記録するという行為
伊豆の山の中でセカンドライフを送っているペースケです。
相も変わらず、退屈な毎日を送っています。
そんな私ですが、あまりやる事が無い毎日の割に、日々の事細かな事を逐一、複数のメディアに記録しています。
そのほとんどはデジタルデータですが、スケジュール帳だけは手書きです。
とにかく、その日の天気や気温、買った物、食べた物、やった事など、何でも記録しています。
デジタルデータは、エクセルに付けている「3行日記」と、毎年同じ日に何をやったかが判る「概要帳」。そして、金銭の出入りを主にした「出納帳」の3つです。
これらに手当たり次第、記録しています。
何のため?
実は、特に理由はありません。
暇つぶしなのかもしれません。
そもそも、パスワードで保護されたデジタルデータは、自分が死んだら誰にも見る事が出来ないし、誰かに見てもらうつもりもありません。
最近では、記録するために行動しているんじゃないかとさえ思える時があります。
これは不思議な感覚なのですが、記録しない限り、何かをやった気がしないばかりか、する気にならないのです。
また、記録するという行為は、もしかしたらストレス発散に役立っているのかもしれません。記録する事で、自分の頭の中が整理出来ると言うか、必要な物と不必要なものを取捨選択出来ると言うか、記録してしまえば忘れられるという安心感もあります。
私のオススメは、エクセルで縦に365日分のコマを作り、毎年、横に列をコピーして増やしていく「概要帳」です。
伊豆に住み始めた7年前から、この「概要帳」を付けていて、ひと目で、去年の同じ日、一昨年の同じ日、7年前の同じ日を比較する事が出来ます。
「概要帳」なので、些細な事は省略していますが、箇条書きで一日分が100文字程度しょうか。
それが何の役に立つのかと言われると返答に困ってしまいますが、いろいろな行動指針にはなるかもしれません。
例えば、去年の今日、梅雨入りしたのか・・・とか、3年前の今日、ベランダを修理した・・・とかがわかるので、そろそろ準備しようとか考えられます。
記録するという行為は、本来は、歴史を記述して、多くの人の役に立つのが目的なのかもしれませんが、私のような有象無象の者に取っては、自分の行動を客観的に見つめ直す手段なのかなとも思います。
もっとも、記録していて本当に良かった・・・というような事が特にあるわけではありません。
しかし、記録してなかったら気付かなかっただろうな・・・というような事は度々あります。
まぁ、自分に取って記録すると言う行為は、性に合っているんでしょうね。
少なくとも苦痛じゃ無いので。
結局、自分は何が言いたかったんだろう・・・。