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波になる。対話する。 〜即興音楽会。

ジャンルレス&オルタナティブな即興音楽会、INSPIRATION SOUND #3 のフライヤーが出来たのでnoteでも読めるようにしました。   

「感じる瞑想音楽」、「身体で聴く」に続き、第3回のテーマは「音の対話」。
そして今回は、2部制になっています。
午前中のPART 1 『Translation』は、Azuがライフワークとする、その場でヒアリングしたエピソードから音楽を紡ぐ「エピソード即興」。一期一会の音の素描に心を揺さぶられると評判のパフォーマンスに特化したライブの初開催です。あなたの大切な思い出や気持ちを、Azuが音という形に「Translation(翻訳)」してお贈りします。 出演は、Azu (saxophone, piano),  Izumi(cystalbowls)

午後のPART 2 は、『Dialogue in the Wave』と題したセッション。Izumi(ボーカル、クリスタルボウル)、今津康佑(ディジュリドゥ、パーカッション)、Azu(Azu)の3名に加えて、ゲストに踊り手のALANAYを迎え、クラシック、プリミティブ、ニューエイジ&ヒーリング等の要素が混ざり合うジャンルを超えた即興的パフォーマンスを行います。


Dialogue in the Wave  〜 発動するもの

Azu
● 自分の演奏に迷いを抱えていた頃、フランスにいる、尊敬するサックス奏者で指導者のセルジュ・ビション氏を訪ねて指導を受けた。レッスンの中で突然、即興演奏を求められたのだけど、私の即興はその時に得られた感覚が元になっている。以来、ライブのお客さんにテーマを貰って演奏したりと模索を続け、やがて固有の体験エピソードを聞いての即興という一人のためのプレゼント的な演奏スタイルが出来上がりました。
● 「テーマ即興」がキーワードから連想されるものを表現するのに対して、「エピソード即興」では体験を通した個人の感情面もヒアリングするので、ストーリー性のある具体的なビジョンが描ける。聴く側も、時間の経過による感情や情景の移り変わりを心の中に描きながら、深く味わって貰えると思う。
● 手応えを感じられるのは、ちょっとした客席の空気の揺らぎのようなものを感じる時。その空気感で演奏も変化してゆく。そんな時は、客席と相互に対話をしている感覚。
即興演奏は対話そのもの。本来は誰もが、いつ何を言っても良いのに、言葉では表せない、心に浮かんでも発するタイミングなく流れて行ってしまうものを受け取って、まさに今回のタイトルのように、音に「Translate(翻訳)」して、感覚として伝える。感じ方が一致していなかったとしても、不思議とそこにはコミュニケーションが成り立っている。自分で自分の演奏にワクワクするのは即興演奏ならでは。

ALANAY
● 美大では陶芸を学んでいて、粘土を使ったオブジェを作っていたのですが、その制作の途中、未完成の状態のものに興味が湧いてきて、そこから即興やライブで行われる物事の熱量に惹かれはじめた。そんな頃に偶然テレビに出ていた師匠の中村インディアを見つけたのが身体表現を始めたきっかけ。彼女のYouTube動画の熱量に心を動かされて、ダンスを学んだら自分の作品制作に活かせることがあるかも、と、直観的に思った。
● 踊ることの魅力は、自分の時間を生み出せること、世界や時間を作り出せること、自由に振る舞えること、ストレス発散、新しい自分を見つけられること。自分にとって踊りとは、表現素材であり、新しい自分を見つける手段であり、世界を面白がる手段。
● 共演者のミュージシャンと呼応しあっている時、その熱がお客さんに伝染して擬似体験をさせてるような感触がある時には、対話が発生していると思う。

Kosuke Imazu
● 友達に誘われて高校の軽音楽部に入部して以来、大学に入っても音楽を続けて、卒業後には本格的にバンド活動をはじめた。今はソロパフォーマンスが中心だけど、気がつけばずっと音楽をやっている、という感じ。
● ディジュリドゥとの出会いは2021年。パーカッショニストの先輩からプレゼントしてもらった。それまでは「ディジュリドゥ」という言葉を聞いたことがあるくらいだったのだけど、せっかくなので練習を始めた。そんな偶然のようなきっかけだけど、以来この楽器に魅了され続けてる
● パフォーマンスではディジュリドゥの他にも様々な民族楽器を使ってリズムをつくる。原始的な民族楽器にはシンプルな作りの物が多くて、音色や表現は演奏者の技術と発想がダイレクトに反映されるものばかり。だからこそ演奏者の個性が出やすいし、演奏者次第では無限の可能性を秘めているものとも言えるのが民族楽器の魅力だと思う。
● 自分の中に流れているリズムと、相手が感じ取っているリズムが合っている時、グルーヴしている時は対話そのもの。ドラム出身でパーカッショニストでもある僕にとって、リズムは言葉のようなもの。国や地域、人によって使う言葉に違いがあるように、リズムにも人それぞれ個性がある。リズムで心地よく会話できる人とのセッションは、楽しくていつも時間を忘れてしまう。

Izumi
● 家族関係でつらい悩みを抱えていた20代の頃、独り歩いている時に何故かふと「唄をつくったらいい」と思った。それまで曲を作ったことはおろか詩を書いたこともコードの知識も無かったけど、胸中の思いを詩として紡ぎ、鼻歌のメロディになんとかハーモニーを付けた。人に聴かせる為ではなく、自分の為に唄いはじめた。ひとりで何度も唄っては何度も泣き、そのことで癒されていくのを感じた。それからわたしは唄の力を信じている。
● 声は自分という存在を発動させるための最もパワフルな現象。肉体と精神をつなぐ回路。声はとても意識的。世界は振動・周波数で成立しているなら、声を出すことと、眼差しの光を送ること、この二つが人が自ら発信できる世界への積極的な存在証明だと思う。
● 目を閉じるとよりよく分かる。相手が確かにそこに「いる」ということが。相手は何か「存在感」としか言い様のないものを発散している。それを私は受け取っている。私はそれに呼応して、クリスタルボウルの音や私の声を、瞬発的に返す。音楽という空間で行う対話はそんな感じ。これは音楽のあいだ中、常に行われていること。
● 唄うことで癒されたという経験が私の音にまつわる活動の原点で、音、声、唄、これらを通して自らを育みながら、これからも世界へ恩返しをしていくと決めている。唄よありがとう。私は信頼してる


人体という変換システム 


チューンアップして、対話せよ。

 ひとつの理解として、生命とは有機変換システムである、と言えるのではないかと思う。体内に外部から何らかの“もの”を取り入れて、自己を製造し、動かすエネルギーに変換し、その過程で産生される不要な“もの”を排出し、それが再び他の種によって取り入れられ……というように、あらゆる生命体同士はそれぞれが内部変換したエネルギーを他者と交換することを前提としているからだ。
 その中でも運よく効率的にエネルギーを得ることに成功した人類は、必要量を超えて余ったエネルギーを思考と創造に当て、科学技術を発展させてきた。生存のための必要事項を機械へ次々とアウトソースした結果として、生産性は向上し続け、自然の脅威は遠ざかり続け、環境破壊や戦争さえも利用しながら文明は進み、その地層の上に今こうして私たちは立っている。分配の公平性はともかく、現在までに人類が蓄積した余剰エネルギーは膨大である。つまり、実のところ私たちはエネルギーを持て余していて、それをどう処理するかという問題に直面しているのである。
 行き場のない余剰エネルギーに駆り立てられて私たちは、ときに過剰な消費に走り、些細なことに不満や怒りを見出してはSNSで発散し、何となしの物足りなさを感じて自分探しの沼に迷い込み、一方では学問や芸術や美の探求に没頭する。いずれにしても、生存という本来の目的からすればどうでもいいような物事にエネルギーを費し、様々な「感情」を放出している。

 ところで、「音」も、生命の働きのなかで産生されるもので、エネルギーのひとつの形態である。すべての生命は音を奏で、音を交換し対話しているといえるわけだが、人類はこの音の対話を洗練させ、音楽産業・芸術として進化させてきた。が、ここへ来て、20世紀末に最大化したそのシステムは解体されつつあり、さらには音楽そのものが分解され、素の音、振動の波に回帰しつつあるように思ったりもする。
 新しい技術は、あらゆることを容易にし、自由化し、格差を取り払い、それまでの作法をあっけなく書き換える。また、生身の人間の能力の退化させる。
 もう音楽を行うのに恵まれた環境や血の滲むような努力は必要なく、大量の情報に誰もがアクセス可能、プロとアマチュアの差も殆どなくなっている。音楽は、無限の選択肢から好みのツールを選びプリセットを組み合わせワンクリックで発表、というように、誰にでも開かれたものになった。フラットに均された場所に価値観の異なるコミュニティが林立し、共通する形式や文脈や評価軸も溶けてしまった。デジタル技術によって作られたこの状況は、原始の状態に立ち返ったようなものである。
 そもそも考えてみれば生成AIなど以前に、サクソフォーンとアボリジニの楽器と水晶のボウルとアラブの伝統舞踊とサンプラーを同列に親しむという世界は結構なカオスだし、もう適当に好きな物を手にとって人も機械も虫も鳥も渾然一体となって波になるのみ、みたいな状況はだいぶ前から着々と用意されていたのかも知れない。
 たぶん未来の音楽に必須なのは、フィーリングとインスピレーションだけだろう。瞬発的な対話が至る所で発動し、享楽のセッションに誰もが参加でき、技能を磨くことは趣味としてのみ行われるようになるだろう。すべては趣味の世界になるのだ。

 科学技術によって、貴族の特権だった音楽を誰もがほぼ無限に楽しめるようになったように、芸術という魂の対話が、ひと握りの恵まれたアーティストのものだった時代は終わり、芸術は民主化された。でもそれは芸術の堕落ではくて、交換そのものよりもチューニングの問題になったということのように思える。 
 余剰エネルギーを何に変換し、この空間をどんな“もの”で満たすべきか。それは“良いフィーリング”に決まってる。あらゆる差異が消滅した世界で、筋肉を手放した男と庇護の檻を出た女たちが趣味を生きる世界で、交換価値がある“もの”は、実利的な物質ではなく、形のない「感情」のようなエネルギーそのものではないのか。
 内部で発動した、あり余る音をチューンアップしてみよう。そして発することだ。大丈夫、出し惜しみは不要。そのいびつな音さえ糧となるから。




INSPIRATION SOUND vol.3
波になる。対話する。

2024.1.28 sun
Part1. 10:30 - 12:30(会場10:15)
Part2. 14:30 - 16:30(会場14:00)
カノンハウス鎌倉(248-0003 鎌倉市浄明寺3-10-37)


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