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当たったのか?当たった気がしただけか?(1)

姓名判断は「統計」とは言いがたい』では、電話帳を使った調査の結果を紹介しました。ここで分かったのは、「姓名判断にはもともと曖昧なところがあるらしい」 ということでした。

おそらく姓名判断には、結果の当たり外れと関係なく、占い師や鑑定依頼者が当たったと信じ込んでしまう、心理的なメカニズムがあるのでしょう。

●アタリとハズレのグレーゾーン

どうやらアタリとハズレの間には、どちらとも言えないグレーゾーンがかなりの範囲で広がっているらしいのです。そして、その多くをアタリと見なしてしまう、ということのようです。

『「超科学」をきる』(テレンス・ハインズ著) には次のような実験例が載っています。[*1]

スーザン・ブラックモアという超心理学者が、タロット・カードを使った運勢占いがどのくらい当るか研究しました。彼女はタロット占いの実践家としても8年のキャリアがあったのですが、ある奇妙なことに気がつきました。

被験者に面と向かって占うと、被験者は占い結果をかなり「当たっている」と評価するのに、こんどは当人を占った結果を別の9種の結果と混ぜてみると、自分のものを正しく選べないだけでなく、誰にでも当てはまるような占い結果を選ぶ傾向があったというのです。

同じような話が心理学者 H.J.アイゼンクの『心理学における科学と偏見』 にもでています。アイゼンクは筆跡学やロールシャッハ・テストは当てにならないと考えていて、そのことは実験でたびたび明らかにされてきたといいます。彼の実験は次のようなものでした。[*2]

実験に先立ち、学生たちに筆跡学者やロールシャッハの専門家の信念を教え込みます。次に彼らに文字を書かせて筆跡のサンプルをとり、あるいは実際にロールシャッハ・テストを受けさせます。

数日後に、これらの結果からわかったこととして、性格描写をタイプした紙を各人に渡します。

すると、これを読んだ学生たちの100人中90人~95人は、自分の性格が正しく書かれていると感じるようです。ところが実際には、すべての学生に同じ性格描写を書いた紙が渡されていた、という仕掛けです。

●「当たる」と思い込むと、思考に偏りが生じる

これらの実験からわかることは、アタリ・ハズレの評価そのものが主観的になされるので、実際よりも多く当ったような気になる、ということでしょう。

姓名判断などのように「当るとはどういうことか」 が正確に定義しにくい場合、先入観や期待が影響して、どちらともいえないものまで当ったこととして分類される可能性があるのです。

人間の本性として、ひとたび「姓名判断は当る」 と信じてしまうと、この信念を強化するような状況ばかりが目につき、外れた事例には注意を向けにくくなるようです。

当った(ような気がする)事例ばかりに着目すれば、「やはり姓名判断はよく当る」 という印象を持っても不思議ではありません。

今から400年も昔、こうしたことを過激に言い切った人物がいます。イギリス経験論の祖といわれる哲学者フランシス・ベーコンです。

彼は、「あらゆる迷信は、占星術、夢占い、予言などの種類を問わず、当ったときは大騒ぎするが、外れたときは、その方がずっと多くても、無視し、見過ごしてしまう」 という意味のことを書いています。[*3]

●確証バイアスと記憶バイアス

姓名判断の肯定派にとっては耳の痛い指摘ですが、このように自分の信念や仮説に合った事例だけからアタリ・ハズレを確認しようとする傾向のことを、心理学では「確証バイアス」 というそうです。[*4]

このほかにも、予期している情報は記憶に残りやすいという「記憶バイアス」 があります。

たとえば、ひとりの女性を司書として紹介された場合と、ウェイトレスとして紹介された場合とでは、彼女の同じ行動を見ても、先入観によって記憶内容に差が出るらしいのです。

ある女性の日常生活を撮影した映像を実験の参加者に見せ、数日後にこの内容をどれくらい記憶しているか調べた実験があるそうです。この映像には、いかにも司書らしい特徴が9つと、いかにもウェイトレスらしい特徴が同じく9つ含まれていました。

その結果、司書と紹介された場合には、この女性の司書らしい行動をより多く記憶し、反対にウェイトレスと紹介された場合は、ウェイトレスらしい行動をより多く記憶していたというのです。

つまり、先入観に合致する情報はより印象的なので、ますます偏見に凝り固まっていく、ということでしょう。

●肯定派も否定派も先入観に影響される

バイアスなどという一見不都合な仕掛けがどうして人間に備わっているかといえば、「認知の省エネ」 の原理が背後にあるからだそうです。

私たちを取り巻く環境には、多様で無限ともいえる情報があふれています。そのため、身近に起こるできごとを完全に知覚し、記憶し、あらゆる方向から詳細に検討していたら、たちまち脳がパンクしてしまいます。

そこで、私たちが認知したさまざまな情報を、このバイアスが効率的に処理してくれるのです。可能性をすべて検討するより、「こいつはいけそうだ」 とカンをつけたほうが、はるかに短時間でゴールに到達できます。

私たちの脳は、このように効率性を優先した設計になっているため、ときどき間違いも犯すということのようです。[注]

「姓名判断は当る」 と信じている人は、当ったできごとには強い印象を受け、そのことがしっかり記憶されますが、外れたできごとはつい見逃したり、さっさと忘れてしまったりするのです。

同じ理屈で、「姓名判断はデタラメだ」 と信じている人は、外れたできごとに強い印象を受けて、そのことを深く心に刻み込み、いよいよ筋金入りの否定論者になっていくわけです。

============<参考文献>==========
[*1] 『「超科学」をきる』(テレンス・ハインズ著、化学同人社)
[*2] 『心理学における科学と偏見』(H.J.アイゼンク著、誠信書房)
[*3]『ノヴム・オルガヌム(新機関)』(桂寿一訳、岩波書店)
      『ベーコン 学問の進歩/ノヴム・オルガヌム他』(服部英次郎、河出書房新社)
[*4] 『超常現象をなぜ信じるのか』(菊池聡著、講談社)

===========<注記>=========
[注] 認知バイアス(無意識的な思考の偏り)
 認知バイアスにはたくさんの種類があるが、錯視もそのひとつ。神経科学者のV・S・ラマチャンドランは面白い錯視の実験を紹介している。

まず下図をまっすぐ見る。すると、円盤の上の列は膨らみ、下の列はくぼんでいるように見えるが、その逆にも見える。光源が左右どちらにあると思うかで、見え方は反対になる。

ところが、頭を右肩に付くほど傾けて見るとどうなるか。今度は円盤の膨らみとくぼみの曖昧さがなくなる。上の列が膨らんで見え、下の列はくぼんで見えるのだ。これは脳が「太陽(光源)はいつも頭上にある」と想定しているからだ。

「私たちの祖先の類人猿は、頭を傾けた状態で歩き回ることはほとんどなかった」ので、「太陽は頭上」という前提は十分に合理的だ。危険な肉食獣に遭遇したら、自分の頭の方向を気にしている余裕はない。一瞬でも早く逃げなくては!生き延びるためには、めったに起こらない間違いは無視できる。

『脳のなかの天使』(V・S・ラマチャンドラン著、角川書店、2013年)
『脳のなかの天使』(V・S・ラマチャンドラン著、角川書店、2013年)



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