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技法の信憑性(2):読み下し(の意義)

●「読み下し(の意義)」の判断法

これは姓名をちょうど漢文の読み下しのようにして、意味が通るかどうか等を判定する方法です。全体に意味が通じれば吉、そうでなければ凶とされます。各文字の原義を問う場合もあります。

これも早い時期から同業者に批判されてきた技法のひとつです。平成以降になると、さすがに用いる占い師も少なくなりましたが、それでもまだ消滅したわけではありません。愛用者が1割くらい残っていますから、ちょっと驚きです。

●読み下せない名前

まずは『新姓名判断』から織笠繁蔵氏の批判を見てみましょう。

姓名の読み下しが無意味なことは、少しものの道理をわきまえた者には誰にでも分かる。高山の姓を「高い山」と解釈したり、浅川を「浅い川」として、適当に意味をこじつけるというのは子供だましもいいところだ。それなら、姓が那須や結城などのときには、いったい何と解釈するつもりだろう。

 名前を読み下して、そこに何か意味があるように考えたのは、おそらく文字には文字そのものの意義があり、五千年来その意義を背負ってきた神秘の力があるということを聞き違えたか、聞きかじったかして、強いてこじつけたものだろう。

『新姓名判断』(織笠繁蔵著、一星社、大正2年刊)

ふむ、なるほど。では、こちらはどうでしょう。太乙道人氏は『姓名と運命』で次のように面白おかしく批判しています。

●滑稽なこじつけ

字義の考査にいたっては姓名読下しと名づけて、愚にもつかぬたわごとを並べたて、中にはすこぶる滑稽なものがある。

・・・ 昔、天海僧正が徳川家康に向かって「徳は川の溢るるがごとく、高きより低きにつき、ここをもって国家安康なり」とおべっかを使ったというのが、今日の姓名判断家の引き札代わりになっているが、石部金吉は堅い男で、福徳金兵衛は金持ちになる、安藤倉太郎は電灯会社の重役にはなれない、・・・ 高井利衛門は高利貸しで成功するというような調子で、読下し判断をやっている。

『姓名と運命』(太乙道人著、東亜堂、大正3年刊)

安藤倉太郎さんの名は「行灯あんどんが暗い」に通じるから、電灯会社の重役にはなれないとは、確かにこじつけという気がしないでもありません。

●吉兆も解釈次第で凶兆になる

観雲学人氏もこの技法を批判する立場ですが、こちらは落語の「かつぎ屋」を引いてきます。「かつぎ屋の五兵衛」と呼ばれる呉服屋の主人が、あまり縁起をかつぐので、元旦早々、奉公人にからかわれるという話です。

たまたま元旦のお雑煮を食べて釘を噛み当てた主人が、「これはめでたい、今年はカネモチになれるぞ!」と喜ぶと、へそ曲がりの小僧が「なあに、この身代しんだいモチカネるという凶い前兆ですから、用心しなければいけません!」と憎まれ口を利く。こじつけ如何で何とでも解釈できるのでは意味が無い。

『運勢の占い方』(観雲学人、中村文聡共著、大泉書店、昭和27年刊)

さて、この技法はいったい役に立つのやら、立たないのやら・・・。

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