文月、黄昏。

梅雨のうざったい湿度を帯びた空気を全身に纏いながら隆弘が仕事帰りに商店街を歩いていると、七夕の飾りつけをしていた。生まれてから26年間この街に住んでいる隆弘と顔なじみのおじさん達が汗を流しながら大きな笹を固定している。

「おぉ、古賀さんちのぼっちゃんじゃねぇか」
「なんだ隆弘君、仕事帰りか」
「隆弘、手伝っていけよ、お菓子やるから」

とっくにこの街を出て上京した同級生の父親たちに次々と声を掛けられる。お菓子をやると言ったのは、幼馴染のもっちこと、望月裕也の父親の充おじさんだ。隆弘の父親は物心つく前に事故で亡くなっていて、憔悴しきっていた母の晴美を励まして仕事を紹介してくれたり、家庭内で男手が必要な時に助けてくれていたのが充おじさんだったらしい。隆弘にとってはおじさんというより父親のような存在だった。

「充おじさん、俺もうガキじゃないんだから、お菓子よりビールがいいなぁ」
「なんだ、いっちょまえに酒の催促かぁ。まぁいい。設営終わったら連れてってやるから、ちょっと手伝え。お前のその長い腕でこの紐思いっきり引っ張ってくれや」

腹が減っていたが、長年育った街のイベントだ。隆弘もやぶさかでないと思い、言われたとおり大きな笹を支える太めのロープを手に巻きつけて、思いっきり引っ張った。さっきまでだらんと垂れ気味だった笹が程よく起き上がる。紙や布で出来た飾りを付けられた笹を起こすのには結構な力が必要だと、隆弘は初めて知った。

「おぉ!流石、若い奴は違うな」

同級生の亮の父親である玄太おじさんが声を上げる。正直、苗字は忘れている。

隆弘の協力あってか、割と早く笹の設置は終わり、笹の下の方の細かい飾りつけや短冊を書くスペースの設営が始まった。とはいえテーブルを並べて、予め作ってあった箱等を置いて行くだけだ。ポストのような箱に入れられた短冊は月曜日と木曜日の周期で回収して笹に飾られるシステムらしい。

「隆弘君、これをテーブルの両端と中央の3カ所に貼っておいてもらえる?」

裕也の母親、そして充おじさんの奥さんの頼子おばさんに、ラミネートされた紙を3枚渡された。最近あっていないが、白髪が増えたように見える。渡された紙を見ると、織姫と彦星のイラストと

『短冊の表面には嘘の願いごとを、裏面に本当の願いごとを書きましょう』

と書かれている。この綺麗な字は頼子おばさんに違いないと隆弘は思った。

「おばちゃん、これどういうこと?短冊って表とか裏とかあるの?」

さっき色とりどりの短冊の束を見たが、両面に色がついていて特に表裏はなさそうに見えた。隆弘はこの不思議なシステムに疑問を抱いた。

「表裏なんて、ないわよ。でももう3年くらいかな。この紙を貼ってるのよ。気づかなかった?」

隆弘はこの3年仕事に忙殺されていて、地元のイベントには一切顔を出さずにいた。それでも商店街を歩いていれば普段も誰かしらに会えていたので存在を忘れられることは無かったが、今日のように準備に声を掛けられることは無かった。おそらく顔に出ていて、気を遣われていたのだろう。

「いや、俺も久しぶりで・・・知らなかったなぁ。でも、表も裏もないならなんでこんなことを」
「どっちが本当かわからない方が、本当の願いごとを書きやすいでしょう」

例えば自分で表面と決めた方に「宝くじが当たりますように」裏面と決めた方に「海外旅行に行きたい」と書けば、書いた本人にはわかっても他の人が見たらどっちが本当だかわかりはしない。面白いじゃないかと隆弘は感心した。

「でもやっぱり、恋愛系の願いごとが毎年多いわね」

頼子おばさんがにこにこしながら言った。確かに「〇〇君と付き合いたい」なんて内容が書いてあるのは裏面だろう。それはわかってしまう。しかしそんな本気の願い事を商店街のイベントに書く人もいるのかと驚く。色々な人が短冊1枚でこのイベントに参加しているのだと思ったら、準備に関われたことも嬉しく思う。


「隆弘ぉ、お前もこれ書いていけ。設営チームは1番に書けるんだぞ」

設営が終わり撤収作業をしていると、充おじさんが黄色い短冊を1枚渡してきた。

「え、俺も?なんか恥ずかしいじゃん」
「バカ言え。みんな書いてんだから、恥ずかしくもねぇって。今書いておけば、脚立もあるしよ、高いとこに飾ってやるよ」

確かにさっきから何人か交代で短冊を書いては飾っている。サクラじゃないけれど、こうして最初に設営チームの短冊を飾っておくことで他の人も後から願い事を書きやすくなるのかもしれない。充おじさんは隆弘が受け取るまで短冊もペンも引っ込めることはしないようなので、わかったよと言ってテーブルの隅でサラサラと書いた。充おじさんは笹の所にいたので、「書いたよ」と言って渡す。

「なんだお前、『テストで100点取れますように』って、まだテストなんか受けてんのか」
「読むなよ!もう、そういうのは読まずに飾るもんだろ」

そういえば頼子おばさんも、恋愛系の願いごとが多いと言っていた。結構みんな読んでるのか。

「まぁ飾っといてやる・・・」

裏面を見た充おじさんが短冊と隆弘を交互に見て満面の笑みを浮かべる。

「だから、読むなって」

夕焼けに染まっただけではない赤い頬を腕で隠しながら、隆弘は充おじさんを睨む。はっはっはと声を上げて笑いながら、脚立を上って笹の一番高い所に隆弘の短冊を飾っていくおじさんを見ていると、自然と笑顔に変わる。

最後に、設営した全員で大きな笹の前で写真を撮った。隆弘の飛び入り参加は皆にとって嬉しいことだったらしく、センターで充おじさんと肩を組まされた。

「さて、打ち上げ行くぞ。奢ってやる」
「あ、本気だったんだ。じゃぁ母さんに連絡するよ」
「お、待て待て。俺がしてやる。遅くなるってな」

遅くなるのかよ、と思いながらも、母も充おじさんと話すのは久しぶりだしいいか、と任せることにした。おじさんの携帯にももちろん晴美の連絡先は入っていて、隆弘は母親とは違い慣れた手つきでスマホをいじるおじさんに関心しながら見ていた。

「お、晴美ちゃんか。久しぶりだなぁ。あぁ、今隆弘と一緒でな。七夕の設営手伝ってくれたもんでよ、打ち上げ連れてってもいいかな。あぁ、そうそう。うん。明日土曜だし、ちぃっとだけ遅くなっちまうかもだが・・・晴美ちゃんも良かったらどうだ?あぁ、そうか、そういうことなら、任しとけ。あぁ、ちょっとかわるな」

おじさんがスマホを渡してくるので、もしもしと言うと母が楽しそうに言う。

「なに、もっちのお父さんやけにご機嫌じゃない。あんたそんなに頑張ったの?」
「別に普通だよ。まぁ、そういう訳で遅くなる」
「お母さんもどうだって言われたけど、手伝ってないし気遣っちゃうから遠慮したわ。お味噌汁残しておくから、明日の朝食べなさい。久しぶりなんだし、とことん付き合ってあげなさいよ。頼子ちゃんにもよろしくね」

はいはいと言って切ると、緩めていたネクタイを外してポケットにしまう。晴美も自分の息子が生まれ育った街のイベントに関わるのは嬉しいのだろう。

保護者同士の飲み会でよく使うという居酒屋に入った。隆弘は初めてだ。店主と充おじさんは同じくらいの年齢に見える。ハキハキとした声が響いた。

「いらっしゃい!お、みっちゃん今日は若いの連れてんなぁ」
「こいつ、息子の幼馴染でよ、俺からしたらもう1人の息子みたいなもんよ」

どうもと挨拶して、設営チームは広い座敷に通された。乾杯用の瓶ビールとグラスが運ばれて来て、充おじさんと一緒に一番奥に通されてしまった隆弘は慌てて座敷の入口まで行ってグラスを配り始める。

「おい隆弘ぉ、仕事じゃねぇんだ。俺らに気ぃ遣うな。そうやって若ぇの1人動かして気持ちいい奴なんかここにはいねぇよ」

充おじさんがそういうと、玄太おじさんや頼子おばさん、それに隆弘が今日初めて知り合ったおじさんやおばさんも皆が頷いて自分たちでグラスを回していく。

「いいのよ隆弘君。同じチームなんだから。今日は私たちだって男を立てたりしないわよ?まぁ、いつも立ててないんだけどね」

そういって上品にふふふと笑うおばさんの名前もこれから知る事になるだろうと思うと、隆弘も笑顔になった。全員にグラスが回りビールが注がれると、充おじさんが立ち上がった。

「さぁ皆、お疲れさんだったなぁ。今日は飛び入りで古賀さんちの隆弘も参加してくれて、おかげで今年も七夕が華やかになるよ。盛り上がるといいなぁ。んで、その打ち上げってことで、いつもだが無礼講だ。自分の酒は自分で注げよ?そんでもって、今日はもう1つ。店には悪いが、あんま飲みすぎんな。隆弘以外、俺らはもう若くねぇ。ちゃーんと身体のこと考えてな」
「なんだ、みっちゃん、今日はやけに喋るじゃねぇか」

店主がちゃちゃを入れる。チームの皆も不思議そうにしている。いつもはこんなに長くないのかと隆弘は思った。

「しょうがねぇだろ。ちゃんと注意しとかねぇと、俺らが倒れたら隆弘の願い事が叶わなぇからなぁ」

ニヤニヤしながら充おじさんが言うと全員の視線が隆弘に集まり、余計なことをと思いながら顔を真っ赤にした。

「ま、あれだ。七夕終わったら撤収もやるし打ち上げもする。ハロウィンやらクリスマスに年末年始もやるさ。けどよ、また来年の七夕も皆で頑張ろうや。つーことで、グラス持て。乾杯っ」

隆弘は最初に充おじさんと乾杯した。周りのおじさんおばさんが次々に乾杯しに来てくれる。自分が行かなきゃいけないのにと頭を下げようとしたが、そんなことしたら充おじさんに怒られるかもしれないと思いやめた。

「隆弘君、願い事なんて書いたの?」

ほぼ全員、そして店主にも同じことを聞かれたが、充おじさんがほとんど言っちゃったよと言うと、皆が笑顔になった。


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