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あした死ぬかもよ? ひすいこうたろう

毎日本を読む6/18
あした死ぬかもよ? 
ひすいこうたろう

死に向き合うことの意識

死は誰にでも訪れるものですが、普段の生活の中でそれを強く意識することは少ないものです。人は辛いときに「死にたい」と口にすることがありますが、実際には「生きているのが当然」という前提で行動しています。

父の死から考える「時間の価値」

私の父が癌の宣告からわずか三週間で亡くなった時、私は62歳だった父の年齢を基準に「あと何年生きられるか」を考えるようになりました。たとえば、「死ぬまでに何度桜を観ることができるのか?」や、「あと何回紅白歌合戦を観られるのか?」といった問いが頭に浮かぶようになりました。毎年、儚く美しい桜を見上げるたびに、あと何度この景色を見られるのかと感じるのです。

「いつかやる」はいつ来るのか

「いつかやる」という言葉を人はよく使いますが、その「いつか」は実際には訪れないことがほとんどです。多くの人は「でも〜」「もし〜なら」と理由をつけ、行動を先送りしてしまいます。結局のところ、行動の有無は「死を本当に意識できるかどうか」にかかっているのだと感じます。

いつか訪れるかもしれない「その時」

死は誰にでもいつか訪れるものですが、具体的に「いつか」はわかりません。明日か、明後日か、10年後かもしれません。だからこそ、今やっていることが最後かもしれない、もう二度とできないかもしれない、という思いが大切です。

父との最後の時間から学んだこと

余命宣告を受けたとき、食べることが大好きだった父は、食道が狭まり固形物を食べられない状態でした。私は「せめて最後に好きな餃子を食べさせてあげられないか」と医師に尋ねましたが、実現はかないませんでした。この出来事は、私が死を強く意識して生きるようになったきっかけでした。父は、私に大きな教訓を残してくれました。

父が叶えられなかった夢を考える

三週間前には普通に歩いていた父が亡くなったあと、「やりたいことをやれたのか?悔いはなかったのか?」と考えるようになりました。大学に進学したかったものの家族に頼まれ家業を継ぎ、その後倒産も経験した父。心労の中、毎晩ウイスキーを飲んでいた姿を思い出します。もう答えを聞くことはできませんが、今は天国で安らかであることを願うばかりです。

自分の人生への問いかけ

この経験を経て、自分は残りの人生をどう生きていくのか?本当にやりたいことを行動に移しているのか?が課題となりました。

行動こそ人生を充実させる鍵

行動こそが全ての源であり、行動しなければ笑顔あふれる人生は得られません。「でも」と言わずに、挑戦し続けること。前に進み続けることで人生は充実すると、改めてこの本から学びました。

自分の人生に重ね合わせながら、ぜひ一度読んでみてください。


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