その流派が「よく当たる」ってホント?
いわゆる「姓名判断」とは、たくさんの流派の総称です。同一人物の名前を占ってみると、流派によって結果もバラバラです。それにも関わらず、各流派には著名な占い師がいて、何人もの支持者が「よく当たる」と宣伝しています。
ですが、結果がバラバラなのに、どの流派も「よく当たる」はずがありません。そもそも、「よく当たる」流派なんて本当にあるのでしょうか。真相を調べてみることにしましょう。
●「よく当たる」ための条件とは?
とは言っても、個人の能力では、数も定かでない各流派を虱つぶしに検証するわけにはいきません。そこで良い方法を思いつきました。逆から探すのです。
どういうことかというと、「よく当たるための条件」を考え、その条件を満たしている流派を探すのです。その流派なら、きっと「よく当たる」はずです。[注1]
ただ、じっくり考えてみると、「よく当たるための条件」はそんなに思いつきません。せいぜい次の三つくらいでしょう。
このうち、①は本テーマと無関係ですし、②は該当する流派が見当たらないので、結局、③について調べることになります。[注2]
●「当たる可能性あり」の字画流派はどれ?
姓名判断といえば字画数で吉凶判断する方法がポピュラーです。この方法を用いる占い師は、漢字には吉凶を暗示する数霊が宿っていて、その数霊は画数でわかると信じています。
ただ悩ましいことに、画数の取り方は流派によって異なります。大別すると旧字派、康熙派、新字派、戸籍派、常用派(いずれも当ブログの仮称)の五派があります。
そこで、どの流派の主張が最も合理的で筋が通っているか比較してみたいと思います。
明治・大正期には、字画数と数霊との関係は曖昧でした。当時は旧字体しかなかったので、深く考える必要がなかったのです。
そんな中、康熙派の元祖、熊﨑健翁氏が最初の字画論争を引き起こします。「手へんは見た目の3画ではなく、康熙字典の部首分類に従った4画(手)だ」などと言い出したのです。
昭和21年〔1946年〕に新字体が内閣告示されると、占い師の対立は格段に複雑化します。新字体と旧字体が共存し始めたため、字画数と数霊の関係について考え方と対処方法を迫られたのです。
その結果、以下の五派に分裂しました。
●各流派の考え方とその評価
①② 旧字派・康熙派は次のように考えます。「漢字が生まれたとき数霊が宿った。だから新字体になって画数が変わっても数霊は旧字体のまま変わらない。」
しかし、漢字の字体(画数)は歴史的に何度も変化してきました。漢字は「ある瞬間」に生まれたわけではなく、旧字体より古い字体もあります。なので、この主張は事実に反します。
③ 新字派の考えはこうです。「現在使われている字体に数霊が宿るので、新字体の画数が数霊を表している。」
すると、旧字体で画数が吉数だった漢字が、新字体で凶数になった場合、内閣告示のせいで凶名になった人がいるわけです。また、中国の簡体字も新字体ですが、利用人口は日本人の10倍以上なのに、簡体字の画数は無視されています。ずいぶん不合理ですね。
④ 戸籍派は「名前の持ち主と正式に結びついた字体、つまり戸籍の字体の画数こそ数霊を表している」と考えます。
この説に従うならば、戸籍の字体が人の運命を決定することになります。戸籍に登録されなければ無力な文字が、ひとたび名前として登録されると、何ごとかを現実化する魔力を発揮するようです。「戸籍」とは実在する『DEATH NOTE』なんでしょうか。[注3]
⑤ 常用派の考えは、「ふだん使っている字体の画数が数霊として作用する」というものです。
しかし、ある漢字を個人が何画で筆記し、何画と認知するかは、必ずしも字書の画数と一致しません。字書に書かれた画数だけが数霊を表すとなると、字書を編纂した漢字学者は、一般人が知りえない数霊を知っていたことになります。漢字学者は霊能者なのでしょうか。
●「画数が数霊を表す」ってホント?
さあ、困ったことになりました。どの流派の考え方も、突き詰めてみれば、とても合理的で筋が通っているとは言えません。一体、どこがおかしいのでしょうか。
すべての流派に共通するのは、次のふたつを無条件で信じていることです。
姓名判断で字書の画数を頼るすべての流派は、本人も気づかないうちに、字書を編纂した漢字学者を霊能者とみなしていたのです。
もちろん漢字学者の中にも霊能者がいるかもしれませんが、それを大前提としたのでは、さすがに論理の飛躍も甚だしいと言うべきでしょう。
①字書の画数が数霊を表すかどうか、そして②字画数が運勢に影響するかどうかは、安易に信じる前に、十分な検証が不可欠です。もし統計的な検証が不十分なら、少なくとも考え方に合理性がなくてはいけません。
この最低条件さえも疎かにしたために、不合理で奇妙な世界に迷い込んでしまったのです。次の笑い話はこのテーマの教訓になるかもしれませんね。
<『徒然草』 第88段(要約)>
書家の小野道風が書いた『和漢朗詠集』なる物を秘蔵する人がいた。ある人が、「小野道風は『和漢朗詠集』が作られた時期より昔の人だから、時代が逆ではないか」と言うと、「だからこそ世にも珍しいのだ」と言って、ますます秘蔵した。
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