数秘術の信憑性(2):ローマ字つづり方の統一
●ローマ字推進運動の展開
日本語の発音をどのようにローマ字表記するかについては、はじめからきちんとした規則があったわけではありません。つづり方が統一されたきっかけは、江戸末期から明治初期に起こった国語改革運動にあったようです。
当時、公用文は漢文で書かれていましたが、新しい知識の正確な記述と教育の普及のために、もっと平易な書き方にしようという気運が高まりつつありました。
慶応2年(1867年)12月、前島密という人が将軍 徳川慶喜に奉った建白書『漢字御廃止之議』は、この種の主張で最初のものだそうです。
「密」とはずいぶんユニークな名前ですが、その名前に反して大胆な行動をとったところは、姓名判断的にたいへん興味深いことです。この人、近年では郵政事業の創始者としてすっかり有名になりました。
それはさておき、彼は平仮名を推奨したのですが、その一方でローマ字を推進する動きもありました。南部義籌という人は蘭学を学んだことでローマ字の利点に気づき、明治2年(1869年)、『修国語論』で初めてローマ字を国字とするよう、時の政府に提案したそうです。
●二種類のローマ字
その後、紆余曲折をへて、つづり方の違いによりローマ字推進派からふたつの組織が生まれます。
ひとつは、五十音表にもとづいたつづり方を重視する「日本のろーま字社(後の日本ローマ字会)」です。こちらの方式では、母音のA I U E O と子音のK(カ行) S(サ行) T(タ行) N(ナ行) H(ハ行) M(マ行) Y(ヤ行) R(ラ行) W(ワ行)の単純な組み合わせで、五十音が作られます。このつづり方は後に日本式と名づけられました。
そしてもうひとつの組織は「ローマ字ひろめ会」で、こちらはアメリカ人宣教師J.C.ヘボンの英語式つづり方を採用しました。[注1]
ヘボン式はその後、中等学校での英語教育の分野に広まったほか、鉄道省にも採用されました。一方、日本式は中央気象台、陸軍省、海軍省で採用されたため、地図や海図の地名は日本式で表記されることになったのです。
イメージ的には、旅行者が新宿駅のプラットホームで地図を広げると、駅の看板には SHINJUKU、地図には SINZYUKU と書かれている、といった具合です。
●第三のローマ字の出現
政府もさすがに「これはまずい」ということで、文部省(当時)に臨時ローマ字調査会を設置し、識者を集めて6年間も討議したそうです。その結果、ヘボン式と日本式のどちらでもない、「訓令式」という第三のつづり方が生まれます。[注2]
ところが、終戦後の昭和20年〔1945年〕、連合国軍最高司令部(GHQ)は英文中の都市名をヘボン式で表記するよう指示したのです。そして鉄道名、都市名、街路名などはすべてヘボン式で書き換えられました。これが遠因となって、訓令式の制定でいったん落ち着いた「日本ローマ字会」と「ローマ字ひろめ会」の対立は再燃します。
事態は簡単には収束せず、昭和23年〔1948年〕7月、文部省は訓令式、ヘボン式、日本式のどれでもOKとしたため、これを受けた民間発行の教科書も三方式となったそうです。
そして6年後の昭和29年〔1954年〕12月、「ローマ字のつづり方」が訓令・告示となり、ようやくこのゴタゴタは決着します。[注3]
以上はつづり方の統一の歴史ですが、それ以前にもっと長いローマ字の歴史があります。時代は16世紀半ばのキリスト教伝来までさかのぼります。ローマ字はキリスト教とともに日本に広まったのです。(つづく)