技法の信憑性(5):音霊
●音霊の判断法
わが国には昔から、ことばには霊力が宿るという言霊信仰があります。これにヒントを得て、五十音はそれぞれ固有の神秘的な作用をもつとして、姓名をどう発音するかに着目した技法です。
名前を発音のままに、その一音、一音に意味をあてはめ、性格的にどんな影響受けるか、どんな特徴をもつようになるか、などと判断します。
●ルールが曖昧な音霊
この技法の信憑性を問う前に、そもそもの問題点があります。それは、用いる占い師が多いわりに、ルールが曖昧すぎることです。
ある占い師は名の第一音のみが影響するといい、別の占い師は第二音以下も影響するが、その影響力は第一音が70%、第二音が30% ( この比率をどうやって調べたか謎です)などといい、さらに別の占い師は姓と名の全音が影響するといいます。
また、名の各文字の最初の音がすべて、たとえば浩一郎さんなら、〔こ〕と〔い〕と〔ろ〕の3音がひとしく影響する、という占い師もいます。
いかにもテキトーという感じですが、それでも具体的なルールが書いてあれば、まだいいほうです。信じがたいことに、「〔あ〕の音が誘導する意味は・・・、〔い〕の音が誘導する意味は ・・・ 」などと、五十音をただ漫然と並べているだけの占い本が結構あります。
しかし、ちょっと想像してみてください。「小泉孝太郎」さんなら、「コ・イ・ズ・ミ・コ・ウ・タ・ロ・ウ」ですから、9つもの音があります。これらが相互の関連性もなく、各音の誘導する意味とやらを説明されても、「それがどうした?」ってことになりませんか。
●未完成の音霊法
五十音による音霊をはじめて姓名判断に取り入れたのは、和田哿邦、上野勝啓の両氏です。大正3年刊の『哲学的姓名学之基礎』には、「この音韻によって姓名を判断する新法を伝えるのは、本書の独特であって、他に類例がない」と書いてあります。[*1]
確かに、これ以前に類似の技法を紹介する占い本は見当たらないので、彼らの創案であることは間違いないでしょう。
ただこの書は、能書きが延々と200ページも続いた後に、10ページ足らずの「姓名判断法」を載せているに過ぎず、その解説もかなり曖昧です。どうやら、創案当初から使い方が曖昧な、未完成の技法だったようです。[注1]
その後、昭和初期までに数人の占い師がこの技法を取り入れますが、ポピュラーにした人物といえば、なんといっても熊﨑健翁氏でしょう。この技法を熊﨑式姓名学に組み入れたことで、急速に広まっていきました。
これに噛み付いたのが同業者の宇田川豊弘氏です。彼の『運命の科学的探究』を見てみましょう。[*2]
●宇田川氏の批判
実は、宇田川氏の批判には続きがあります。その要旨は、「熊崎氏は、音霊の鑑定法を説明する段階になると、別の技法の鑑定法に話をすり替えている、だから音霊の鑑定法の説明になっていない」というのです。
宇田川氏がいう「すり替え」技法については、話が込み入ってくるので、ひとまず置くとして、ここでは音霊に限定して進めます。
音霊というくらいですから、本来はそれぞれの音の霊力とその相互作用が問題になるはずです。名前が「宇田川豊弘」なら、「ウ・ダ・ガ・ワ・ト・ヨ・ヒ・ロ」の八つの音がどう影響しあって、結果的にどんな運勢的作用を及ぼすかを知りたいわけです。
ところが、各音に個別の意味づけはするものの、それ以上の説明がないというのです。
●五十音が誘導する奇怪な人物像
参考までに、五十音が誘導するという性格・運勢の違いを、5人の占い師で比較してみましょう。
ここでは「お」「と」「た」「ま」の四つの音をとりあげました。表を見れば分るとおり、各氏はこの四音にかなり異なった意味を与えています。仮にこれらの性格がすべて同時に成り立つとすると、世にも奇怪な人格と運命が出来上がります。
たとえば、「お」を見てみましょう。この音を持つ人は、温厚で慈愛に満ちた人柄なのに、なぜか周囲の人たちとは折り合いが悪く、陽気で何ごとも肯定的に考える反面、いつも不平不満ばかり訴えている、などといった性格になるようです。
しかもこの人は、保守的な傾向があるので自らは変化を求めず、ひたすら堅実に生きようとするのに、神の気まぐれからか、波乱万丈の人生を送らざるを得ないという数奇な運命の持ち主でもあります。
確かに人間というものは、大なり小なり相反した性格を持ってはいます。ですが、これほど両極端な性格をあわせ持った人物となると、普通の人にはまず理解不能でしょう。
そう考えてみると、この技法の実用価値はだいぶ疑わしくなってきます。もちろん、『エイリアンのための姓名判断』というのなら、話は別ですが。
●熊﨑健翁氏の主張
この技法の姓名判断的な作用について、熊﨑氏は『姓名の哲理』の中で、およそ次のように書いています。[*3]
音は空気振動で伝わるので、人は自分の名前が呼ばれるとき、その音声が脳を直接刺激して、性格や運勢のパターンを形成する、ということのようです。
イメージ的には、音の特徴に従って無数の脳細胞が結合のしかたを変える、といったところでしょうか。現時点では、運がよくなる脳細胞の結合がどんなものか、まだ科学的に発見されていないようですが。
●音声刺激は運勢に影響するか?
ところで、私たちの世界はあらゆる種類の環境音に満ち満ちています。テレビから流れてくるニュース、周囲で交わされる日常会話、それらには一般的な名詞や他人の名前が無数にでてきます。音楽、動物の鳴き声、さまざまな騒音も聞こえてきます。
そうした中で、個人が自分の名前だけから特別な影響を受けるとは、どういうことでしょうか。
数人の兄弟姉妹がいる人は、自宅で兄弟姉妹の名前のほうが、自分より多く呼ばれる可能性もあります。こういうとき、彼らの名前は影響しないのでしょうか。また自分が呼ばれるときの声の高さ、大小、イントネーションの違いを考えなくていいのでしょうか。
音霊的には申し分のない名前なのに、なぜか運勢が良くないという人がいたら、その人は兄弟姉妹の名前に問題があったのかもしれません。でなければ、周囲のみんながもっと大声(あるいは小声)で呼びかけるか、イントネーションに注意を払うべきだったのです。
●音霊は実用化が難しい
イントネーションの重要性はアメリカの女流作家ドロシー・パーカー(1893-1967)が実験しています。
ある退屈なパーティーで、見覚えのある人から「お元気?」などと尋ねられるたびに、彼女はこう返事をしてみたそうです。「今、主人を斧で殺してきたので、とても元気ですわ。」
これを、いかにもパーティーでの雑談ふうのイントネーションで話したら、誰もがただ微笑み、うなずいて、驚きもせずにその場を離れていったというのです。[*4]
こういう話を聞くと、名前そのものより、イントネーションに気を遣うべきだと思えてきませんか。
それに、至近距離で相手の名前を呼ぶのでない限り、普通は呼ぶ側のほうが大きな声で聞こえるでしょう。口と耳との距離は10cmそこそこです。空気振動だけでなく、補聴器や携帯電話にも応用されている骨伝導(骨の振動が聴覚神経に直接伝わる)も考慮すればなおさらです。
とすれば、名前を呼ぶ側のほうが、呼ばれる側より影響が大きいのではないでしょうか。理屈からすると、子どもの名前で性格や運勢が左右されるのは、多分、親のほうです。
選挙が近づくと、拡声器を付けた選挙カーが大きな音で候補者の名前を流します。あれは地域に住む大勢の子ども達に悪い影響がありそうです。
せっかく音霊的によい名前を付けても、耳にこびりつくほど繰り返し聞かされた候補者の名前のせいで、効果が半減する恐れがあります。子ども達には、いつも耳栓をして生活するよう指導したほうがいいでしょう・・・。
このように見てくると、名前に音声的な影響力があるとしても、何に注意すればよいか不明な点が多すぎます。どうも実用化が難しい技法のようです。[注3]