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“食わず嫌い”はよくないよねって話

好き嫌いを理解することは自分を理解することだと思います。



嫌いな食べ物ってあるよね?

皆さんは嫌いな食べ物はありますか?私はめちゃくちゃあります。ヒジキとかプチトマトとか。昔はもっとありました。



お残しは許しまへんでぇ~!

幼少期の私は給食の時間がとにかく苦痛でした。正確に言えば、カレー以外の給食が、ですかね。嫌いなもの出てくるし、食べ終わるまで残らされる。
みんなが食べ終わって校庭で遊んでるのを眺めつつ、私は残ったサラダをつついてみたり、混ぜてみたりしながら担任の佐山先生と根競べをしていました。

隣には同じく好き嫌いの多い吉田君。彼は俯いて動かず徹底抗戦の構え。強いですね。そんな友人の姿に勇気をもらいながら、何とか嫌いなものを食べないようにしていました。許さんぞ佐山ァ!ちなみに吉田君は寝てただけでした。オイ吉田ァ!!!

家でも野菜系の料理が苦手で、特に煮物系はその野菜が持つ嫌な部分をフルに引き出した拷問のような料理でした。

嘔吐反射を抑えながら気持ちの悪い柔らかく崩れる何かを噛んでる横で、周りの家族は「おいしいのに~」と私を揶揄しながら嗅いだだけでも吐きそうなくらい臭い茶色い煮物を食べてました。地獄です。

少なくとも、私以外の家族は普通に食べていたので不味い料理が出されていたわけではないのだと思います。

そんな思い出も相まって、私は野菜嫌いなガキから野菜嫌いな大人へと成長しました。「野菜嫌いな大人」って書くと、ちょっとカッコ悪いですよね。



いつの間にか食べられるようになってたお

大人になると、今まで食べられなかったものが何故か食べられるようになりました。生臭い物や苦い物などの所謂「大人の味」を美味いと感じるようになったのです。

大人の味として挙げられるものについては、大人と子供の考え方や味覚の感じ方などの違いが好き嫌いにつながっているのだろう、とは多くの人が考えているのではないでしょうか?考えてるでしょ?

「子供の舌は敏感」ってのはよく聞きますし、成長していくに連れて受け入れられなかった食べ物が、徐々に食べられるようになっていくものなんだと思います。これが大人になるってことなのかな。

生のピーマンに味噌付けてまるかじりしていることを昔の私が知ったらどう思うでしょうか?好き嫌いって案外無理に直さなくても勝手に治っていくんじゃないかな。と私は思いますね。

つーか無理に食わせない方が好き嫌い無くなってたんじゃね?なぁ佐山はどう思う??



「好き嫌い」とは持論

「好き嫌い」というものは、アレルギーや体質の問題でない限りは主観的で、味はもちろん様々な環境的要因によって構成されていると私は思っています。自身でもはっきりと「何故この食材が嫌いなのか」がよく分からないものも多いです。カニカマとか。

私の場合から考えるに、給食の味付けが気に入らなかったり、親や教師に無理やり食べさせられたりしたのも、嫌いになる要因の一つになっているのではないか、と考えています。今の学校では無理やり食べさせることはないそうです。聞いてるか佐山ァ!!

まぁ別にそういう時代だった、ってだけだし気にしてないけどね。テメーの息子にもクッソ不味いあの大根サラダを“お見舞い”してやろうかァ???



「好き嫌いはダメだよ」って言うけどさ…

私の教義では、「好き嫌いをしてもいいが、食わず嫌いをしてはいけない」としています。

嫌いなものは無理して食べるべきでしょうか?

私は食べなくていいと思っています。だって不味いもんは不味いし。無理に食べたら吐いちゃうよ。某ハンバーグのお店で付け合わせのニンジン食べて吐いちゃうよ。吐いたよ。

美容、健康のジャンルにおいては正解というものがほぼわからず、時代によって常識が二転三転する世界であります。そこにおいて「何が正しいか」よりも「何を信じるか」の方が大事だと思っているので、私は私の持論を信じて、美味いと感じる物だけを食べて生きたいと思います。

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食わず嫌い≠好き嫌い

「食わず嫌い」という言葉があります。

とんねるずの企画でお馴染みですが意味を考えると少し誤用な気がする

ざっくりと言えば、

  • 「食わず嫌い」とは食べたこともないのに嫌いだと思い込んで食べないこと。

  • 「好き嫌い」とは食べて不味い物だと理解した上で食べないこと。

だと私は勝手に類別しています。勝手にです。

私の教義では、「好き嫌いをしてもいいが、食わず嫌いをしてはいけない」としています。



食わず嫌いがダメな理由

飽食の時代と呼ばれる現代、実に多種多様な食べ物がこの世には存在しています。人類は日々新しい料理を模索し、開発してきました。

初めて見る物、というのはどんな物でも「恐れ」から入るものです。目で見た印象、匂い、食べた人の感想からどんな味かを想像します。その時点で不味そうと判断すれば口を付けるのを躊躇うでしょう。これは生き物の本能としても正しいことだと思います。

しかし、実際に口に入れるまではソレが美味しいかどうかは分からないのです。食べてないのに美味しいかどうかわかるはずがないのです。

それはゲーム実況だけを見てやった気になってそのゲームの批評をするうんちと同じです。やーい、うんちw!

また、同じ料理でも作り手によって味は様々、食べる環境やその時の気分によっても料理の味(感想)は変わってきます。一度食べたからと言ってその食べ物や料理を不味いと判断するのは早計です。

私が初めてウニを食べた時も、最初は「絵具の味」と評価しました。それからしばらくウニを見かける度、「あ、茶色い絵の具!」と言って家族から顰蹙を買っていました。ムカつくガキですね。

しかし、旅先の漁港で食べた海鮮丼に乗っていたウニを改めて食べた時、とてつもない美味さに驚いたのを今でも覚えています。食材の新鮮さや旅先という特別感が私に素晴らしい感動を与えたのです。

なので、私は提供された料理は必ず、全部1口ずつ食べるようにしています。そこで美味いと感じればまた一つ美味しい物に出会えたというアド(得)です。不味かったとしても「この食材をこう調理してこういう環境で食べると不味い」という情報が得られるのでアドなのです。
決してアド損になることはありません。

食べて不味ければ食べなくていいんです。現段階でその料理は自分に合っていないのです。まぁ、「好き嫌いの多い大人」や「食べ物を残す大人」は世間一般的に見てあまり格好が良くないのでTPOは弁えましょうね。

あ、ヒジキは何度食べても不味いので見た瞬間NG出して大丈夫です。私はアレを一生食べ物として認識できないと思います。



まとめ

好き嫌いの無い人間なんていません。味の好みや偏食はその人を構成する個性です。なんでも食べられる人、というのもまた個性です。自分の好き嫌いと向き合って理解することは、自分を再確認することなのかもしれませんね。

皆さんもこの機会に、自分を理解してみませんか?

良い感じにまとまったので(?)この辺で終わりましょうか。



おわり

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