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生きづらさの理由を知って救われた話

今からお話するのは、私自身が幼い頃から感じていた違和感の理由が、自分のセクシュアリティにあるということがわかって救われた、私の体験談です。

出来るかぎりコンパクトに短くまとめました。

今読んでいただいているあなたのまわりにいらっしゃる同僚の方。
少し過去に遡っていただいて、幼なじみや学校のお友達の中に、恋愛話が苦手そうな人がいませんでしたか?

もしかしたら、その人たちは私と同じようなセクシュアリティの持ち主だったかもしれません。

ご家族の中にいらっしゃる可能性もあると思います。

少しでも興味を持たれましたら、読んでいただけたらうれしいです。

物心着いた頃からすでにあった違和感

私は幼い頃から、自分が女性であるという意識が薄く、どちらかというとボーイッシュなタイプでした。

スカートをはくことにも違和感がありました。

幼稚園に入ると、「あの子が好き!」と嬉しそうにはしゃぎ、バレンタインデーにはチョコレートを用意して登園してくる女の子もいました。

でも私には全くわからない感覚で、戸惑ったことを今でもよく覚えています。

小学校に入ると、好きな男の子について本気で悩むようなお友達も増えてきました。

私はと言えば、、、やはりその感情が全くわからない…
「(天馬)ちゃんは誰が好きなの?」
当たり前のように聞かれるこの質問に、いつも戸惑うばかり。

この感覚は、高校を卒業する頃になっても変わりませんでした。

私には人として重要な何かが欠落している

短大に進学し、何となく好きな異性にも出会いましたが、その「好き」は”人間”として好きなのであって、”異性”として好き、とは違うような気がしていました。

でも、この社会では、「好きな異性がいない」ことは正常ではなく、どちらかというと異常なことのようでした。
私は、好きな異性を見つけるように努力をしました。

社会人になっても、状況は全く変わりません。
女の子が3人集まれば始まってしまう「恋バナ」は、私にとってはとても苦痛でした。
でも、何とか話を合わせて過ごしました。

異性とお付き合いもしましたが、いつも感じていたのは、相手の感情と自分の感情のレベルに存在する、どうすることもできない「ズレ」。

そのズレをごまかすことができず、異性とのお付き合いは、あまり長くは続きませんでした。

そんなことを繰り返すうち、人から好意を寄せられることが怖いと感じるようになってしまう始末…

相手は何にも悪くないのに、自分を好いてくれているような(本当のところはわかりません)相手には、意識して少し遠ざけるような態度をとる、そんな大人になってゆきました。

傷つけてしまった人もいると思います。
でも、自分ではどうすることもできないのです。

傷つけたくないから遠ざける、でもその行為自体が人を傷つけているかもしれない。

そんな誰にも相談できない、言葉で説明することが難しい感情を抱えたまま過ごす毎日。

恋バナが苦手って生きづらい

会社にお勤めしても、同僚たちとの会話のテーマの中心はいつも「恋バナ」。
居心地の良くない日々が続きました。

毎日蓄積されていく、ストレス。
「で、あなたはどうなの?好きな人は?結婚は?」
そんな問いかけに私は、返すべき言葉を持っていませんでした。
説明ができないのです。

他者に恋愛感情や性的欲求を抱かないセクシュアリティ!

そんな生活の中、ある若い女性の衝撃的なツイートを発見しました。
内容はこんな感じ。

「他者に恋愛感情や性的欲求を抱かないセクシュアリティが存在する」

このようなセクシュアリティのことを、「アロマンティック・アセクシュアル」と呼ぶそうです。

近頃では、LGBTについての話題をよく耳にするようになりました。
LGBTとは、同性を好きになったり、女性の体を持って生まれても心は男性だったり、そういうことだと認識していました。

しかし、セクシュアリティとは、そんなシンプルなものではなかったのです。

そして、自分自身がこの「他者に恋愛感情や性的欲求を抱かないセクシュアリティ」に属するのだと、初めて認識しました。

この事実を知った時、心がストンと楽になり、自分自身を初めて理解してあげられたようなうれしい気持ちになりました。

私以外にも私のような人たちがいるんだ!

『知る』ということの偉大さ

”自分は人を愛する”という感情のどこかが欠落した変わった人間なんだ”

物心がついてからずっとそう思って、生きづらさを感じていました。
でも30代後半で『アセクシャル』『アロマンティック』というセクシュアリティの存在を知り、救われたのです。

人にわかってもらいたいという気持ちよりも、なにより、自分が自分のことを理解できたことで、生きることがだいぶラクになりました。

『知る』ということの偉大さを感じています。

こんな考え方がある。
こんな人たちがいる。
こんな世界がある。

それを知る前と知った後では、世界の見え方がまったく違います。

私はもっと知りたいし、必要な人たちにはもっと届いてほしい。

そして、誰かがそばにいるだけで、ありふれた毎日があざやかに彩られる感覚は、恋愛感情だけじゃないよって、伝えたいです。

私にも愛おしい人はいます

それと、最後にもうひとつだけ。
恋愛感情が無いからと言って、感情が無いわけではありませんよ。

私にも大好きな人たちがたくさんいます。

「愛おしい」とさえ思う。

「あなたのことが『人』として大好きなんだよ」ということをちゃんと伝えたい、まっすぐ伝えたいといつも思っています。

そのためにも、言葉の解像度をあげる努力をしていこう。

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ひたむきで誠実なもの
不器用で目立たないものにこそ
きれいですねってちゃんと伝えたい

まあるくてあったかいものに出会ったら
ありがとうって伝えたい

心を動かされたその瞬間の気持ちが
あざやかに心を満たしている今この時
この感覚を逃さないうちに
今すぐまっすぐ伝えたい


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