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発掘!「現代の姓名判断」の起源(2)

明治末期から大正期にかけて、突如として大量の姓名判断書が出現しますが、これらのほとんどが、後に「五則」と呼ばれる五つの技法を用いていました。この五つがすべて「吉」なら、運勢的に最良の姓名とされるのです。

技法の名称は、占い師によって若干の相違がありますが、一般的には次のようでした。なお、「運数」とは、文字の画数で吉凶を占う「数霊法」のことです。[注1]

① 運数(または運格)
② 陰陽(または乾坤)の配置
③ 五気(または五行)の組合せ
④ 読み下し(の意義)
⑤ 天地の配置

ところで、姓名判断で「五則」が一般的になるのは大正期以降です。創成期の頃には、「五則」のほかに、技法がひとつ少ない「四則」もあり、どちらが主流とも言い難い状況でした。

●なぜ「五則」と「四則」ができたか?

菊池准一郎氏の『初編』を種本にして独自の鑑定スタイルを確立したのが海老名復一郎、佐々木盛夫、高階鏡郭の各氏です。

海老名氏は五つの技法をひと組にして「五則」としましたが、佐々木、高階、そして彼らに続く小関金山の各氏は技法がひとつ少ない「四則」です。海老名氏の「天地の配置」がないのです。[注2]

しかし、同じ種本を使ったのなら、なぜこんな違いが生じるのか?それは菊池氏の『初編』を実際に読んでみると、およその見当がつきます。原因はその特徴的な書き方にあったと考えられるのです。

●「天地の配置」の発見と「五則」

菊池氏が『初編』を著した意図は、「姓名と一生の幸・不幸が深く関わっていること、名前はよく選ぶべきこと」を読者に伝えることだったようで、姓名判断のやり方を手引きすることではなかったらしいのです。

そのためか、数に吉凶があること等を、わずか3ページ程度で概説したあと、唐突に鑑定例が始まります。

姓名判断のテクニックについては、33の鑑定例(人名32、薬名1)の中で断片的に解説されるだけです。全体で40ページ足らずの小冊子ですが、目次すら付いていません。

このような書き方のため、読み手には、菊池氏の姓名判断が何種類の技法から成り立っているのか、正確には分からなかったのです。

後に「五則」として知られる五つの技法のうち、「運数〔数霊法〕」、「陰陽の配置」、「五気の組合せ」の三つは、33の鑑定例のほとんどに説明があり、図解もされているので、誰が見ても明らかです。  

『古今諸名家 姓名善悪論 初編』(菊池准一郎著)

ところが、「読み下し(の意義)」に関連した説明は33例のうち5例しかなく、「天地の配置」にいたっては、たった1例です。それも、ちょっとした注意書きでしかありません。[注3]

そもそも、「運数」「読み下し(の意義)」「天地の配置」といった技法の名称は、海老名氏以降に付けられたものです。菊池氏の『初編』では、「運数」を単に「名の(画)数」や「姓名合数」などというのみで、「読み下し(の意義)」や「天地の配置」には技法の名称もありません。[注4]

こういうわけで、姓名判断の技法をいくつで「ひと揃い」とするかは、読者が受けた印象次第ということになります。

この「ちょっとした注意書き」を「天地の配置」という独立した技法とみなした海老名氏は「五則」と捉えたのに対し、佐々木・高階両氏はさらりと読み流して「四則」としたのでは、と推察されます。

●「読み下し(の意義)」か「音読」か?

「天地の配置」のほかに、もうひとつ解釈の分かれた技法があります。「読み下し(の意義)」です。菊池氏の『初編』では、わずか5例しか説明がないため、この技法が一体、姓名の何に着目した技法なのか、はっきりしなかったのです。[注5]

このような状況で、海老名氏はこの技法を「読み下し(の意義)」と解釈し、「名前を通読して、字義が盛大、美麗、勇壮などを意味すれば吉名」としました。

他方、佐々木・高階両氏は「音読おんどく(読み下しの口調)」と解釈し、「発音した時に語呂ごろがよく、滑らかで高尚なのが吉名」としました。[注6]

ところで、菊池氏が『初編』で紹介したかった技法は、「読み下し(の意義)」でもなく、「音読(読み下しの口調)」でもなかったようです。

『続編』には「文字を解剖する仕方」という項があり、文字(漢字)の構成を分解して、潜在する意味を読み解く、「文字占い」について解説しています。たとえば、「信」の文字なら、「人」と「言」に分けられるので、「人の言葉」を意味すると解釈します。[注7]

もし、『初編』にこの項があったならば、おそらく「読み下し(の意義)」はまったく別の技法に発展していたでしょう。つまり、「文字の解剖」という技法が「五則」のひとつになったと想像されます。

============<注記>===========
[注1] 姓名判断の「五則」
①運数(または運格)
 創成期の数霊法は、運数とか運格などと呼ばれていた。姓の字画数、名の字画数、姓と名の字画数合計の3種類を用いたが、姓の字画数を判断に加えない占い師もいた。

②陰陽(または乾坤)の配置
 姓名の各文字を字画数で陰陽に区別し、陰と陽の配列パターン(陰・陽・陽・陰など)で吉凶を判断する。陰陽を乾坤ともいう。

③五気(または五行)の組合せ
 各文字に一定のル-ルで五行(木、火、土、金、水)を割り当て、その五行の配列パターン(火・土・木・火など)で吉凶を判断する。五気を五行ともいう。

④天地の配置
 姓の第一字の画数より、名の第一字の画数が少ないのを吉とする。10画を超える場合は、1桁の数(13画なら3)のみを使う。

⑤読み下し(の意義)
 名前が大山巌であれば、「大山は動かざること巌のごとし」で高大と永久とを意味し、完全無欠の意義がある、などと解釈する。

[注2] 「五則」と「四則」
 「元祖」候補グループから予選落ちした、鎌田晴山、小倉鐵堂、佐枝得道、野村晋一/川手弘道の各氏は「五則」である。

[注3] 『古今諸名家 姓名善悪論 初編』での「天地の配置」に関する記述
 「天地の配置」については、守田治兵衛(6画、5画、8画、7画、15画)氏の鑑定例のなかに、以下のような説明文がある。「陰陽の配置」と「天地の配置」の両方に関する記述だが、技法の解説というより、補足的な注意書きといった印象を受ける。

「姓の頭字が●なら、名の頭字を○にし、姓の頭字が○なら、名の頭字を●とする。また、上に六画の字なら、直ぐ下の字を一画か三画か五画のどれかを用い、上の字の画より下の字の画ほど画数を減ずるのを順とする。」(読みやすいように若干書き換えた)

 この記述を独立したひとつの技法として読み取った海老名氏は、そうとう注意深く読み込んだであろうことが想像される。この部分に特別の注意を払わなかった佐々木、高階両氏は、むしろ普通の感性の持ち主だったか。

[注4] 「読み下し(の意義)」の技法の名称
 菊池氏は『初編』の中で、「文字上より解すれば」とか「文字の意をいえば」などと表現している。

[注5] 「読み下し(の意義)」の原型
 菊池氏の『初編』には、「読み下し(の意義)」に関連する技法の原型が5例でている。読み下して意味を求める要素も無くはないが、①と②は「測字法」(文字占い)か、その応用である。⑤は字義と五行を関連付けた、複雑な解釈をしている。

① 武田信玄
 「武」の文字には「アシアト(足跡)」という意味がある。「田」に「足跡」とは、季節なら秋の末、稲の取り入れは終っている。「信」は人の言葉、「玄」は「カスカ(微か)」を意味するので、これは正に「地下に居る人」を暗示している。

② 源頼朝
 「源・頼・朝」〔の3文字とも、シと原、束と頁のように、左右に分割できるので〕、これは兄弟の不和〔を暗示している〕

③ 源義経
 文字上より解釈すれば、義経とは義のための縦糸であり、横糸を掛けるのは自然の理であって、これは幟を織る象である。東西に奔走し、戦場で苦しみを味わうのも、やむを得ない。

④ 後藤象二郎
 文字に解して、象の如く泰然として不動、功成り名遂げる姓名である。

⑤ 鴻池善右衛門
 「右」〔の五行〕は土であるが、この土は「山」を表す。「衛」もまた土であるが、こちらは「岡」を表す。岡に水が無い時は、五穀はもちろん、草木その他、万物が生じない。故に「門」は水によって地を潤す意味である・・・。
 文字の意義をいえば、「鴻」は甚だ広いことを意味し、「池」は大いなる器に多くの水を保つ意味がある。名の首字「善」(の五行)は金であり、尾字「門」は水であるから、金と水の和合物を広い池に納めるという意となる。「右」と「衛」のニ字は土であるから、「金山広岡の土台なり」と判断する。

 なお、明智光秀の例も「読み下し(の意義)」の原型に相当する可能性があるが、解説文は「文字の上は甚だ美なり」とあるだけで、説明になっているとは言い難い。

[注6] 「音読(読み下しの口調)」
 菊池氏の『初編』には、発音したときの口調をテーマにした技法は無い。したがって、これは佐々木・高階両氏の新説である。

[注7] 「文字の解剖」
 『続編』の「文字を解剖する仕方」には、ほぼ次のように書かれている。

 「文字の解剖」というと、耳新しく聞こえるだろうが、文字が作られた昔に遡れば、今日の文字は総じて解剖的に組織されている。ある漢字は「形象」がもとになっており、また別の漢字は「意義」に基づいている。・・・
 姓名学の基本中の基本が「文字の解剖」である。そして、文字の形象に鑑み、意義を察し、吉凶、禍福等、さまざまに形を変えて現れる真理を大観すべきである。

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