が「今日の一勝は東京ドームより重いよ」と言ったあの一幕を思い起こさせるなとか。
軽く説明を入れておくと後楽園ホールで天龍が試合をした同じ日に東京ドームでも試合をやってて、そっちは週間プロレスが主催で全団体に声をかけてオールスター戦みたいなのをやってて、だけど天龍は師匠である馬場さんの元を離れ違う団体に行ったことでその当時、週間プロレスの編集長であったターザン山本の反感を買って、紙面あげてのバッシングを受けてて、天龍の団体も東京ドームに誘われてはいたんだけど、いいよ、俺は俺でやるからみたいな感じで後楽園でやってたんだよね。だけど天龍がかわいせえなと「新日として東京ドームにカードは出すけどオレ個人としてはWAR(天龍の団体)に行く」つって後楽園に駆けつけたのが長州なんだよね。だから東京ドームは東京ドームですごい興行になったし、後楽園は後楽園で東京ドームを選んで見れなかった人たちが惜しむようなカードになった。

で過去にもそれと同じような日があって、新日が東京ドームでやってる同じ日に全日は札幌でひっそりとやってたのだけど、その日の札幌では後々語り継がれる重大な事件が起きて、天龍が師匠であるとこの馬場さんにはじめてパワーボムを決めて勝つっていう伝説の日になって、その時天龍が口にした言葉が「今日の一勝は東京ドームより重いよ」だったんよ。だから、長年追っかけてたファンなら絶対この後楽園の日もまるであの日みたいだーってあの時の天龍の姿がよぎるじゃん?っていう話ね。

それとあと一つ思うのは、何もいいことばかりじゃなく失敗したりする時やポカする時も、終わってから振り返ってみるとここでコケるのがまさに正解だったかのようにコケるための布石がそれまでにいくつも積まれてあったんだなと気づく場合なんかもある。

ザ・コブラなんかまさしくその最たる例で、その前にブレイクしたタイガーマスクとひっくり返したみたいにその歩みがまるで逆になってて、タイガーマスクは最初でてきた時はサイズの合ってないマスクになんだあれ?ってみんなバカにしていたのが、いざ試合がはじまってタイガーマスクが動きはじめると、今まで見たことのないようなアクロバティックな動きに観衆は次第に魅了されていった。に対してコブラの場合はタイガーマスクが抜けた後でヒーローロスだった観衆は次に出てきたザ・コブラに期待を込めて、誰もが彼にタイガーマスクを重ねて見ていた。しかもコブラに関してはマスクもはじめからかっこいい!の結果、気負いすぎたコブラは後の試合展開を最悪なものにしてしまい、デビュー戦のテレビ放送がまさかのダイジェスト放送という不運な結果に終わってしまった。でもこうして振り返ってみると1番型にハマった収まり方だったんじゃないか?って思っちゃうよね。コブラには悪いけど笑

というそれらの史実を踏まえた上でね、僕が有田と週間プロレスとを通して見て、ここは1番!って思ったベストバウト・ザ・シーンは1997年の10月11日の東京ドームの高田延彦VSヒクソン・グレイシー戦。プロレスの歴史の中での一つのでっかい分岐点fateだったら特異点となる日。それは悲しくもプロレス界としてはよい方の分岐ではなかったけれど、やっぱね、それだけの歴史のうねりがこの日を起点として起こったとすると、この時それと同じくらいの別の何かも流動していたのじゃないか??とストーリー大好き人間の僕なんかは思わざるを得ない。すごく気になる。

この日大まかに何がどうなったのかっというと、もしかして今1番強いのはヒクソン・グレイシーって人なんじゃないか?巷で騒がれていて、その当時高田延彦はUインターって所で「最強」を掲げて最強をやっていた。それにはちゃんとした裏付けもあって、昔、北尾っていう狡いレスラーがいた時、そいつが高田と戦うのにも色々難癖つけて、ルールを自分が負けないように負けないように変更した上で臨んでくるような奴で、だから高田対北尾戦を見にきてたお客さんの心理としてはあーあ、こんなん、絶対決着つかんやんとテンションが完全に⤵️⤵️⤵️の方だった。そんな中で高田がハイキックを首に1発ズドンと喰らわせて、北尾がぶっ倒れて、観客のこれまで溜まりに溜まっていたフラストレーションが高田の一撃で一気に発散されたっていう名場面があって、だからこの時もあの高田ならなんかミラクルを起こしてくれるんじゃないか??!みたいな期待感が観客の中にあった。だけど結果は残念ながらあっさりと高田が負けてしまってお客さん全員呆然としてしまい、ショックのあまり交通機関が使えなくなってみんな徒歩で家に帰ることになる。負けた高田もシャワールームで嗚咽が外に漏れてくるくらい号泣していたのだそう

その一件のせいで、プロレス好きたちの中で俺たちが最強だと思ってたものってなんだったんだろう?とこれまでプロレスに抱いていた幻想を打ち砕かれたような空気感が広がっていき、それを機にプロレス人気は下火に。プライド、K-1といった総合格闘技の方にごっそりファンが流れてしまう。という現象が起こる。それでこの日は「プロレスが死んだ日」と呼ばれるようになる。

なんでそんな悲しい日をぼくがベストバウト・ザ・シーンに選んだかというと、この場面にはもっと他の意味もあったような気がするからだ。というか僕の妄想の中では他の意味がある。たとえ現実がそうじゃなかったとしても、俺だったらここはこういうストーリーテリングにする。だからここから史実とは異なってくることを覚悟して読み進めていってくれ

ではぺこぱ的に言うのならばこっからは時を戻そう🔄

この高田延彦対ヒクソン・グレイシー戦で思い浮かぶ場面というのはもちろん北尾対高田延彦もそうなのだけど実はこの場面において語られなければならない人物がというのがもう一人いるのだ。それが田村潔司という男。
この人、一体どんな人物かというと、高田がリーダーでもあるUインターって団体に属している人でこの人、なかなかの偏屈者。自分がこうだと思ったら絶対にそうしないと気が済まないってタイプの人間。一度東京ドームで新日とUインターで対抗戦が行われるという時も若手ならばその名が知らしめられる絶好の機会だというのにも関わらず、一人だけ欠席してみんな東京ドームの観客の前で華々しく試合を行ってる中1人道場で練習に打ち込んでいたりと、そういう自分勝手なことを続けてたある時K-1の舞台に挑戦する。自分勝手やりすぎてUインターには出戻りがきかないような負けたら即引退くらいの気持ちで挑む。K-1実践で田村は戦ったことがない上に相手はパトリックスミスっていう経験豊富な猛者で、生で観に行っていた有田も正直これは…と思って見てたらしい。だけどそれに見事勝利してもう田村は亀井がサヨナラホームラン打った時ばりに泣いたらしい。でそこにはリーダーである高田を除いたUインターに所属している殆どの選手が客席に見にきてたそう。

ここから完全に俺の架空に物語に入っていく。なんで田村が大会をボイコットしてまで一人でそんな風な事になってしまっていたのか?といったらその主なとこはリーダーである高田に対して色々思う所があったからじゃないか?と思う。もしかするとリーダーの在り方として前リーダーでもあった前田と比較するような所があったのかもしれない。もともとUインターって団体は前田が率いるUWFって団体が三つに分かれたうちの一つの団体だから。この前田って人も結構これまた不遇な人でかつて全日に来ないか?と誘われた時も前田と高田だけでって条件を出された事で全員でじゃないとちょっと行けません。と一度断ってるんよ。その結果今どうなったかというとUWFは3分裂になり、そのうちのひとつは前田さん一人きりだよ。それもちょっとなあ…って感じでしょ?ある意味1番参ってた時かもしれない。そんな時にUインターで一億円トーナメントってのを企画して勝った人がこれ持っていっていいですよ。ってアポなしで各団体の有名所の人に手紙を出して、乗ったらうちの儲けもんだし、乗らなかったら乗らなかったではい逃げたね。みたいな感じのスタンスで手紙を一方的に送りつける。当然ほとんどの団体は無視。その中唯一反応示してくれたのが前田で、前田としてはどうせどっからも反応ないんだろうから7対7でやった方が盛り上がるんじゃない?とUインターに提案をしたところそれに対して高田が「ごちゃごちゃ言わんとやったらよかですやん」とかつて前田自身が言った言葉を皮肉って返して前田がカチンとくるみたいな出来事があった。この時、何もカチンときたのが前田だけだったとは限らないよね?もしかしたら高田に不満を抱えてた内部の人間もちょっとその振る舞いは男の中の男としてどうなのだ?それを無理クソ因縁とかに繋げていくのってどうなのだ?と思ってたかも分からん。たとえば田村あたりが。だから高田が引退宣言をして一番窮地陥ってる時に「僕と真剣勝負して下さいよ」って田村が煽ったのもお前がやってたのってこういう事だからなみたいな当て付けの意図があったのかも分からん。
まあ高田と田村の仲が本当の所どうであれ自分の弟子の晴れ舞台に自分だけが居てやれなかったってのは、高田としてはやっぱ何処か心残りがあったばずだよ。

でこの田村と高田延彦VSヒクソン・グレイシー戦の何がどう結びついてくるのかというと、高田はこのヒクソングレイシーと戦うちょっと前にキングダムって団体を作るんだけど、そこで自分はリングに上がる事なく、このヒクソン・グレイシー戦に向けてまさにいつかの田村のように一人練習に打ち込むんだよね。

そうしてヒクソン・グレイシー戦に臨むわけだ。

で東京ドーム高田延彦VSヒクソン・グレイシー戦、客席には誰がいたかというと、前田がいたんだ。自分の弟子である田村の試合では自分がいてやることの出来なかった場所に前田はいたんだ。

僕は高田が負けた主な敗因はこの時客席に前田がいたからだと思う。

試合が終わってヒクソンに負けたショックから流しているのだろうと、誰しもの目にそう映っていた高田の涙はそういったその他諸々の理由もあって溢れ出てきているのだということを高田本人だけがそれを理解していた。

高田はヒクソン・グレイシー戦の勝敗がどちらに転ぼうが自分が彼の師である事には変わりないということを自身のキャリアを通して田村に示そうとしていたのかもしれない。

昔、キム・ギドクのサマリアという映画で売春婦の親友が亡くなった後でその親友が関係を持った男たちを辿って、同じ行為をして逆にお金を渡していくっていう映画があったけれど、僕はこの場面なんかまさしくサマリアみたいじゃないかと思いながらずっと見ていた。

で、その後の物語はどうなっていったのかというと、、

続きは言葉だけで語るのは勿体無いのでぜひ有田と週間プロレスとファイナルシーズンの#14#15を見て、あとはYouTubeなどで実際に人が動く試合を見て、その結末をどうぞ自分の目でお確かめ下さい。

いいなと思ったら応援しよう!