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姓名判断は「旧字体」が正しいってホント?<下>

③「旧字体の姓名判断は新字体より伝統的」ってホント?

●旧字体を用いる旧字派と康熙派

この議論を正しく評価するには、まず旧字派と康熙派を区別してかかる必要があります。

字画の合計数で吉凶を判断する方法は明治中期に作られました。その後、昭和初期までの約40年間はどの占い師も「さんずい」は3画、「草かんむり(旧字体は++)」は4画でした。

一部の占い師が「さんずい」に4画、「草かんむり」に6画を使いだしたのは、康熙派の元祖、熊﨑健翁氏が登場して以降のことです。[注1]

その後、終戦を迎えて漢字が簡略化され、480字の新字体が作られます。内閣告示の当用漢字表では、例えば「草かんむり」が「艹(3画)」になっています。そこで、新勢力として現れた新字派は「草かんむり」に3画を使いはじめたのです。[*1-3] 

さあ、これで検証材料が揃いました。2022年の現在、旧字体と新字体にもとづく姓名判断の歴史がどの程度のものか、経過年数を見てみましょう。

なるほど。「康熙派と新字派はポイント獲得ならず、1ポントを獲得した旧字派の勝利」ってところでしょうか? いえいえ、話はそんなに簡単ではありません。実は意外な事実があるのです。新字体の歴史は昭和21年〔1946年〕の告示以前まで遡るのです。

●新字体は旧字体と同時期に慣用されていた

『当用漢字表』(内閣告示 第三十二号)の「まえがき」には、次のように書いてあります。

「簡易字体については、現在慣用されているものの中から採用し・・・」 [*3]

この記述からわかるとおり、新字体(簡易字体)は漢字学者が机上で作ったものではなく、正式な字体として告示される前から、ずっと世の中で通用していたのです。略字(後の新字体)のほうが正字(旧字体)より、書きやすく、読みやすく、便利だったからです。

たとえば「囲、円、図」の旧字体は「圍、圓、圖」ですが、複雑で書くのが大変そうですね。略字のほうがはるかに楽です。視力が弱い人には「圍、圓、圖」と「■、■、■」の区別もつかないでしょう。

こうした略字が「慣用されて」いたくらいですから、当時の一般市民には略字のほうが正字より身近だったわけです。

実は姓名判断の業界には、ふだん使用する字体を重視する「常用派」が明治・大正期にもいたのです。彼らは正字にこだわらなかったので、略字(後の新字体)を用いて姓名判断しました。なので、姓名判断との関わりは新字体も旧字体も最初期からあったのです。[注2]

ということで、正解は「旧字体の姓名判断と新字体の姓名判断は同じくらいの歴史がある」でした。

●新字体も旧字体も同じくらい昔から使われていた

ところで、これらの略字はいつ頃から通用していたのでしょうか。試みに、中国の唐代(774年)に成立した『干禄字書』を調べてみました。すると驚いたことに、見覚えのある漢字がいくつも見つかりました。

たとえば、並(竝)、継(繼)、万(萬)、乱(亂)、断(斷)、状(狀)、壮(壯)、礼(禮)などです。なんと、これらの略字は正字とともに1200年以上も使われ続けていたのです。(ただし、「万」は正字の扱い) [*4] [注3]

どうやら、中国から正字が輸入されたとき、略字も一緒に海を渡ってきたようです。漢字は日常的に使うものです。書きづらく、読みづらい複雑な漢字は、いつとはなしに略されるのが宿命です。

であれば、旧字体と新字体の歴史を比べても意味がないでしょう。千数百年という単位で見れば、両者は同じくらい古い歴史があるのですから。

※前半はこちら⇒『姓名判断は「旧字体」が正しいってホント?<上>

=========<参考文献>========
[*1] 『図説日本語』(林大監修、宮島達夫・野村雅明編、角川書店)
[*2] 『新字体の画数』(宮島達夫著、「計量国語第11巻7号」所収)
[*3] 『当用漢字表』 12_001.pdf (bunka.go.jp)
[*4] 『和刻本辞書字典集成 第三巻』(長澤規矩也編、汲古書院)

==========<注記>=========
[注1] 康熙派の元祖、熊﨑健翁氏
 『熊﨑式姓名学』の初出については以下の記述にもとづく。(漢字、かなの一部を現代表記)

①『姓名学真髄』(根本円通著、日本霊理学会、1929年)
 熊﨑式姓名学のはじめて世に発表された〔の〕は、昭和四年一月『主婦之友』新年号付録であり、実業之日本社から『姓名の神秘』を出したるは昭和四年の夏にして、この両者の理論は同様なり。(p277)

②『姓名の神秘(28版)』(熊﨑健翁著、紀元書房、1991年)
 本書の骨子を成す要綱は・・・「主婦の友」の昭和四年新年号に発表され・・・。(序文)

③『新 姓名の神秘』(熊﨑一知乃著、同友館、1995年)
 熊﨑式姓名学の始祖であります私の父・熊﨑健翁により、昭和四年に「姓名の神秘」が初めて出版(実業之日本社初版発行・・・)されて・・・。(序文)

[注2] 明治・大正期の常用派
 明治・大正期の常用派の例としては『新姓名判断』(姓名学研究会、一星社、大正2年〔1913年〕)があり、次のように書いている。

「人の姓名には、よく戸籍の文字と普通使用している文字と違っているのがあり、また殊更ことさらに名前を変えているのもあり、わざと字画を略しているのもあります。・・・こういう場合、世間の字画屋〔姓名鑑定家〕は必ずその本当の字、戸籍の字によらねばならぬように申しておりますが、私どもは少しもその必要を認めません。かえって普通使用している文字によるべきことを主張するものです。」(漢字、かなの一部を現代表記)
※「常用派」はこちら⇒『漢字の画数問題(4):常用派と併用派

[注3] 『干禄字書』について
 この字書では約800字について異体字を正・通・俗に3分類している。「正」は確実な根拠のあるもの、「通」は長年使われてきたが正規の文字とは定めがたいもの、「俗」は学問的な裏付けがなく、日常的にのみ使用を認められるものである。 
※こちらも参照⇒『漢字の画数問題(5):異体字と俗字

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