セカンドライフを送るつもりで伊豆の山の中に移り住んだのに、この2年間で、100人以上の「新しい出逢い」があったズラよ!
自分は今、伊豆の山の中で セカンドライフ を送っている。
一応、この暮らしを Bダッシュライフ と呼んでいるが、誰一人、賛同してくれる者は居ない。まぁ、それはいいんだが、実は、首都圏で暮らしていた頃より、セカンドライフ に入ってからの方が、新しい出逢いが圧倒的に多い。これには自分でも驚いている。
伊豆に移住して正味2年の間にあった「出逢い」は・・・テニスサークルの仲間、サックス教室の仲間、この「note」を介して知り合った仲間、「Twitter」を介して知り合った人、そして、民泊 を通して知り合ったゲスト だ。その数たるや、100人以上。ウソみたいだが本当の話だ。
その内の 7割 は、民泊のゲスト だが、残り30人余り は、田舎に移住したからこそ出逢った人々 である。もちろん、都会で暮らしていたって、テニスサークルやサックス教室、Twitter でのオフ会など、やろうと思えば出来なくは無い。しかし、やらなかった と思う。
セカンドライフ のつもりで移住してきた 山奥 で、孤独 になったからこそ、こんな 出逢い を求めたのだ。
ここに越してきた当初は、回りに 誰一人として知り合いが居なかった。
何度も書いているが、一週間、誰とも口を利かずに過ごした こともある。
訪ねて来るのは、郵便局と宅配便の配達員さんだけ。
そんな暮らしが半年ほど 続いた。
「こりゃーいかん」・・・と思って、民泊 を始めてみた。意外にも、すぐに予約が入って、月に3組ほどのゲスト が来るようになった。
地元のテニスサークル に入れてもらい、毎週日曜日にテニスを始めた。
3日に一度の アルバイト も始めてみた。
サックス教室 に通い始めたのも、この頃だ。
おそらく、自分が経験したような事 は、田舎暮らし で、誰しも経験する のではないだろうか?
それが、ムラ社会の自然の成り行き なんだろう。
移住当初は考えてもいなかったが、実際に住んでみると、やはり、地域社会 とは、何らかの形で 繋がっていく のだと思う。
行きつけの診療所の先生、日帰り温泉旅館の女将、近所の住人、散髪屋の店主、食べ物屋のご主人、何度か通って入れば、自然と顔も覚えられるし、言葉も交わすようになる。こうして自分も、伊豆の住人 になっていくのだ。
しかし・・・自分は、この場所に一体、何を求めている のだろう?
少なくとも当初は、「出逢い」を求めて移住してきたわけでは無い。
自分の居場所 を確保したかっただけだ。その目的は、果たせた と思う。
事故 や 病気 など、不測の事態 は考慮してないが・・・。
そうすると、後は、いかにして 充実した暮らしにしていくか と言うことになる。そこに「出逢い」を求める気持ちが出てきたのではないだろうか?
結局、独りで暮らしていたって面白くない・・・って事なのか?
もちろん、そうだろう。共感の無い暮らしは虚しい。協同の無い暮らしは味けない。楽しみは誰かと共有してこそ倍増する。
しかし、自分は「孤独が好き」だ。それも分かっている。
この 合い反する気持ち に折り合いを付けて暮らしていく事こそ、大人の生き方だと思う。
こうして、2年間に約100人との出逢い があったわけだ。
それでどうなったか?
・・・何も変わらない。
新しく出逢った100人 は、自分の前を通り過ぎて行っただけ。
残ったのは、出逢ったという記憶 のみ。
まぁ、そんなものだろう。それはそれで良いと思う。いちいち出逢った人が、自分の人生に大きな影響を与えていたら、それこそ面倒臭い。
ただ、何も影響を残さなかったか・・・というと、それも違うような気がする。きっと、何か微妙な変化を起こして、通り過ぎて行った んじゃないかと思う。
セカンドライフ3年目 には、一体、どんな出逢いが待っている んだろう?
何か、もう少しだけ、自分の中に変化が起きるような出逢い が良い。