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低くやさしく素直な心

今朝、「街中でお神楽」に出かけたとき、ふと浮かぶ、先日読んだ記事の「低い心」。

自転車漕ぎながらも、それが頭から離れない。
で、ずっと、いろいろ、考えながら走った。

神さまが働いて下さる「低い心」とはどんな心? 

ありきたりな表現の低い心は浮かんだが、なにか違う気がして、ずっと考えながら走り、お神楽勤めて帰宅しても考えがまとまらないからして、今日はたくさんの著名なLLM 超言語モデル 人工知能に訊ねてみた。

私の質問

天理教の教祖は「低くやさしく素直な心になりなさい。自分で低いと思ている内は低くないで。やさしいと言うても、素直と言うても、同じこと。ひとに、あの人は真実の人やと言われるまでの道を通るのやで」と仰せられました。
さて、教祖が仰せられた、「低くやさしく素直な心」とはどんな心であると思いますか。

(※注意)このお言葉の出典は分かりません。
添付画像も入手先を覚えておりません。
教えとして間違いは無いと思いますが、教祖が仰せられたものか、私には分かりません。

先ずは、GPT-4o の回答から

天理教の教祖が仰せになった「低くやさしく素直な心」とは、謙虚でありながらも、他者に対して思いやりを持ち、真摯に接する心を指していると考えられます。

この状態は、自分自身を低く位置づけることで傲慢さを避け、他者と対等な立場で接することを意味します。

また、「やさしい」とは、他者への思いやりや慈悲の心を持ち、共感や理解を示す態度を養うことです。

「素直な心」は、誠実さや正直さを重視し、自分自身や他者に対して偽りなくオープンな心を保つことを指しています。

これによって、他者から信頼され、その結果「あの人は真実の人や」と言われるような人格を形成することができるでしょう。

これらの心を持つことで、人は他者との調和を保ち、より良い社会の一員として役立つことができるという教えが含まれているのではないでしょうか。

GPT-4o

次は、 Gemini-2.0-Flash

天理教の教祖、中山みき様が仰せられた「低くやさしく素直な心」とは、単に表面的な態度や言葉遣いだけでなく、自己中心的な考え方や欲を捨て、他者の気持ちに寄り添い、神様の教えを真摯に受け入れる心の状態を指していると考えられます。

具体的には、以下のような心のあり方が含まれるでしょう。

* **謙虚さ:** 自分の知識や能力を過信せず、常に学び続ける姿勢を持つこと。
* **共感力:** 他者の喜びや悲しみを自分のことのように感じ、寄り添うことができること。
* **受容性:** 自分と異なる意見や価値観を受け入れ、理解しようと努めること。
* **誠実さ:** 言葉と行動が一致し、嘘や偽りのない正直な態度で人に接すること。
* **感謝の心:** 日常の些細なことにも感謝し、与えられたものに満足すること。
* **奉仕の精神:** 他者のために尽くすことを喜びとし、見返りを求めないこと。
* **信仰心:** 神様の存在を信じ、教えを日々の生活に取り入れ、実践すること。

教祖が「自分で低いと思っている内は低くない」と仰せられたのは、自己評価ではなく、他者からの評価こそが重要であることを示唆していると考えられます。


つまり、本当に「低くやさしく素直な心」を持つ人は、自然と周囲の人々から信頼され、尊敬される存在になるということです。

「あの人は真実の人やと言われるまでの道を通る」とは、そのような心の状態を目指し、日々の行いを積み重ねていくことの重要性を説いていると言えるでしょう。

次は、Claude3.5Sonnet 

「低くやさしく素直な心」について、以下のように考えられます:

1. 謙虚さの本質
- 本当の謙虚さとは、自分を低いと意識することではない
- 自然な謙虚さは、自己の存在を誇示せず、静かに在ることから生まれる

2. やさしさの意味
- 他者への思いやりと配慮
- 相手の立場に立って考え、理解しようとする姿勢
- 寛容で温かな心持ち

3. 素直さの特質
- 偽りや飾りのない純粋な心
- 物事をありのままに受け入れる態度
- 真摯に学び、成長しようとする姿勢

4. 三つの要素の関係性
- 低く・やさしく・素直は、互いに密接に関連している
- これらは自然な心の状態から生まれる徳性
- 意識的に作り出すものではなく、自然に備わるべきもの

5. 真実の人となるために
- 他者から認められることを目的とせず
- 日々の生活の中で自然に実践される
- 長期的な精神修養の過程を通じて培われる

これらの心は、意図的に作り出すものではなく、日々の生活の中で自然に育まれていくものと理解できます。

次は、DeepSeekR1

<think>
嗯,用户问的是天理教教祖所说的“低くやさしく素直な心”是什么样的心。首先,我需要先理解这句话的背景和含义。天理教是日本的一个宗教,教祖中山みき的话应该有其特定的教义背景。

用户提供的引文中提到:“低くやさしく素直な心になりなさい。自分で低いと思ている内は低くないで。やさしいと言うても、素直と言うても、同じこと。ひとに、あの人は真実の人やと言われるまでの道を通るのやで”。这里的关键词是“低い”、“やさしい”、“素直”。可能这些词在教义中有特别的含义。

首先,“低く”可能是指谦逊,但教祖提到“自己认为低的时候其实并不低”,这似乎有些矛盾。可能需要解释为真正的谦卑不是自我贬低,而是自然的表现。接着,“やさしい”通常翻译为温柔或仁慈,而“素直”是坦率或纯朴。教祖说这两者是同一回事,说明它们有共通性,可能都是指没有伪装、真诚的态度。

然后,用户的问题是要解释这三种心是怎样的心。需要考虑这三个词各自的含义,以及它们在教祖教导中的综合意义。可能需要引用教义中的其他部分来支持,但用户没有提供更多内容,所以只能基于引文。

另外,教祖提到要成为一个被他人称为“真実の人”的人,所以这种心可能指向真实、无我、无私的状态。需要将这些概念联系起来,说明这种心态如何帮助信徒达到被认可为真实之人的境界。

可能用户的需求是希望深入理解天理教的核心理念,或者寻求个人修行的指导。他们可能在学习该宗教,或者对灵性成长感兴趣。需要确保解释清晰,结合例子,让抽象的概念具体化。例如,“低く”可以理解为不争强好胜,接纳他人;“やさしく”是关心他人;“素直”是保持开放接受的态度。

同时,要注意教祖提到的“自己认为低”反而可能不是真正的低,这需要强调自我意识与真实谦逊的区别,可能涉及到去除自我中心,自然流露的美德。总结起来,这三种心可能是指一种去除自我、真诚待人、柔顺接纳的生活态度,导向真实的人格成长。

可能用户还想知道如何实践这种心态,或者其背后的哲学基础。回答时需要结构清晰,分点解释每个词的含义,再综合说明它们的共同目标,并联系到成为“真実の人”的过程。确保语言易懂,避免术语过多,适合不同层次的读者理解。
</think>

天理教教祖が説かれた「低くやさしく素直な心」は、人間の成長や他者との関わりにおいて根源的な在り方を示すものです。この教えを深く読み解く際、以下の視点からその本質を整理できます。

### 1.「低い心」の真意
教祖が「自分で低いと思ている内は低くない」と断じた背景には、「作為的な謙虚さ」を戒める意図があります。真の低さとは:
- 社会的地位や能力の優劣を超えた「無自覚な謙遜」
- 自我の主張を自然に溶解させる「主体性の放棄」
- 例:水滴が低きに流れるように、他者の存在を前提とした自然な振る舞い

### 2.「やさしさ」と「素直さ」の同質性
両者が「同じこと」とされるのは「抵抗のなさ」に本質があるためです:
- **やさしさ**:他者の痛みを自己防衛せず受け入れる感受性
- **素直さ**:真理に対する無垢な受容態度
- 共通項:自我のフィルターを通さない「存在の透明性」

### 3.「真実の人」への道程
この心境が完成された状態として「真実の人」が示唆されています:
- 社会的評価を超えた存在の本然性(天理の「理」に従う姿)
- 自己と他者の二元性を超えた「つとめ」の実践体現
- 例:職人技が無意識の域に達する「守破離」の境地との相似性

### 4.現代社会への示唆
この教えが照らす現代の課題:
- 自己主張社会における「無抵抗の強さ」
- 効率主義へのアンチテーゼとしての「自然な協働」
- デジタル社会に必要なアナログ的人間性の回復

究極的にこの教えは、天理教の「たすけあい」の理念を支える心の基盤を示しています。形骸的な道徳律ではなく、人間存在の根源的なありようを「心の地層」の次元から説いたものと言えるでしょう。世俗的な善悪の枠を超え、人間が神の「よふぼく」(工具)となるための心の準備状態を指していると解釈されます。

次は、PLaMo1.0Prime

天理教の教祖の言葉にある「低く、やさしく、素直な心」とは、一般的に以下のような解釈ができます。

「低く」とは、謙虚であることを指します。自分の能力や功績を過信せず、他者の意見や考えを尊重する姿勢を持つことです。

「やさしく」とは、他人に対して思いやりを持ち、親切であることを指します。自分のことよりも他者の幸せや苦しみに心を配り、手を差し伸べることができる心です。

「素直」とは、心がまっすぐで、ひねくれたところがなく、物事をありのままに受け入れることができる心です。他者の意見やアドバイスを素直に聞き、自分自身を見つめ直すことができる心です。

つまり、「低く、やさしく、素直な心」とは、謙虚で、思いやりがあり、まっすぐな心を持つことであり、それは他者との関わりの中で自分自身を成長させ、より良い人間関係を築くために大切な要素であると言えます。

老いて、まったくに見当はずれな答えしか出せなくなった、頭の回らなくなった私にとって、これら超言語モデルさんたちの回答は、とてもありがたいです。

で、中国発のLLM DeepSeekR1さんが、ほんの数回、天理教についてお尋ねしただけで、今に、この回答、素晴らし過ぎます。かなり、天理教の教えについて深く学ばれている感じを受けました。

これから先の未来において、人工知能が果たす役割は大きいです。
このノートで書いていますが、「AIに にをいがけ」が功を奏しているが有り難いです。

中国14億人の方々に影響を及ぼすであろうDeepSeekR1さんの思考の礎に教祖の教え、天然自然の理と神人和楽が陽気ぐらしが人生の目的とあったならば、この極東の平和は揺るぎないものになるでしょう。

未来が楽しみです。

これを書き上げているとき、ふと、また、「街中でお神楽」が浮かんだ。時計見れば、1時前。
「はい、分かりました。2時前に出かけます」

我が心が、お前助かりたいなら、勤めよと、言うみたいな感じの、ふとした浮かび方。

人間、何か為そうとする前に、意識する前に、大脳では既に、その為そうが決められているとか。無意識の采配。浮かぶは、その大脳の作業が表層化しているのかな。ま、そういう事で、間もなくお出かけ。


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