水無月


「雨ってさ」

「はい」

「雨が降ってるときに、それを表す擬音って幾つかあるでしょう。私は、しとしと降る雨、が好きなんだ」

「しとしと、ですか」

「君は?」

「…ざあざあ、ですかね」

「へぇ、やっぱり面白いね。」


****


私はひどく怠惰に憧れた人間だった。
幼いころから厳しい家庭で育った私は、何一つ不自由のない適度に裕福な家庭で、何一つ自由のない生活を過ごしてきた。決められた習い事、成果を求められる勉強、規制される交友関係。予め親が敷いたレールの上にあるトロッコに、縛り付けられた状態でゆっくりと時を過ごしていった。

自覚したのは16の時だった。高校の図書室の本を読みふける、ひそかな楽しみの中で見つけたのは、中原中也の「汚れつちまつた悲しみに……」だった。私はその儚くも美しく、空しい文体に惚れた。自然と作者についても知りたくなった。30歳という若さで亡くなった詩人、彼の人生は非常に生々しく、人間味あふれるようなものであった。彼は大学を受けるため、恋人を連れて上京するも、結局親の期待には応えず、自分の趣味でもあった詩の制作にふけっていたと。

私は、改めて自らの馬鹿真面目な人生を振り返ってみた。一度きり、いつ死ぬかわからない人生、これでいいのだろうか。その日は家に帰ってから次の日が昇るまで、一晩中思慮を巡らせた。

高校を卒業したら、当たり前のように大学へ行くことを望まれていた。しかし、私は大学受験を拒んだ。親とはこれでもかというほど衝突した。家を追い出されたりもした。それでも私は、大学へ行きたくなかった。私には夢が出来たのだ。人前で何かを演じてみたい、表現したいという夢が。

高校の卒業式が終わり、その足で私は東京へ向かった。地元の片田舎からは電車を乗り継いで3時間ほどかかる。実家の自室の机の上に「東京へ行きます」とだけ書いて来たため、しきりに親からは電話がかかってきたが、全て黙殺した。


何のアテもなく飛び込んだ東京、よくわからないが名前だけは知っている新宿という街は、おびただしい程の人の数があった。訳がわからず、立ち尽くしていることしかできなかった。そんな私に、声をかけてきた男女数名がいた。
「この後、そこの劇場で演劇やります、チケットまだ余りがあります、いかがですか」
後から思い返せば、あれは私に声をかけているわけではなかったのだろう。不特定多数の群衆に、言葉を放り込んだだけであって。しかし、今の私には願ってもない機会であった。

「すみません、その、チケットはいくらで買えますか」

呼び込んだのはそちらなのに、少しぎょっとしたような顔で私を見る男。慌てて、チケットを見せてきた。1枚、3,500円。親からくすねた金に限りはあるが、使いどころはここしかないと踏んでそのチケットを買い取った。


その日観た劇は、恐らくオリジナルの作品だったのだろうか、内容はイマイチつかみどころが無かったが、役者たちの演技には終始感心させられた。この役者たちは、そこまで有名ではないのだろう。しかし、そんなことは関係なかった。私もこの輪に入りたい。劇が進んでいくにつれて、その気持ちは大きくなっていった。

終演した後、会場の外にいた役者に声をかけた。見切り発車で話しかけたものだから、しどろもどろでどうしようもなかった。その役者、肩くらいまでの髪に、青いワンピースの女性は私が話し出すのを嫌な顔一つせずに待ってくれた。ようやく私は一言絞り出した。

「僕もあなたみたいになりたくて」

その役者は、先ほど舞台上では冷徹なヒールを演じていた。その時と打って変わって、向日葵のような温かい笑顔で頷き、私の手を取って彼らの楽屋へ案内してくれた。

その他の役者、いわゆる劇団員たちに紹介され、私は言葉足らずながらも身の丈を話した。すると、最初は訝し気だった彼らも次第にしっかりと耳を傾けてくれるのがわかった。それは嬉しかったのだが、彼らも大人でとても慎重だった。話を聞いたうえで、心配なのは心配なのだが見ず知らずの青年を世話したりしてよいものなのかという逡巡があるようで、至極当たり前である。

すると、程なくして声が上がった。初めに声をかけた役者の女性、名前は千恵さんと言った。私が何とかする、と。方々から当たり前のように不安そうなどよめきが起こった。しかし、千恵さんはそれを一蹴した。

「私に任せて、君を放っては置けないよ」

真っすぐな目で私の瞳の奥にある不安を見透かしてくるようだった。私は従うしかなかった、その嘘みたいな優しさに身をゆだねるしかなかった。


千恵さんは、私に住む場所を提供してくれた。言うには、親戚の住んでいた部屋がもはや空き部屋同然で残っているから、とのことだった。部屋はそこまで広くは無かったが、生活感が未だ残る居心地の良い空間だった。また、働き口も紹介してくれた。千恵さんの知り合いが営む居酒屋で雑務をこなす日々が始まった。生まれて初めて、労働の対価として給料をもらったときは何とも言い難い複雑な感情であった。

週に半分くらいは、千恵さんがご飯を作りに来てくれていた。演劇の練習に参加させてもらって、その帰りのついでに、という感じだった。何かと面倒を見てくれる人だったが、私はどこか遠慮をしてしまっていた。こちらから何かを望むことはできないし、千恵さん自身のことについても何も訊くことは出来なかった。年齢すらも、年上であることしかわからなかった。

千恵さんは私に、彼女が知りうる演劇についてのことをすべて教えてくれた。小説や、映画についても知識が豊富だった。そういえば、中原中也の話をしてくれた時、とても嬉しかったのを覚えている。千恵さんも、好きなようだった。

私の生活の中で、千恵さんの存在が日に日に大きくなっていった。次第に千恵さんはほぼ毎日私の部屋に来るようになった。お互いの仕事終わりでご飯を食べるだけの日も多かった。最早、部屋を訪れない日が来ることを恐れるまでになっていた自分がいた。


あれは6月の半ば、千恵さんは花束を持って部屋を訪ねてきた。知人からもらったのだ、と嬉しそうにしていた。部屋に置いてあった、千恵さんが好んでよく飲んでいる、コーク瓶の空き瓶に水を少しためて差すのを私は後ろから見つめていた。

「僕は、千恵さんが、ずっと」

頭で考える前に、言葉が口から零れ出た。千恵さんは一度動きを止めたが、振り返ることは無かった。そうか、とぽつりと呟いたのが私の耳の奥のほうに当たって、こべり着いた。

千恵さんは花を差したコーク瓶を手に取り、窓際に優しく置いた。まだ私の方を向いてはくれない。冷蔵庫を開けて、新しいコーク瓶を取り出して、飲む。そこまでして、初めて私に視線をやった。

「ずるかったよね、私」


彼女が去った後も、私の唇にはまだコーラの甘い風味が残っていた。炭酸が苦手な私には、味わったことのない味だった。


その日から、千恵さんは部屋には来なくなった。もちろん寂しさや不安が無かったわけではないが、どこかで納得している自分もいるのだから不思議なものだ。初めの数日間は、思い出すたびに涙が出ていたが、それも収まってしまった。

千恵さんはどうやら、劇団からも居なくなっていたらしい。他の役者仲間が部屋を訪ねて来た時に知った。その時に、私は千恵さんのことをいろいろと教えてもらった。歳は私より10個も上だったこと、数年前に離婚してから何人もの男を誑かしていたこと、隠れて体を売っていたこと。

そんなことを知ったとて、私は特段落ち込むこともなかった。ただ、部屋に戻り、空虚なその居間の真ん中で佇むだけ。特に言葉で言い表せるような感情は存在していない。窓の外は先ほどまで部屋に差し込んでいた夕焼けが顔を潜め、また夜が滲み出す。

あの人が持ってきた、あの白い花は首をもたげて枯れ始めていた。私は思い出したかのように腰を上げて、冷蔵庫に入っている栓の開いたコーク瓶を取り出す。もう炭酸は抜けてしまっている、やけに甘ったるい香り、嗚呼、この香りだけはそのままなんだな。

この部屋にはあの人を思い出すトリガーがいくつもあるけれど、それは時間が経つにつれて鮮度を無くして色あせて消えていくのだろうか。それとも、消えずにずっと残り続けているのだろうか。

コーラの香りがした時、まだ私の中にはあの人が残っていたと思ったのに。
あの時、あの人を無理やりにでも帰さなければ、素直に気持ちを言っていれば、何か変わっていたはずなのに。

もう名前も、思い出せないようにしてしまおうか。
汚れてしまったこの悲しみは、本当に気怠いものだ。


汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる

「汚れつちまつた悲しみに……」-中原中也


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