自己犠牲が人生に意味を与えるのか?
最近、時間を持て余しているせいか、人生とは何なのか・・・と、よく考えます。
様々な偉人の「人生とは何か」に対する答えが伝えられていますが、かの、アルベルト・アインシュタインが言ったとされる「誰かの為に生きてこそ、人生には価値がある」という言葉が、意外過ぎて心に残りました。
そう言えば、自分は、全てにおいて自己中心的な生き方をしていると、改めて思います。自分の人生なのだから、それで良いじゃないかと、ずっと思ってきましたが、アインシュタインが、なぜ「誰かの為に生きてこそ」と思ったのか、とても気になります。
特殊相対性理論、一般相対性理論を打ち立てて、世の中の常識を覆したアインシュタインは、自分の人生は「誰かの為に生きてこそ価値がある」と考えていたのでしょうか?
ネット検索してみると、アインシュタインの言葉を引用して、自分も「家族を養うことが生きる意味になった」というブログに出会いました。
その人は、結婚するまで、人生70%の力で生きていこうと省エネ人生を考えていたそうですが、家族を持ってから、その気持ちが変化したそうです。
私自身は、生涯独身を通してきたので、家族を養うという気持ちはわかりませんが、ハリウッドのSF映画に、主人公が「自分の命を犠牲にして人類を救う物語」が多いのは、それが人々に感動を呼び起こすからではないかと思います。
この時、自分の命を犠牲にして戦うヒーローは、人生に価値を見出しているのでしょうか?
もしかすると、人間の本能には「自己犠牲の快感」が刷り込まれているのかもしれません。
まぁ、そこまでアインシュタインが考えていたかどうかはわかりませんが、さすがに既存概念を覆す発見をした人の言葉は、含蓄があります。
そう言えば、イエス・キリストの死も「自己犠牲」です。
個人的には「自己犠牲的な考え方」は、あまり好きではありませんが、もしかすると、なにがしかの真理が、そこにはあるのかもしれません。
しかし、今の世の中で、具体的に「誰かの為に生きる」には、どうすれば良いのでしょう?
現実的なのは、せいぜい何かの「ボランティア活動に参加する」くらいでしょうか。それで人生に価値を見出せれば儲けものです。
「誰かの為に生きてこそ、人生には価値がある」と言ったアインシュタインは、恋人や家族の事を言いたかったのかもしれません。
それとも、もっと普遍的な誰かを想定していたのでしょうか?
とにかくこれからは、もう少し「自己犠牲の精神」を尊重して、残りの人生を生きてみたいと思います・・・。
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