ひいらぎの窓【第一回】:蒼いマフラー小さく胸におしこんでgo went gone good good girl/東直子
こんにちは、こんばんは、はじめまして。お読みいただきありがとうございます。
湯島はじめと申します。趣味は短歌です。
この「ひいらぎの窓」では、どこかにすこしさみしさのある短歌を毎週一首選び、歌から想像できることや好きなところ、歌によって思い出したことなどを話してゆきます。
短歌は基本的には5・7・5・7・7の31文字の短い詩ですが、読む人によって、読んだ時の気分によっても様々な感覚やイメージを呼び起こします。でも、好きなところはもちろんのこと、短歌の解釈に正解はないと思っています。
この連載を読んでくださった皆さんが、短歌を読んで感じたことをたくさん教えていただければうれしいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
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本日とりあげる一首はこちらです。
かっこいい歌です。けど、なんとなくさみしい歌です。
なんといっても歌の後半「go went gone good good girl」が印象的で、言葉あそび的な音のそろえ方は口に出しても気持ちがよい。
行く・行った・行ってしまった(帰ってこない)女の子。
音のリズムがいいだけでなく、単語自体のもつ意味もストーリーを産んでいる。
挟まる「went」は息継ぎをしているような、一度つばを飲み込んでいるような、なにか自分を納得させるための呟きのような響きのように思う。
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「蒼いマフラー小さく胸におしこんで」
このフレーズも、詩的で気にかかる。
私はこのフレーズを、
マフラーを巻いて、その先っぽをジャケットやコートの胸元におしこむという現実の動作ではなく、
「蒼いマフラー」そのものを、「胸」そのものにおしこんでいるというふうに受け取りました。
蒼いマフラーというのは、実際に存在しているアイテム(またはその思い出)なのかもしれないし、感情や強い意思のたとえなのかもしれない。赤ではなく、青でもなく、蒼。そこには孤独やきびしさ、さみしさがにじんでいるように感じる。
ところで英語の時制系をとなえると、一気に学生時代に引き戻されたようでやや憂うつな気持ちになってしまうのは私だけでしょうか……。
日本で、英語の勉強をするとき動詞の時制を「see saw seen」だとか「buy bought bought」だとか、唱えて覚えた人も多いと思います。
でも、この歌につかわれている「go went gone」というフレーズがそういうノスタルジーを呼び起こすことは、作者の意図したところという気がする。
もう会えなくなった友達や、別に仲良くもないし話したこともほとんどないけど、突然ふっといなくなってしまった子の記憶が、ほとんどの人にあると思います。
go went gone、なつかしの暗記のフレーズが、日々のなかでいつもは忘れているそういう子の記憶をより鮮明に想起させる気がするのです。
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今日の一首の作者は東直子(ひがしなおこ)さんです。
1963年生まれ、広島県出身の歌人で、歌集のほかに小説やエッセイも多数書かれています。
東直子さんの小説『長崎くんの指』、子どもの頃に読んだときから大好きでなんども読み返している本です。
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