読書遍歴という人生の振り返り
序文
私の名前は天方。天の方向と書いて「メッカ」と読む。かっこいい。
なぜ私がこのような奇妙な名前を名乗っているかと言えば、すべては倫敦(ロンドン)という名前のDミス研の管理人が「どうせ会でnoteをやるならメンバーは統一感のあるペンネームを名乗ろう」ということを言い始めて、自分に寄せた「漢字二文字の外国地名」という縛りを作ったからだ。
なので私以外のメンバーも同じように難読地名を名乗っている。
内輪ノリも甚だしいが、ご勘弁頂きたい。
さて、この記事は私にとって最初の記事ということで私――天方というミステリ愛好家がどのようにして出来上がったのかという話をしたいと思う。
読書なんてしたくなかった中学生
まず最初に告白してしまうが、私は幼い頃からミステリ愛好家という訳ではなかった。Dミス部員の話を聞いていると、多くは小学生や中学生の頃から、青い鳥文庫のやみねかおる氏の「夢水清志郎シリーズ」やポプラ社の児童向けミステリシリーズを読み、純粋培養されてきたという経歴の部員も少なくない。
しかし、私はまったくそんなことはなかった。
少なくとも小学生の時分に小説を読んだ覚えはないし、学校の図書室で読むものと言えば手塚治虫氏の「火の鳥」か「ブラック・ジャック」といったマンガが精々だった。
そもそも小学生の頃の私にとって娯楽といえばゲームと漫画、そしてアニメであり、家族に読者家が存在しなかったこともあり、小説が選択肢に入る余地はなかった。
風向きが変わったのは中学に入学してからだ。
同じようなことをしている学校は多いと思うが、私が通っていた中学校には朝のホームルームの前に10分間の「読書時間」が設けられていた。これによって否が応にも小説を読まなければいけなくなったわけだが、それまでまったく小説に触れてこなかった人間にいきなり「読みたい本を持って来い」などと言っても、そんなものは存在しないのだから困ってしまうだけだ。
さりとて、「読書時間」は毎日あるものだから何も用意しないわけにはいかない。クラスメイトの中には開き直って国語の教科書を開いて寝ているだけという運動部員もいたが、流石にそこまでのメンタル強者ではなかった。
仕方がないので親に事情を話して本の購入資金(たしか1,000円)を手に入れた私は学校からの帰り道、通学路の途中にある書店に立ち寄り、何か良さそうな本はないかと物色を始めた。
私が立ち寄った書店は四階建てで、地元で一番大きいどころか当時国内でも有数の売り場面積を誇る超大型書店であり、一般に流通している本はほとんど手に入るという、読書家にとっては夢のような場所だった。しかし、何度も念押しして申し訳ないが、当時の私は決して読書家ではなく、選択肢が多いのはむしろ面倒であった。
結局、何を読んでいいのか決めかねた私は一般書籍が販売されている本館を後にし、精神の安定を図るため、本館と渡り廊下で繋がれたコミック館へと足を運んだ。
小4の頃から熱心なジャンプ愛読者であった私は新刊コーナーで、当時自身の中で確かなブームを築いていた「ネギま!」の新刊を発見して喜んだり、深夜アニメが放送されていた「みなみけ」を買い揃えるか悩んだりしながら、物色を続けた。
そんなことをしているうちに、小説のことは頭から消え去っていた。
とどのつまり、私は小説に興味がなかったのだ。
ちょうどそんな時、私の目に留まったものがあった。
「灼眼のシャナ」の新刊だった。
ライトノベルに溺れた青春時代
ご存知の方も多いかと思うが、現在に至るまで新書店の多くはライトノベルを一般文芸ではなく、コミックと並置している。それは新刊も同じで、当時私が足を運んだその書店でもコミックの新刊の横にライトノベルの新刊が大量に平積みされていたのだ。
当時は現在と違ってまだ「なろう系」をはじめとするネット由来の新文芸は存在せず、ライトノベルといえば「電撃」「スニーカー」「MF」「ファミ通」といった所謂ライトノベルレーベルのみだった。
その中でも電撃文庫の物量は圧倒的であり、この頃、電撃文庫のまぎれもない看板作品であった「灼眼のシャナ」は新刊が出ると、新刊コーナーに新刊と既刊が並べて平積みされるほどだった。
なので、まだライトノベルという言葉を知らなかった私がそれを発見するのはある種当然のことだった。
この頃、「灼眼のシャナ」はアニメ化されており、無論私もその存在は知っていた。ただ、同時期にコミカライズされた漫画もそれなりに出回っていたので、私はそれが原作だと思っていたのだ。
そして、「灼眼のシャナ」を手にして、パラパラと立ち読みを始めた私は驚愕した。
「小説に挿絵がいっぱいあるぞ! しかも内容はジャンプ漫画みたいな学園バトルだ!」
家庭内に読書家がいないと、そもそも小説とはどんなものであるかという知識がない。あったとすれば、小説とは国語の教科書に載っているようなつまらない物語文のことだという偏見だけだった。
私は親から貰った1,000円ですぐさま1巻を買った。
そして家に帰ってすぐにそれを読んだ。
「なんて面白いんだ……」
本当はそれは学校の「読書時間」に読むために買ったものだったので、家で読み終わってはいけなかったのだが、理性では欲求を止められなかった。
既読の方には理解してもらえると思うが、「灼眼のシャナ」の厨二度はNARUTOの比ではない。日本漫画史上最高レベルの厨二病誘発性を持つBLEACHと比肩すると言っても過言ではないだろう。
「自在法」「フレイムヘイズ」「二つ名」「宝具」「零時迷子」…こんなカッコいい単語を並び立てた文章を中学生男子に与えてはならない。
私が厨二病を発症するのは必然であった。
ただ、その話は本筋とズレるのでここでは語らないでおこう。
兎にも角にも、「灼眼のシャナ」に引き込まれた私は1巻を買ったその日のうちに親に頼んで別の本屋に連れて行って貰った。
当然、2巻を買うためである。
私の両親は読書家ではなかったものの、やはり本を読みたいと言い始めたことは好意的に受け取ってくれたようで、文句を言われることはなかった。どころか、「小説を買うのなら」と追加資金までくれる始末だった。
私はおよそ1週間でシャナの既刊を読破した。
いつの間にかライトノベルの虜になっていた。
しかも、奇しくも当時はライトノベルの黄金時代であった。
最初に手を取ったのはシャナだったが、電撃文庫からは他にも「とある魔術の禁書目録」「キノの旅」、MFからは「ゼロの使い魔」、スニーカーからは「涼宮ハルヒシリーズ」と読み切れない量の既刊があり、私は家での時間をほとんどライトノベルに注ぎ込んだ。
しかし、問題がなかったかと言えばそうではない。
中学一年生にライトノベルは結構高いのだ。
インフレが叫ばれる今ほどではないにせよ、一冊あたり600円くらいはしていた。小遣いが月に3,000円の中学生にはポンポン買えはしない。
最初はお金を出してくれた両親も流石に何百冊も買い与えてくれるほど寛容ではなかった。図書館にも有名シリーズは置かれていたが数は限られており、やはり人気の新刊は買うしかなかった。
けれど読みたいものは読みたい。
そこで私は苦肉の策にでた。
当時、私が通っていたのは中高一貫の私立校で校内に購買と学食があった。両親は共働きで週のほとんどは弁当だったが、忙しい水曜日あたりは500円を渡され、好きなものを食べて良いという決まりだった。
食堂で一番安いメニューはうどん200円だった。渡される昼食代との差額は300円である。300円あればブックオフで既刊を買うことができた。
これが中学生当時の私なりの精一杯の錬金術であった。
だが、これはまだいい方で学年が上がると私は更なる節約に努め、昼は購買で一番安いパン100円と50円のパックジュースで済ませるという荒技に出た。当時はデフレ真っ只中であり、こういう無茶が可能だったのである。もし今の時代に中高生であったならば、小遣いはスタバのフラペチーノでいとも簡単に吹き飛んでしまっていただろう。
このようにして読書に何の興味もなかった少年はライトノベル大好き少年へと進化したのである。
メフィスト賞という劇薬
中学生だったライトノベル大好き少年はその後、順調に一般小説を経由して、なるべくしてミステリ大好きマンになった……かと言うとそんなことはなかった。
中学生でライトノベル大好き少年になった私は、エスカレーター式で高校生になっても、受験で紆余曲折を経て大学生になっても、依然としてライトノベル大好き少年(成年)のままだった。
高校生の終盤に米澤穂信氏の「古典部シリーズ」がアニメ化されたり、「ビブリオ古書堂シリーズ」がブームになったりして、そのルートに入る機会はいくらでもあったのだが、どうしてかミステリにはハマらなかった。
そもそも私はどうしてかミステリというものに苦手意識があった。
マンガやアニメは大好きなのにコナンも金田一もほとんど触れてこない人生だった。理由はわからないが、千反田える嬢よろしく「人の死ぬ話が好きではない」ということだったのかもしれない。
そんな私に転機が訪れたのは大学四年生の冬のことだった。
既に内定も得て、卒業に必要な単位も取り終えていた私は極限まで暇を持て余していた。なので放送していたアニメはほぼほぼすべてに目を通していたのだが、そんな中とあるアニメに出会った。
それが森博嗣氏原作の「すべてがFになる」だ。
この自己紹介を読んでいる諸兄には言わずもがなだろうが、あえて説明すると、「すべてがFになる」は第一回メフィスト賞を受賞した国内ミステリの傑作であり、その後、果てしなく続いていく同著者の「S&Mシリーズ」「Gシリーズ」「Vシリーズ」等々の原点である。
ただ、このアニメは原作と比較して、それほど評判が良いというわけではない。
キャラクターデザインが独特だったり、「そこを弄っていいのか?」と首を傾げたくなる原作改変があったりと、原作ファンの中には「アニメの話を持ち出すな」と怒る人もいるくらいだ。
だが、私はこれにハマった。
長編小説を11話構成のアニメにしている都合上、最初の数話はまったく事件も起こらず、ただただゼミのメンバーで孤島に合宿に出かける、という平坦なストーリーなのだが、どうしか見事にハマった。
犀川先生の立ち居振る舞いに厨二心をくすぐられたからかもしれない。
そして3話、ついに事件が起こる。
内容はネタバレになるのでここで詳しくは語らないが、私は今作を密室トリックを用いたミステリ小説として国内、国外通じて歴代ナンバー1だと思っている。
あの謎が提示された時点で結末が気にならない人間なんていない!と断言したいくらいだ。
当然、私は気になって気になってしょうがなかったのですぐさま原作を読んだ。
感動した。
ボキャブラリーが貧困だと罵られようとも、それ以外にこの時の感情を表す適切な単語が思い浮かばなかった。
これまでライトノベルしか読んでこなかった22歳は、ものの見事に森博嗣ワールドの虜になった。
「S&Mシリーズ」はもちろん、「Gシリーズ」にも足を踏み入れた。
こうなってしまうと「他のメフィスト賞ってどうなんだろ?」と思うのが人情というやつである。私は「灼眼のシャナ」を買った書店に赴き、講談社ノベルスのコーナーから2冊の本を選んだ。
それが早坂吝氏の「◯◯◯◯◯◯◯◯殺人事件」。
そして井上真偽氏の「その可能性はすでに考えた」である。
これらは当時、メフィスト賞の最新受賞者であった2名の傑作ミステリであり、またしても私は度肝を抜かれた。
「なんなんだこれは! なんなんだこれは!」
どころか一種の錯乱状態に陥った。
私はことあるたびに「メフィスト賞っぽいのが読みたい」などと宣っているが、つまり今挙げた2作のような小説を常に追い求めているのである。
このようにしてライトノベル大好き少年は、いつの間にかメフィスト大好きマンへと変貌を遂げるのである。
ディスコードミステリ研究会
社会人になった私はメフィスト賞にどっぷりはまったまま、そこを軸足にして講談社ノベルス系に食指を伸ばしていた。
ここまでくると既定路線のようなものだが、メフィスト賞にハマった人間は最終的にに「新本格ミステリ」に辿り着くようにできている。
しかし、これまた既定路線かもしれないが、講談社ノベルスからスタートして国内ミステリ小説のメインストリームを遡るように読書を続けていくと、どうしても国内作品偏重になりがちなのだ。
社会人になり、ようやくミステリ沼にも馴染んできた私ではあったものの、この時点ではクイーンどころか、クリスティもドイルもほとんど読んだことがなかった。(「Xの悲劇」に一度挑戦して諦めたくらいだ)
加えて、社会人になり交友関係が大幅に狭まったことで周りに読書をする友人がいなくなってしまったのだ。
そんな折、私は当時のDミス研管理人であった故・花旗征一郎氏から入会の誘いを受けたのである。
ディスコードミステリ研究会(略称:DMSS)はその名の通りメッセージアプリ・ディスコードを主な活動場所としているネット上のミステリ研究会だが、その名とは裏腹に、その歴史は戦前まで遡ることができる。
そもそもディスコードミステリ研究会という現在の名称はかつての正式名称であるDMSSからのバクロニムであり、DMSSは当会が発足する際に合併した4つのミステリ研究会ーー
D……大日本推理小説愛好会(通称:DMA)
M……丸の内ミステリ会議(通称:MMM)
S……スカーレット・クラブ(通称:SC)
S……新日本ミステリー研究会(通称:NNMI)
の頭文字を合わせたものである。
これらの歴史について語ると長くなってしまうため、それについては別に機会で説明したいと思うが、長らく正式名称がDMSSだったものを先代の管理人である故・花旗征一郎氏が時流に合わせてディスコードミステリ研究会と改名したことだけお含み置きいただきたい。
Dミス研入会後、現管理人による管理人簒奪殺人事件やオフ会で起きた奇妙な密室殺人(通称:シミシンカー事件)などに巻き込まれたが、2週間に1回催される読書会や有志による「犯人当て」、そして先人たちの教えによって私のミステリ愛好度が爆発的に増加したことは間違いない。
結び
なんだか予想以上に長くなってしまったが、これが私の読書遍歴である。
私のように同好の士を求めている人もこれからミステリを読みたい、書きたいという人も興味があれば会を覗いてみることをオススメする。
※上記の内容には多分に創作が含まれている。
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