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孔子、荘子、仏典は名前の大切さを論じたか?

●孔子や荘子は命名を重視したか?

姓名判断の占い本の中には、やたらと孔子や荘子を引用して、いかに昔から命名が大切にされていたかを力説しているものがあります。昭和初期までの姓名判断書では特にそうです。例えばこんな調子です。

・「必ずや名を正さん、名正しからざるは乱の本なり」と孔子も言われて
  おり・・・
・大聖孔子は、名は必ず正しくせよ・・・以上の言句はみな千古の金言にして
・孔子曰く、必ずや名を正さんかと、又た曰く、名正しからざれば師克たず

あるいはまた、

・古より「名は体をあらわす」といい、荘子も「名は実の賓」といっている
・名は体をあらわし、名は実の賓なりとは、古人の金言である・・・
・古人いわく、名は体をあらわし、名は実の賓なりと、実に千古の金言では
 ないか・・・

●仏典は名前の神秘性を保証したか?

果ては仏教の『成唯識論』まで持ち出してきて、

・仏教でも名詮みょうせん自性じしょうというように、名前は本性をあらわし・・・
・唯識論の「・・・名詮自性・・・」というのは、要するに、この「名は体をあら
 わす」という一句を敷衍拡張したもので・・・
・名詮自性・・・名はその性をいいあらわす、名実相応するということである

子どもの名づけがどうでもよいとは言いませんが、こう同じことを繰り返し引用されると、読んでいるこちらは頭が痛くなってきます。こうした記述は単なる権威付けともとれますが、平成の時代になっても、まだときどき見かけるものです。

はたして、孔子や荘子は本当に命名をそれほど重視したのでしょうか。また、仏典の『成唯識論』は名前の神秘性について論じたのでしょうか。その点をこれから検証してみたいと思います。

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