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わたしたちの夢見るからだ:あとがき
ということで連載が終わりました。わー。
読んでくれた方がいたり点滅社さんに書くのをいっぱいサポートいただいたりして、とても嬉しかったので、お礼に代えまして、何かあとがきっぽいことを書きたいと思います。
わたしは普段から頭にたくさん言葉が漂っている人間なので、点滅社さんに連載のお話をいただいた時もエッセイって書けるかなみたいな案じ方はしなかったのですが、ただ自分のために書き連ねるのと、読んでくださる方を想像して書いてゆくのは全く違う作業で、想像しなかった方向の不思議なたいへんさと面白さがありました。
ひとに向けて言葉を使うということは、自分自身の今もこれまでも考えも価値観も、自分の全てを晒してゆくことなんだなあと感じ、その事はこわくもありましたが、思えば舞台に立つ人の身体もそういう雰囲気だよなあとよく書きながら思っていました。(舞台上に立つということは自分自身を世界に向けて開いてゆくことに他ならない。何も隠せない、隠せないということすら隠せない。絶対的に何もかもが明らかになる場所で、生きている姿そのものが生への問いと立ち上がってくるということ。)
生活を足場にして身体をつかもうとすると、ともすれば意識に使役する道具のような、偏った肉体像にはまり込みがちだということをよく思うんですが、使う、使われるの関係に押し込めようとしても、わたしたちの身体は本当は全然そこからはみ出したりずれたりして、それがつらい事もあるけどめちゃくちゃ面白いんですよね。身体にまつわる苦しいこともいっぱいありますが、それ以上に、身体と共に、身体として、生きてゆくことは美しい謎や驚きに満ちている。わたしはこのわけのわからない身体というものがとてもだいすきです。
そういうことを改めて文字にしてみて、もしそれが自分以外の誰かにも何かしら良いようになっていたら、そんなに嬉しいことはない、そうなってたらいいなー!という感じです。
書くことで作ることへの新しい問いが生まれたり、またそこから書きたい事が出てきたり、連載のことを考えながら生活するのは新鮮で刺激的なことでした。
タトゥーのお客さんやSNSで繋がっているけど普段やりとりのない方とか、思わぬところから読んだよ、と言っていただけたりもして、嬉しかったです。
必ずしもじょうずにテンポ良く書けたわけでなく、たくさん間が空いてしまったりしましたが、こうして人目に触れる場所で文章を書く機会をいただけて幸いでした。
点滅社さんも、読んでくれた方も、本当にありがとうございました。