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怒ると叱るなんて同じこと

こんにちは😃
仕事で失敗した時に怒ったり、叱ったりする人は多くいます。うまく叱るコツ、とかそんな本もありますが、「怒る」のも「叱る」のも変わらないと思う私です。

怒る

2024年。怒ることはあまり得ではありません。相手に対して自分の怒りをぶつける、ようなことでしょうか?
大辞泉によれば、
不満・不快なことがあって、がまんできない気持ちを表す。腹を立てる。いかる。
とのこと。

叱る

大辞泉によれば、
目下の者の言動のよくない点などを指摘して、強くとがめる。
「怒る」とは根本が異なるようです。

言われる人

「怒る」も「叱る」も、言う側の視点です。言われる人にとってはどっちも変わりません。よほど怒り散らして物を壊したり、相手を殴ったりするのでなければ一緒。昔の教師なんぞ、愛の鞭とか言って暴行していました。「叱る」なんて行為は、言う側の言い訳にしかなりません。「あなたのためを思って」って言うのは、ハラスメント者の常套句です。

良く考える仕事

部下が失敗して回復できない時に、何も言わなければ良いか?と言えばそんなことはないです。何が問題だったのか、次からはどうすれば良いか、を一緒に考えて具体的に手順化することが良いです。
失敗した結果を見て「良く考えてやらなきゃダメだ」というのは完全に無意味です。仕事で多くの作業があり、失敗した作業を取り上げて「良く考える」と後出しで言うのは簡単です。しかし、次の成功には繋がりません。「良く考える行動」が「期待する結果」に繋がるとは限りません。すでに失敗経験があるので曖昧な指示では再発する可能性が高いです。作業方法に問題がある可能性が高いです。
「良く考える」仕事の問題点は、すでに失敗実績があるということは、他の人でも失敗する可能性があるのです。作業者が変わっても、失敗するかもしれないし、上手くいくかもしれないのです。ここに大きな個人差が生まれます。組織として作業をするのですから、バラツキは少ない方が良いです。具体的な作業方法を決めて、なるべく個人差が少ないようにします。

考えることで成長するか?

「良く考えてみて。厳しいことを言うようだけど、君の成長のため」と言って、具体的な指示は無い場合、本当に成長出来るのでしょうか? 結局のところ、失敗経験をどう捉えてどのように今後に活かすか、は個人によります。それを上手くやった人は成長したように見え、上手く活かせない人は成長しないように見えます。それだけなのです。個人的に良く考えて、次に活かすことができても、それは個人の成長でしかありません。他の人がその作業を行った時、また失敗するかもしれません。そういうことがあったなら、組織として今後どうするか、手順を決めておくのが良いです。出来る人もいるし、出来ない人もいる、なんていう仕事はダメです。特殊技術が必要なら作業者を限定します。そうでなければ、作業内容を決めておいて、作業者は同じように作業する。その結果に問題があればどこをどうすれば良いのかをみんなで考えて新たな標準として次の作業に活かすのです。

評価

みんなが標準化された作業を行うということは、基本的に差がありません。製品品質は安定します。評価は横並び。私はもっと出来る!と言う人にはガッカリです。とんでもんし社会の矛盾を感じますが、会社などの組織は評価が好きです。どうしても従業員を評価したいのなら、
・標準化された方法で作業を行っているか。
・作業、製品の問題を見つけているか。
・問題解決が出来ているか。
営業さんや、クリエイターさんでは異なる評価があると思います。
生産現場に関しては安定品質が大事なので、特定の人にしか出来ない作業好ましくありません。安定した作業環境を構築することを評価したら良いかと思います。

ただし、従業員としては何をやっても特別に評価されるべきなのかな?と感じます。従業員の中で、私の方が出来る、あの人はすごい、とか言っててもしょうがない。
私はもっとやりたい!と言うなら、起業したり、経営者として存分に力を発揮したら良いのです。少なくとも従業員同士で争うようなことはやめてほしいです。

では。

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