
君はわたしにとっての100%
村上春樹が苦手だった。
離人症みたいに、自分を俯瞰したような語り方。
突如始まるセックス。
ちょっと不思議な雰囲気があり、そこが魅力とされる女の子。
でも、短編『4月のある晴れた朝に、100パーセントの女の子に出会うことについて』は、とても気に入っている。
タイトルがなんだか、ラノベみたいな長さだなぁと思う。ストーリーも特にない。
ただ、僕にとっての100パーセントの女の子と
原宿の裏道ですれ違った、それだけの話。
けれども私はこの自分にとっての100パーセントが
いる感覚が、とてもよくわかる気がするのだ。
しかもそれはしょっちゅうある。
うちで一緒に暮らしているハムスターに、
「あなた(ほんとは名前で呼んでいる)は、
私にとって100パーセントのハムスターなんだよ」
大好きだった人に、「ね、ほんとに私にとっては100パーセントなんだよ」とか。
村上春樹の本作では、直感的な100パーセントに
ついて語っているけれど、私は一目見てすぐに
分かる100パーセントと、育んでいく方の
100パーセントがあると思う。
100パーセントに至るまでが違うけれども、
どちらも比べたりする必要なく、愛おしい存在で
あることに変わりはない。
40パーセントなもの、75パーセントなもの、
そういうものに折り合いをつけて、付き合って
いくことで生活は成り立っていくのだけれども、
そんな中で100パーセントに出会えるのであれば、
それは運命だと思う。
運命だからって出会えたからって、必ず手に入る
ものではないけれど。
もし側あるのなら絶対に大事にして、
手放さないで欲しい。
なくさないで欲しい。
私は欲張りだから、沢山の100パーセントに
囲まれて暮らしたい。
100パーセントなものや人は、探しに行くのでは
なく、ふとした時に出会えるものだと思う。
だからもし、そういうものに出会えた時に
ちゃんと、
「あ、これは私にとっての100パーセントだ」と、
きちんと分かる自分でいたい。
そんなことを私はのんきに、こたつの中でぬくぬく考えているのだ。
羨ましかろ?