豊かさって何だろう?
この暮らしを始めるにあたって、ものすごく考えました。
「この暮らし」とは、縁もゆかりもない、名草に移住してきたということ。
終身雇用で、安定したお給料が頂けて、そこそこの暮らしができる。
子どものころから就きたいと思った職業に就き、充実していた。
でもこの「充実感」、本物だったかな?
自分軸で考える、ということがなくなっていたな、と。
生きているという実感をお持ちですか?
生きていくことについて、考えることはありますか?
離職して、健康保険や税金について自分で手続きをしなければならない。
それだけでも自分の無知さに驚きました。
そして、生きていくだけでお金がかかる、ということを自覚しました。
働いてお金を稼ぐことの本当の意味を知った、そんな感じです。
私にとっての豊かさとは、東京の一等地で暮らし、ブランド物の服を着て、三ツ星レストランで食事をして・・・ということではなかった。山から採ってきた食材ばかりのごくごく普通のお昼ごはんが超絶贅沢なご馳走。何より自然の中に身をゆだね、しっかり大地とつながって生きる事。これが本質なのではないかな、と。
ただ、こんな風に考えること自体がすでに蝕まれているんだとも思います。
だからこそ、
自分を見失うほど働く必要ってあるのかな?
仕事に縛られて、いろんなことが過剰になっていないかな?
なんてことに疑問を感じてしまう。本来なら考えなくてもいいはずな事。
そんな風に思えて来たら、思い出した言葉。
『忙しい』とは、『心を亡くす、と書く』。移住を決心する決定打。
最近耳にする、「生きづらい世の中」という言いまわし。
景気がどうの、政治がどうの、もちろんあるでしょうが、
≪ヒト≫という生物が進化した挙句にそうなったのかな、とも思うのです。
地球という生態系の食物連鎖の関係性の中で、確固たるニッチを維持していたら・・・と考えるのはちょっと飛躍が過ぎるけど、方向性としては一理あると思うのです。
生物としての視点だとか、生き方だとか、そういったものを少し意識するだけで、今よりちょっと豊かに生きられるんじゃないかな?と。
大げさに言えば『原点回帰』。
便利さに慣れ親しみ過ぎた現代のホモサピエンスに、貨幣を捨てて、狩猟生活や農耕生活に戻るなんて、そうそう簡単にできる事じゃない。だけど、少しだけ自然と共に生きる、生態系の一部であることを意識することで亡くしかけた心を取り戻せたら、豊かな気持ちで毎日を過ごせるんじゃないかな、そんな風に思うのです。