ちゃんとさよならして
インクを刷り込む音が一定のテンポで流れていく。職員室のコピー機は調子が悪くて、1枚印刷するのに1分くらいかかってしまうらしい。そのリズムはだんだんと僕の身体に入り込み、僕は慣れ、そして目を閉じた。思い出すのは、あの何もない、ただ白いだけの寂しい世界だ。
狂ってしまいそうになる、エタノールの臭い。エタノールという言葉は、最近覚えた。今まではずっと、病院の臭いだった。3人で、怒られるまで夜更かしして笑いあった、あの白い部屋。翔くんと剛士くんと僕の3人で、勝手に抜け出して先生に怒鳴られた、あの白い部屋。
翔くんお手製の、アホみたいに長い双六は今でも僕の手元にある。退屈な部屋で、楽しい時間が少しでも長く続くように、『ふりだしにもどる』がやたら多い。紙でできたサイコロがボロボロになるのが面白かった。
剛士くんが、小学校に入ったら使うんだと自慢していたかっこいい野球グローブも、きれいなまま僕が持ってる。剛士くんは寝ていたけど、僕は剛士くんのサンタさんがそれを置いていく時、寝たふりをしていた。あの時の剛士くんの手には、少し大きいグローブ。
僕ひとり残ってしまって、枕の隣にそれらを並べて眠った、あの白い部屋。
ポンコツなコピー機の奏でるリズムが、あの日の点滴とリンクして、何度も思い出して飽きてしまいたい記憶を呼び戻す。
大きくなるにつれて、何故だか鮮明になっていく記憶が嫌だった。最後の会話や着ていたパジャマの色、浮かんでいた雲の形。その程度で良かったのに。声や、表情。笑う時にできる皺の形。吐いたりして苦しむ時の、息づかい。思い出す度に自分が生きていると実感してしまうことを、翔くんと剛士くんは許してくれるだろうか。
やたらと印刷を待たされたプリントの束を、日直の春山さんと教室に運ぶ。僕は一生懸命、今いる世界を見ようと頭を振った。
「ねぇ、新しいサイコロを作らないと。もうボロボロだったよね」
春山さんが、5年生にしては大人っぽい声で言った。僕より背が高く、お姉さんみたいだ。
「そうだね。でも僕、今日はこの後練習があるんだ」
「そっか、野球の日だね、残念。またみんなで新しい双六作ろうね」
教室の正面にある教卓にプリントの束を置いて仕事を終えた僕は、ランドセルとスポーツバッグを取って春山さんとさよならをした。スポーツバッグには、剛士くんのよりひと回りくらい大きいグローブが入っている。まだバットは買ってもらえてない。教室の後ろの黒板には、クラスのみんなが作ったオリジナルの双六が数枚貼ってある。サイコロを作るのは、僕が一番速い。
僕は春山さんとはさよならできても、翔くんと剛士くんとは、ずっとさよならをできていない。2人のお葬式だけはほとんど記憶が抜けている。お母さん曰く、僕はずっと目を瞑っていたらしい。ひとつだけ覚えているのは、お母さんの
「ちゃんとさよならして」
という言葉だ。僕は
「まだしたくない」
と言った。まるで、サービスエリアでトイレに行って来なさいと言われた子みたいに。それしか覚えていない。
僕が翔くんとさよならできるのは、双六作りのブームが廃れてからだろうか。剛士くんとさよならできるのは、野球を辞める時だろうか。さよならするというのは、思い出と離れないとできないのだろうか。
僕はこれから野球の練習を頑張るし、明日は新しいサイコロを作って学校に行く。まだ、したくないから。
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