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孤独がきみを強くする 岡本太郎

毎日本を読む9/18
孤独がきみを強くする
岡本太郎


群れるな。孤独を選べ。

ウチは自家焙煎珈琲店「TenguCoffeeTAKAOSAN」という店で、喫茶も豆売りもしています。
本棚が客席前にあって、本を手にする人の中ではものすごい確率で、この本を手にします。
「なぜだろう?」と思いつつ、その理由を見つけたくてたまに手に取って眺める一冊です。

なぜこの本を手に取った??

岡本太郎さんとは1982~3の年末年始のころにお会いしたことがあります。毎年連れていかれた年末年始の山形蔵王へのスキーの滞在中のことです。

僕の記憶の岡本太郎さんは、最初お聞きしたら「いらない」って言ってたのに、買ってきたらそのうち一人の子のソフトクリームを奪って、半分食べたおじさんでした。もちろん後からそれが「爆発の人」「太陽の塔の人」と知るわけですが、本書を手に取って「あぁ、なるほど」と思ったものでした。

本書を読むまで「孤独」というと、なにか寂しいとかかわいそうとかいうようなイメージをもっていた部分がありました。
孤独は無意識に「そこから脱出すべき対象」のように考えていたと思います。ワイワイとなれあって、多くの人と楽しくしている方がエライ。いわゆる陽キャで仲間がたくさんいてという感じで。


ほんとうの憤りは純粋で美しい

本書の48ページにあるこの言葉。
小学校二年生の印象的な詩で書き出されている。
その子は先生が自分を誤解して
一方的に怒られたことに腹を立てて訴えています。

ここでは子供と大人のこととして書いてあるけど、
大人と大人も何も変わらないでしょう。

このところnoteの他の方の書いたもので
「他人に期待するのをやめた」という内容のものを立て続けにいくつも読みました。

「どうせわかってくれない」という考えは
「お前たちは俺の正しさをわかるべきだ」ということにもとづいています。
第三者から見てそこには何も真理はないと思います。

どちらが正しいということでもない。
立場や考えは人それぞれ。
多くの人は、自分も含めて「自分が正しい」と思っているものだ。

それは仕方のないことだし、主張することはした方がいい。
間違っていても、自分の論理を理解してもらおうとしなければ、
何も始まらない。
あきらめたら、それはその程度ということですし、
知ってもらったり、わかってもらわなかったら、
無かったことにされてしまいます。
それでいいなら、黙ってろと言いたい。
こんなところにグチグチ書いている暇があったら、
ぶつけ続けなさいと。


しかし、今どきはそれに一旦自分に否定的となると、
その人を遠ざけたり、フォローを外したり、ブロックしたりして終わりにしてしまう。
まぁそれは安全だし、賢明な選択だと思う。」自己防衛的には。
「あきらめる」という形で一方的に非難して終われますから、気持ちがいい。(見てる周りからは非常にかっこ悪いですけどね。)


一方的に話を聞いてもらえなかったときの悲しみ、
いままで皆さんも感じたことがあるでしょう?
親や先生の頭ごなしだったり、上司や顧客の不理解だったり。
一番多いのは、上の空で奥さんの話を聞いていない、ダンナとか。

普段対話を恐れたり面倒くさがるのに、
自分だけは人に理解されたいというのはだいぶ都合のいい話です。
そして、対話から逃げられたときが、相手は一番悲しいんです。

まずは普段から自分が聞く姿勢と理解を示すことが前提。
自分の都合イイ時だけ、「あいつらはわかってない」って
文句言っても、そりゃ誰もきいてくれません。

多分違う場面で自分も誰かにそれをしているはずなのに。
(もちろん自分に言ってますよ)


本書を読んで、
孤独であることはすなわち自由であるということ
自らの思う通り生き、間違っていても主張をして、人生を全うすること。
その過程では、他者の眼や価値観におもねることもなく、
しかし他者を否定することでもなく、ただ自分が自分であること。
強く自分の人生を生きるには、孤独を意識して強烈な強さを持てというメッセージ。
結局それは他者をも尊重して、高めあって生きていくことができる。
なれ合いで自分を甘やかしておいて、他責思考で生きていないか??
そんなことを感じました。

みなさんにも繰り返し読める良書だとおススメできる一冊です。


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