日記たち
11.5
今日は自転車で上野公園に行った。
美術館でトイレだけ借りて、動物園に行って、また美術館のトイレを借りて帰ってきた。奥さんは、「サイが1番、本能で怖いと思えた。魂が震えた、よかった。」といっていた。私は同じ意味で、ハシビロコウが1番だと思った。あと、木はてっぺんが見えていないと、大きさがわからなくてこわいと思った。
家に帰ったら、私はソファで寝てしまって、奥さんがその間に、洗濯物を干し、夜ご飯を作り、私のために痛み止めを買いに行ってくれていた。他人事みたいな表現で怒られる気がするから本人には言わないけど、魔法みたいにシュバババと家事をこなしていて、すごいと思った。
私はこの魔法使いとの日々が大切で、ハシビロコウとバクと大きな木がこわくて、生理初日はやっぱりしんどいことが分かった日だった。このくらいの大きさで生きることは、簡単に壊れてしまいそうです。慎重に続けていきたい。
11.10
大人数でのコミュニケーションが苦手だと思う。お酒が入ると特にそうです。
本当に言いたいこととか、本当に思っていることが言えなくなり、自分がどんどん薄くなる感じがします。今喋ってるのは誰やねん。
言っちゃいけないこと、意識すればするほど言いたくなっちゃう。あれ、まじでなんですか。
場を面白くしようと悪役を演じて、本気で嫌われた気がして、翌日しっかり凹んだりもします。何してんねん。
あとめっちゃ脱ぎたがる。やめろ。
コミュ力のかたまり!と人から言われた。こんな私を見て言わないでほしいかも。
想像上の他人に、振り回されすぎている。
11/13?
人の心の綺麗なところだけを撫でる作品に、どれだけの価値があるんだろう
11/14
大学時代に死ぬほど通った立ち飲みの居酒屋で、この冬からおでんやるらしい。だし割飲めますか?って聞いたら、「やる予定だよ😊」って返ってきた。中華バルなのに。
昨日から、恋の自由と10代の女性と結婚する中年男性について考えている。少しもやっとしてしまうのは、ある程度パターン化されている加害の構図にフワッと掠るからなんだと思う。過去の自分の痛々しさや、未熟さ、勘違い、そういうものを、投影してしまうからなのかなと思う。
同時に、恋を否定される苦しさは痛いほどわかる。
思考停止はしたくないけれど、もう考えたくなくなるほど、ダブスタです。
今日の夜ご飯はコンビニで買ったサラダとつくねだった。奥さんは、「コンビニのおでん考えたやつ、発想力実行力ともにすごすぎ、絶対文化祭とかうまい」って言ってた。
とっても寒かったけど、サンダルで歩いた。自分がどこにいるかわかる感じがした。
11/20
昨日ニトリであったかい毛布を買って、布団の上に乗せて寝たら、ちょうどいい重さで、暖かくて、今日しっかりと、2人で寝坊した。これじゃあ起きれないねって、奥さんが笑いました。
12/17
今日は、中学時代の友人と、1年ぶりくらいに会った。彼女はイタリアに留学していて、たまにしか日本に帰ってこないけど、中学の時はほぼ毎日一緒に学校に行っていて、色褪せない共通言語があって、とても大事だなと思う人です。
なんとなくで留年した(話を本人から聞いている限りの判断)共通の友人について話していて、「頑張るべき時に頑張れなかった人なんだなと思ってしまう」と、口走ってしまった。なんて加害的な言葉だろう。少なくとも今の自分には、頑張るべき時に頑張れた人間だという自負があって、それに驕っているんだね。
大田ステファニー歓人に影響されて、小説を書き始めた。はじめの約600字で満足したから、続きを書くのは一旦保留。
お気に入りの一節↓
1K7万円の部屋、大通りのうるさいエンジン音の中、この夜から離れたくて、なんだかコンパクトなセックスをする。私たちの生活なんて、所詮その程度のファンタジーしかない。彼はいつも、絵に描いたようなピロートークをするけど、私が寝たふりをしたら、この最悪の夜に引き戻されたみたいに、天井を見つめながら不安そうな顔をしていることが多かった。今日もそう。