パニック障害 闘病のあれこれ
私は、約2年前から、パニック障害を患っている。最初に言っておきたいのは、パニック障害は私そのものではなく、卒業とか恋愛とか、私に起きる出来事の中の一個であるということだ。そう解釈しておかないとちょっと挫けてしまいそうなので、最初どころか最後まで言っておきたい。よろしくお願いします。
2019年2月、新宿駅から徒歩10分ほどの劇場の裏で、私は倒れていた。正確にいうと、足がすくんで立てなくなっていた。申し訳程度に植えられた街路樹の根元で、私は泣いていた。
とにかく息ができなくて、恐ろしく、「あー死ぬって多分こういうことだ。」と思った。こんなに辛いのに、周りの人は酔っ払いを見る目で、道端のゲロを避けるように歩いていく。自分で呼ぶしかない、救急車。悩んで悩んで、7119、救急車相談ダイヤルに電話した。優しい声の看護師さんに症状を話すと「あーそれはもう呼んじゃいましょう。」とあっさり言われ、10分後救急車到着。担架に乗せられ救急車に乗車。しかしその頃には、さっきまでの苦しさは嘘のように消えていて、申し訳なさと恥ずかしさにちょっと具合が悪いふりさえするほどだった。
「パニック障害 症状」と調べると、「自分で救急車を呼ぶ」という嘘みたいな症状例が書いてある。あの時の私のあれは、ちょっと笑っちゃうほどパニック発作だったわけだ。肺やら心臓やらいろいろ調べて異常なし、最終的に辿り着いた心療内科で「パニック障害ですね」と言われた。それから、お酒とタバコでどうにかしようとしてぶっ倒れたり、ついでにADHDが発覚したりと、色々なことがあって、そんなこんなかくかくしかじかいろいろたくさん、2年経った。
発症してから今日まで、まじで色んな人に心配と大迷惑をかけながら生きてきた私だけど、最近ちょっとだけ勝手がわかってきたような気がするので書いておきたい。間違っているかもしれないし、この先やっぱり違いましたってなる可能性もあるので、そのつもりで読んでください。
パニック障害にしろ、ADHDにしろ、うつにしろ、見えないしょうがいというのはめちゃくちゃ厄介だと思う。例えば街中に、車椅子に乗っている人や白い杖を持っている人がいた時、健常者(ここでは、その時その人のために動ける人たちを指す)がどうするべきか、どうしたほうがいいか、なんとなく予想がつく。「しょうがいが見える」ということはある意味で、「やさしい」ということだと思う(ご気分害された方いましたら本当にごめんなさい)。反対も然り、「しょうがいが見えない」ということは、他人に「厳しい」ということになってしまうのではないか。
私は、人の助けがないと、どうしようもできなくなる時がある。脳みそのバグのようなもので、怖くないものが怖く、ゆったりが焦りに、楽しいが悲しいに、生が死に、突然変わる。発作が起きている時間は、他人に「大丈夫だ」と伝えてもらわないと、「大丈夫だ」ということを忘れてしまう。発作が収まった後も、なぜこんなにダメな人間なのか情けなさに震えるし、他人にかけた迷惑の数値を測って落ち込む。他人の助けがないときついのに、助けてもらいたい他人に対してとても厳しいという矛盾。厄介な部類のしょうがいだと常々思う。
ちなみに、「人に助けてもらわないとどうしようもない。」と、ここまで割り切れたのが2ヶ月前くらい。まじでそれまでの1年半と少し、何してたんだっていうと、自分でどうにかしようとしてたわけで、周りからしたら、非常に助けにくいしょうがい者だった。大大大迷惑だったと思う。まじで反省してます。ごめんなさい。
この2ヶ月くらい、助けやすいしょうがい者であるためにどうするべきか考え続けた。うそ、そんな集中力ないので、3日にいっぺん、一回10分くらい考え続けた。なんとなく3か条くらいにまとまった。見てください。
一、自己分析して、言葉にする
今何が辛いのか、どうして欲しいのか、何が原因なのか。
私はパニック発作を起こしたあと、1週間くらい、苦手なものが少し増える(なんか敏感になるんだと思う)。大きい音、泡、集中すること、寝ること、など。外を友達や恋人と歩いていて、車の音がどうしても嫌な時に、もしも「今車の音がうるさくてドキドキしているんだけど、両手が荷物で塞がっているので、代わりにフードを被せてもらってもいいかな。」って言えたのなら、解決する。でも、なぜ今ドキドキしているのか分析できてなかったら、人にも伝えられない。
私の好きな歌手の小山田壮平さんが、心の声はどんなに近づいても聞こえないと歌ってた。マジでそう。日本人のコミュニケーションの大きな特徴の一つである「察し」は、お互いに共通認識のある場合のみ有効なのだと、当たり前のことながら忘れがちなので書いておく。私の常識は、あの子の常識ではない。
二、人にバンバン言う
これまじでハードル高い。したくない人はしなくていいことだけど、助けやすいしょうがい者であるためには結構必要な勇気だと思う。ただ、人に言う時は「相手」と「言い方」に慎重になるべきだ。
まず「相手」について。私のようなパニック患者の場合、発作が起きるかもしれないタイミングに一緒にいる人には喋るべきだと思う(長時間同じ狭い部屋で作業する予定の人など)。つまり、これから迷惑をかけるかもしれない相手にはあらかじめ言っておこうってことで、突然降りかかってくる迷惑よりも、予告されていた迷惑の方が、同じ迷惑とはいえいくらか軽いはずだからです。
次に「言い方」について。“バンバン”が重要なところである。しょうがいは、いつでも触れにくい話題として私たちの中に存在する。宗教やセックスと同じように、公の場で語ってはいけないことのような雰囲気を纏っている。(しょうがいがそういう扱いの話題であるべきか、そうでないべきかというのはまた別の議論なので置いておくとして。)だからこそ、バンバンと遠慮なく、こんなことどうってことないんですよ感を出しながら言うべきだと思うんだ。
普通にドン引きされることも少なくないので、もしかしたら間違ってるのかなぁとも思う。暗い話題に持ち込もうとする人、たしかに嫌だしね。今のところ私は、「二人で飲みに行けるくらいの関係性」かつ「その場の結構偉い人」と二人きりの時、あんま話すことないな〜みたいなタイミングで、元気に言うようにしてます。
三、「健康な時の自分だったら」をやめる。
パニック障害は、完治しない(※1)。一度発症したら、一生つるんでいかなきゃいけない。健康な時の自分だったらこなせてた量のタスクは、もうこなせない。
発症した時期、私は、週4日のバイト、先輩の映画制作の手伝い、お笑いライブのボランティアスタッフ、なぜか所属したモデル事務所とのあれこれ、高校の卒業ライブの準備、大学の入学手続き、鬱の姉の生活保護手続きや役所とのやりとり諸々、高3にしては意味のわからない量のタスクに追われていた。後々発覚するADHDの特質によるところも大きいけれど、私はなんでもかんでも衝動的にやり出すらしい。とにかく収拾がつかない日々、中途半端に手を出してしまったものたちに「ごめん。」と思いながら、私は無理矢理毎日をこなしていた。てか走ってた。物理的にもめちゃくちゃ走ってた。私のキャパのバケツを溢れたタスクたちは、私の仲間、先輩に迷惑をふっかけ、かつ私の脳みそをぶっ壊すという形で大人しくなった。
あの時のバケツと今のバケツを比べたら、今のバケツの方が60%くらい小さい。おかげで諦めなきゃいけないことも増えて、できないことも現在進行形で増えていて、めちゃくちゃ面食らう。もう、夜行バスに乗って一人旅も、朝から晩まで友達と外で遊ぶのも、運転免許の取得も、3時間以上の着席も、叶わないんだろうと思う。でも、そんな今の自分の不甲斐なさに絶望するのは、いちいち昔の自分を並列して見ているからなんだと、やっと最近わかってきた。もうあの日で第二の人生スタートしたんだと大仰に考えれば、なんだかちょっとだけワクワクできるのにも気づいた。
私の周りにはなぜか私よりも聡い人間ばかりで、無条件に助けてくれる人、助けようとしてくれる人が多い。私は、自分でも嫌になるくらいたくさんの間違いを犯して、私の人生に変に巻き込んでしまったであろう人もいる。私だけ前を向いて、しょうがいと戦って生きます!なんて無責任で綺麗な言葉は吐けないけれど、過去の迷惑を償いつつ、これから出会う人への迷惑を最小限に、生きていこうと思っています。
長々とすみません。また書きます。