色即是空!カラス天狗に出会った日光ウルトラマラソン!一本歯下駄ランニング!
さぁ 今回のお話はいよいよ!
2017年7月、日光100kmウルトラマラソンに一本歯下駄で挑んだ時に、カラス天狗に出会った話です。
このカラス天狗との出会いが、ippon blade開発アイデアに繋がります。
時系列としては、
2017年4月の奥出雲ウルトラと、
2018年9月の白山白川郷ウルトラの、
間となる2017年7月の出来事となります。
今回は、
日光ウルトラの大会出場後に綴った文章を投稿させて頂きます。
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本番当日、雨のち曇り。
午前4時30分スタート。
参加者は1600人弱。
序盤30kmは日光山をひたすらに高さ1300mまで登って行く難関レース。
18km地点と33km地点の関門時間を超えられるかがこのレースの正念場だ。
一本歯下駄ランナー 小平 天、
すべり出しは、絶好調である!
日々、筋膜の癒着が解け、コリや筋拘縮が改善し、心も身体も自由さを取り戻して行く段階にある今、
身体が無理なく自然に動いてくれる。
イケるぞ!
ガッツポーズを何度もしながら走って行くと、
幅4m程度の狭い未舗装路に突入した。
両側には大きな杉の木が立ち並び、太陽光を遮り、雨に濡れた未舗装路をさらに見えにくくさせている。
このような薄暗い道でスピードを出して走ると、
路面の凸凹が見えづらく、まるで平面の様に見える。
凸凹を視認しながら避けて走るような余裕はなく、
下駄歯の接地の感覚と勘だけを頼りに走って行く。
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しばらくすると、
杉並木の未舗装路は、苔むした石畳の路面に変わった。
雨で濡れている石畳を強く蹴るとツルツルと滑ってしまう。
まっすぐに下駄歯を下ろし、点で地面を捉え、ストライドを狭め、細かく膝を抜いて、地面を蹴らずに小股で走る。
第一関門の制限時間が厳しい。
悪路だからと言ってスピードを落とすことは出来ない。
様々な形状の未舗装路を転倒しないように集中しながら、
同時に、
一本歯下駄に興味を示したランナー達からの質問や声かけにも答えながら走らなければならない。
足元確認だけでなく、位置感覚、方向感覚、バランス感覚、体性感覚、コミュニケーションの全てを、スピードを落とすことなく、同時に行う。
どれかを怠れば、足首を捻って、即、終了だ。
なんと、危険で、ギリギリで、綱渡りのように楽しいのだろう!!
まるで、一本歯下駄ランナーの修行の為に用意されたかのようなコースだ。。。
周りのランナーは、荒れた路面を一本歯下駄で走る私を見るたびに「凄い!」を連発してくれる。
他の大会で私を見たことあるランナーや、一本歯下駄ランナーとして私のことを知っているランナーが声をかけてくれる。
私は、みんなに盛り上げられ、高められて行く。
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集中と俯瞰、興奮と冷静、全ての感覚が入り交じって融合して行く。
「ホーーーー ワッッ!!」
大自然に向けて、ネイティヴ・アメリカンばりに雄叫びをあげながら走ると、
大自然からこだまが返ってくる。
遠くのランナーが私の雄叫びに呼応して、同じように雄叫びをあげてくれる。
人と大自然が、同じ周波数で一つに融合して行く。
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最高だ。
気持ちいい。
ありがたい。
「今」、ここにいることが、ありがたい。
感情が溢れてくる。
中枢神経が活性化し、
アドレナリン、ドーパミン、エンドルフィン、セロトニン、
脳内から様々な脳内分泌物が同時に放出されているのがわかる。
交感神経と副交感神経が相乗的に機能しているのがわかる。
亢進と鎮静、優性と劣性、
普段は入れ替わりに機能している各機能が、、
全身全霊の全感覚が、、
今一瞬へと統合され、全てが共時的に機能して行く。
マインドフルネスが、
いや、
ボディフルネス、ソールフルネス、ハートフルネスも相まって、全てが高まって行く。
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10キロ当たりから、いよいよ日光二社一寺、輪王山、東照宮、二荒山神社へ突入した。
凸凹の苔むした石段が現れるが、
スピードを落とすことなく駆け上がる。
階段を駆け上がると、
下駄の歯が埋まってしまうような細かい砂利道が現れた。
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未舗装路、階段、砂利道。
いままでの一本歯下駄ランで培った技術の全てを、オンパレードで披露しながら駆けて行く。
この日光ウルトラマラソンは、
まさに、ランナーの、修験者の、
いや、一本歯下駄ランナーの聖地だ。
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今大会中、あるランナーと出会った。
夏目漱石の小説「ぼっちゃん」の衣装で、二枚歯(一般の下駄)を履いて各地のマラソン大会を席巻している、
下駄フルマラソンギネス記録ホルダーの
「伊達勇人」さんだ!
今回は、雪駄で挑戦中だった。
伊達さんと走ると、何故だかやたらにテンションが上がった。
私にとって今大会のキーマンだ。
初めて会うのにも関わらず、懐かしい感覚。
生まれる前の遠い昔、共に修行をしていた事があるかのような。。。
今大会中、エイドステーションで声をかけてくれて、写真を撮ったり併走したりと、お互いを高め合いながら走った。
輪王寺をバックに撮影する時、曇り空から一瞬だけ日光が顔を出した。
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段々と登りの傾斜角が厳しいコースを、
ひたすらに登って行く。
ようやく、18km地点の第一関門到着。
次の関門の制限時間まで、時間的な貯金はない。
エイドステーションで補給食を口いっぱいに頬張り、すぐに出発。
いよいよ、「いろは坂」に挑戦だ。
あの曲がりくねった激坂を、30km地点の頂上目指して、無我夢中で登り続ける。
激坂に加えて、真正面から吹き下ろす強い向かい風が行く手を阻む。
「ただの風じゃないな。。」
日光山の天狗に試されてる。。。
そう思うと、俄然やる気になった。
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20km過ぎ、脚が止まってしまった。
ハムストリングの癒着部、コリの部分が攣ってしまったのだ。
重い脚を引きずりながら、坂を歩く。
畜生!何だよ!いい時に!
畜生!
心に宿した様々な「想い」が溢れてきた。
今日までの、執念の人生。
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何をしてもうまく行かなかった人生。
いい所まで積み上げたのに、崩れてしまう人生。
自己嫌悪と自暴自棄に陥り、上手くいかない自分を呪い続けた人生。
それでも自分の未来に執着し続けた人生。
俺は、こんなものではない。
俺の人生が、これで終わるわけがない。
勢いで立ち上がり、崩れ。
勢いで立ち上がり、崩れ。
ガムシャラに積み上げて、崩れ。
ガムシャラに積み上げて、崩れ。
終わることなく続く、無限のループ。
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2012年。
そんな私は、
ナチュラルランニングに出会い、脳も身体も深部から大覚醒した。
心と身体の深部は、宇宙の深部に繋がっていた。
私は、宇宙の中心に繋がり、一つとなった。
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しかしそれは、
もっと根深いところに潜んでいた執念(カルマ)の扉が開いたに過ぎなかった。
執念。
自分に対する執着の念。
俺の人生は、こんな筈ではない。
這い上がってみせる。
自分のカルマと対面し、越えてやる。
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そんな執着の念が、
涙交じりの感情となって噴出し、
いろは坂を登る私の脳内を浸透して行った。
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目の前がグルグルと回っている。
フラフラしているのとは違う。
顔、頭、いや、脳全体がドクドクと脈打っている。
嬉しさ、楽しさ、悔しさ、怒り、
全ての脳内分泌物、体内分泌物、ありとあらゆる感情が放出され、
一つに融合し、中和されて行く。
どれか一つの感覚が強いのでもなく、
どれかの感覚が打ち消されてしまうのでもなく、
一つ一つの感覚は在るのだが、
全てが中和して、
「まるで何も無い感覚」。
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チャンス!
小刻みに走り始める!
来た!
ZONE(火事場の馬鹿力、脳と身体のリミッター解除)に突入したのだ!
私は過去にも、この変性意識を体験している。
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重さも感じる。
音も聞こえる。
時間もわかる。
全てが在る。
全てが在ると、
どれか一つが際立つ事なく中和され、
全てが無くなる。
色即是空、空即是色
在るのに無い、
ただただ、静かなる動的平衡世界。
重いのか、軽いのか、登りなのか、下りなのか
それすらもわからずに、
ただ無心に、小刻みに小刻みに、坂のカタチをしたクウの世界を登り続けて行く。
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いろは坂を一本歯下駄で無心に駆ける、
私のクウの走りを見た初老のランナーが、
「感動です、涙がでます」と手を合わせながら声をかけてくれた。
こんな僕に。。
ありがとうは、こちらの方だよ。。。
泣きそうになる。
解放される感情が、更なるパワーに転換されて、私は更にチカラ強く前に進んで行く。
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無心の頭の中に、あるイメージが浮かんで来た。
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栃木県の宇都宮は、
宇宙のお膝元に位置する宇宙(うつ)の宮
日光東照宮は、北天の星(北極星)を結ぶ、宇宙とのポータル
私の名は、宇宙皇子(うつのみこ)。
北斗七星は、夜空の中心軸である北極星をバランスよく周回する乗り物。
一本歯下駄は、中心軸でバランスをとり、空間を移動する乗り物。
1977年7月7日午前7時、天と名前をつけた祖父の7番目の孫の私は、
かつて、南の地、沖縄県西表島に住んでいた。
ナチュラルランニングに出会い、
裸足でジャングルを駆け巡り、覚醒し、
修験の血に目覚めた。
西表島から東京に帰り、一本歯下駄に出会い、
裸足や一本歯下駄で山々を縦走し、
一人で修行を積み、変性意識を深めて行った。
数々の通過儀礼をこなし、
ついに、不動の星、北極星と繋がる日光東照宮へ導かれた。
地の底から天に向かって這い上がる執念のみで生きて来た私は、南と北を一本に結ぼうとする南北統合のエネルギー(想念エネルギー)を宿している。
2017年の7月、その執念エネルギーを日光山で明け渡すことで、
南と北、地と天に、一本の軸が繋がるのだ。
大会前の6月30日には北海道で震度5弱の地震
翌、7月1日には九州で震度5弱の地震
南北の軸が揺れている。
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ZONEに突入した事で奇跡的な復活を遂げた私は、25.1km地点のエイドステーションに到着し、腰を下ろして小休止していた。
その時、いろは坂の下からもの凄い勢いで吹き上げる突風が吹き、私の前方を通過した。
エイドステーションに用意されていたドリンクのコップや紙皿が散乱する。
すると今度は、私の後方からものすごい突風が吹き降ろして来た。
私は思わず、
「風が巻いている!!」
声を出して叫んでいた。
なんと、吹き上げと吹き降ろしの風は、私を中心に巻き始めた。
私は、上昇気流と下降気流に包まれた。
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私は、旋風が巻き起こす螺旋の中心にいた。
気持ちいいい。。。
ここまでの疲れの全てが抜けて行く。
それだけではない。
私の中に宿っていた執念や想念エネルギーが、
上昇気流と共に、天に抜けて行く。
私は旋風の中でそっと目を閉じ、
そして再び目を開けて、空を見上げた。
私の頭上には日光山の天狗が羽ばたき、風を起こしていた!
カラス天狗だ!
ハッキリと、ハッキリと見える!
ありがとう
ありがとう
ありがとう
私は泣いていた。
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さて、大会はまだ終わった訳ではない。
33.5km地点の第二関門まで、更にきつくなる傾斜を駆け上がらなくてはならない。
ZONEは終わっていたが、一度リミッターが外れれば、しばらくは、チカラが溢れた状態が続くし、
疲れもすでに抜けている。
止まることなく、一気に標高1500mの頂上、
明智平まで駆け上がった。
「よく、こんなところまで、一本歯下駄で。。」
眼前に広がる壮観な景色を見て、一本歯下駄でここまで上がって来ることが出来た自分に感動した。
そして、
中禅寺湖を周り、33.5km地点の第二関門の締め切り、1分前で通過!
ギリギリにもほどかある。
私の人生は、常にギリギリ綱渡り。
前と後、右と左、未来と過去、理想と不安、
二元の間で振り回されながらも、
その中心である「今一瞬」を生きている。
私は、生まれた時から、
一本歯下駄を履いている。
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さぁ、ここからは、40km地点まで一気に駆け下って行く。
私は、最後尾のランナーだ。
ロングストライドで気持ちよく駆け下って行くが、
次第に左足首が痛み始めた。
6月に行われた柴又100kmウルトラマラソン、足に合わない下駄、緩んだ鼻緒で無理をして走ったために痛めた場所と同じ箇所だ。
治ってなかったか。。。
足首に掛かる負荷を微細に調整しながら走るも、時折激しい痛みが襲ってくる。
柴又で痛める以前から、両脚の前脛骨筋下部は、酷い癒着が進行していた。
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そもそも、私が履いている一本歯下駄、市販に販売されている一本歯下駄の全ては、走ることを想定して製作されていない。
ワラジや、現代版にアレンジされたワラーチなどは、
自分の足に合ったサイズに作られ、
鼻緒の穴の位置から両くるぶし横の穴の位置、
鼻緒の長さから踵を止める紐までが自分サイズで調節可能で、
いかに裸足の感覚に近いストレスフリーで走れるかが重要視されている。
下駄製作のプロ職人が一本歯下駄を作っていようとも、下駄職人は、身体操作のプロではない。
長時間走ること、長時間運動する事を考えて作られていない市販の一本歯下駄は、
大人用、女性用と、サイズ感覚が実にザックリだ。
自分の足に合わせて鼻緒の調節をするにも、職人の専門技術を要するので、容易な事ではない。
一本歯下駄で100kmを怪我なく走るとなると微細な身体感覚と身体技術が必要であり、
余計なストレスや負担が蓄積されると、結果として身体を痛めることになる。
一本歯下駄は、人間本来の身体性を引き出してくれる履物に違いはないが、
身体構造にピッタリと合っていない一本歯下駄を履くと、途端に「足かせ」となってしまう。
一本歯下駄で長時間の運動をするにあたり、
少しでも自分の身体に合わない下駄を長時間にわたり使用すれば、
自分でも気づかないレベルで身体は壊されて行く。
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4月、奥出雲100km、一本歯下駄 完走
6月、柴又100km、一本歯下駄 リタイア
そして、
7月、今回の日光100km。
私は、走るたびに、オーダーメイドの一本歯下駄の必要性を感じていた。
毎回、コンディション抜群で大会に臨む私の最大のストレスは、
市販の一本歯下駄のコンディションをいかに私に合わせて調整するかであり、
合わない一本歯下駄での100km三連戦で、私の足や身体へのストレスとダメージは、相当に蓄積されていたのだった。
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そもそも、私にとってのランニング意義は、
心と身体の自由と解放。
自由へと繋がる道を走っていること。
身体を痛めて、自分を犠牲にしてまで、
努力や根性で達成することに意義はない。
もう、
「俺はこんなものではないはずだ」という自分への執着心、
「すごいことをして認められたい、大人をアッと言わせたい」という自己承認欲求、
癒えない子供心による
「執念」や「情熱」や「反骨心」をエネルギーにして走ることは、終わりにしたい。
私にとっての一本歯下駄ランニングは、私の潜在意識に眠る「執念」や「執着心」、カルマを解放させるものだ。
4月に奥出雲100km完走を達成した時点で、私の中の自己否定感、
自我による「執念」は癒えていた。
もっと根深い、前世からの「執念」は、
先程、日光山のカラス天狗が吸い上げて行ってくれた。
執念で走る(生きる)のは、卒業しよう。
あとは、タイミングだ。
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43.6km。
激坂のいろは坂を下りきり、エイドステーションに到着するやいなや、
ボランティアのおばちゃんたちに
これ食えあれ食えと囲まれた。
厳しさばかりを自分に課して来たぶん、
他人にも厳しかった私。
甘い物を口いっぱいに頬張り、
おばちゃんたちの施しに甘えながら、
甘さも、いいもんだな。。。。涙。。。。
リタイアを、宣言した。
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かくして、
2017年の三大挑戦、一本歯下駄100km三連戦は、幕を閉じた。
応援してくれた方々は残念かもしれませんか、私は残念ではありません。
日光山を駆け上がり、駆け下れたし、
色々と手放す事が出来ました。
大満足です。
今年はもう、一本歯下駄でレースに出場する予定はありません。
一本歯下駄と私の魂の間で繋がっていた古いご縁は、世代を超えて、修験道の聖地、日光山で成就致しました。
「一本歯下駄で100km」という拘りは、もうありません。
リベンジするつもりはありません。
いや、「リベンジ」という気持ちで物事に取り組むことは、なるべくしないように努めます。
古いご縁が終われば、新しいご縁が始まります。
今後も一本歯下駄を愛し続けますが、
一本歯下駄だけに固執することなく、新しい身体世界に飛び出したいと思っています。
先ほどのオーダーメイド一本歯下駄の案は以前からあるのですが、進行していません。
軽い、歯が低い、鼻緒が可愛いだけじゃなく、
スポーツ科学や神秘性を統合させた現代版の一本歯下駄を作りたいのです。
実は、、、カラス天狗が起こした旋風の中で、すごいアイデアを思いついたのです!
いや、授かったのです!
量産型の流行アイテムではなく、本物のオーダーメイドの下駄を作りたいという情熱的な職人さん、メーカーさん、
私の経験値やアイデアを惜しみなくお出し致しますので、共同開発しましょう!
来年のウルトラマラソン、その新しい一本歯下駄で僕が完走して、性能を証明しますよ!
あれ!
辞めるつもりなのに、燃えて来ちゃったww
けどもう、執念ではありませんww
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私がなぜにこんなに一本歯下駄で走ることに拘るのか?
気になりますか?
それは、、、、、
ご自分で体感してください!
表面的な「楽しい」という感覚のみならず、
内面から湧き上がる「生きている喜び」を引き出し全身全霊で味わう履物。
体験を味わうもの、それが一本歯下駄だからです。
日光ウルトラマラソン編
完
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ここまでが、当時に投稿した文章です!
さぁ、次回のNOTEブログは、裸足ランナーモクエンとの運命の出会い、そして開発開始から完成までの開発経緯と、カラス天狗から授かったフィボナッチ黄金比のippon bladeの秘密に迫ります!
お楽しみに!
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