発掘!「現代の姓名判断」の起源(6)
●「読み下し(の意義)」への異常なこだわり
海老名氏が確立した「五則」の中に、ひとつ気になる技法があります。名前を漢文のように読み下して、その字義から吉凶を判断する「読み下し(の意義)」です。
何が気になるかと言うと、この技法は井上円了氏の説く『名称教育』と妙に似ているのです。
海老名氏は当初、この技法を「文字上解釈」と命名しました。このネーミングは種本の『初編』(菊池准一郎著)に由来します。
『初編』には「文字上解釈」が5~6例でています。その内訳は、「読み下し(の意義)」と見なせるものが2~3例、文字を分解する「測字法」が2例、そして「読み下し(の意義)」の高度な応用が1例です。[注1-2]
さてここで海老名氏は、なぜか「測字法」には目もくれず、「読み下し(の意義)」だけを取り入れました。そして、種本のたった数例から、詳しい解説と50近い実例を考え出しました。さらに2年後の著書『新説秘術法眼』では128例に大幅追加しています。[*1-3]
しかも、この「読み下し(の意義)」が良好でなければ、他の四つがどんなに良好でも、吉運は望めないとして、五つの技法の最高位に据えたのです。 [注3]
●『新秘術』(海老名復一郎著)に第二の種本か?
『初編』だけに頼ったとすると、ずいぶん飛躍していないでしょうか。ひょっとして、第二の種本が隠れているかもしれません。確たる証拠はありませんが、円了氏の『名称教育』が怪しいと、私は睨んでいます。
円了氏は『名称教育』の中で、名前とその人物の気質や才能、人生の幸・不幸を関連付けて説明しているのです。ここには、牛太郎、牛造、虎造、熊造、福沢諭吉、中村正直、矢野文雄、加藤弘之、小幡篤次郎の9例がでてきます。[*4] [注4]
このほかにも、国名の「日本」や軍艦名の「扶桑艦」「比叡艦」などを挙げ、これらの名称がいかに日本人や水兵を感化・鼓舞するか力説しています。
もし海老名氏がこの記事を目にしたとすれば、おそらく新鮮に感じたでしょう。なにしろ、文字の意義で姓名判断する方法は、この当時、まだ知られていなかったわけですから。最新の技法として、真っ先に取り入れる動機になったのではないでしょうか。
それに、『名称教育』そのものが「読み下し(の意義)」を解説した姓名判断書といっても良いくらいです。
仮にこれが海老名氏の第二の種本だったとすれば、『新秘術』に「読み下し(の意義)」の「詳しい解説と50近い実例(その2年後には128例)」を書くのは、さほど難しくなかったでしょう。
そしてなにより、『名称教育』は井上円了という著名な大学者が唱えた説です。五つの技法中で「最重要」とする根拠としても、申し分ありません。
●海老名氏と論説『名称教育』との接点
では、そもそも海老名氏には『名称教育』を知る機会があったのか? これは憶測に過ぎませんが、新聞報道がきっかけになった可能性はあります。現に「新聞で知った」という人物がいるのです。『名称教育精義』の著者、楠本博俊氏です。[*5]
楠本氏は大正4年〔1915年〕の春頃、ある地方新聞で円了氏が首唱する「名称教育」の理念を知り、帝国教育会(旧大日本教育会)から論説『名称教育』の原稿コピーを取り寄せたそうです。
大正4年というと、論説が雑誌『大日本教育会』に掲載された約25年後です。これほど年月が経過してさえ新聞記事になるくらいですから、それ以前にも度々記事にされたに違いありません。
海老名氏の『新秘術』出版は明治31年2月なので、もし彼が『名称教育』を知る機会があったとすれば、円了氏の論説発表からの経過年数は最長でも7年です。
海老名氏が論説『名称教育』にたどり着くチャンスは、楠本博俊氏よりはるかに大きかったのではないでしょうか。果たして真相はいかに・・・。
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