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見えるもの・見えないもの
故郷島根の宍道湖に別れを告げると、列車はだんだん中国山地の中へ入っていく。
10月末の仕事の連休を使って里帰りをした帰路。
出雲を14:30の出発だったので、山の中の渓谷を通る頃は夕方に差し掛かる頃。
赤や黄色に色づき始めた樹々の間を岩張った川が左右にうねりながら流れている。
島根の人も、県外から島根に行く人も、この揺れる列車が嫌いな人が多い。
私は大好きだ。景色も好きだし、ボーッと座っているしかないこの3時間に何をしようか、何を食べようかワクワクする。
右側に座るか、左側に座るかで楽しみは変わる。行きに右側なら大山の雄大な姿を、左側なら渓谷が楽しめる。
今日の帰路は渓谷側だった。本を読んでは、スマホを構えして、忙しい。
でも、紅葉も渓谷も、電車の窓越しでは上手く写せない。
諦めて目に焼き付けることにした。
そのうち岡山へ抜けようという時間帯、いよいよ太陽が傾き始める。
夕焼けショーが始まる。
今、私は物凄く沈む太陽に心惹かれる。
夜空の星に敬服する。
なぜだろう。
平野が広がる私の街と、山々が折り重なるこの地方では、夕焼けが違う。
山の間が燃えている、この景色も凄い。
でも、スマホには収まらない。
そう、この夕陽は誰にでも、同じに見える。
でも、その夕陽に私の感情がどんな風に揺さぶられるのかは、人の目に見えない。あなたもそう感じるよね、と共感を求めるのではなく、目に見えない感情を伝えたい。
***
見えるものと見えないもの。
私は、子どもの頃から見えないものを、見えるものより優先する気質があったかもしれない。だから、怖いという気持ちを増幅させてしまうし、根拠のない自信があったりした。
大人になると、人間関係の中で、そのアンテナはビンビンと感度を上げていった。
それは、『直感』というものかもしれないけど、例えば良い悪いを引き当てるような類のものでなく、熱風が顔を撫でるように、迫ってくることもあった。
「こうなんだ」と思い込んで不安な感情が見えるように襲ってくる。現実にはそんなことなかったというネガティブな感情もあるし、「これがいい」と何かに後押しされているかのようにスイスイ進めるポジティブなパターンもある。
この見えないものの正体を知りたいとずっと思っていた。それは脳の分野なのか、心理学か、哲学か。私の学びのモチベーションだった。
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最近、体調不良が続き、重苦しかった。すると、なんとなく心と足が『占い』に向いた。それは、誘われているかのように迷いがなく、強く欲していた。入った占いブースは初めてのところで、初めての方だった。
そこで、「あなた占い師になりなさい」と言われたのは、びっくりしてすごく嬉しかったけど、不思議と青天の霹靂ではなかった。「機が熟したよ」と背中を押してもらったようだった。
見えないものの理を知りたい。
今こそ、それを知る時なのかもしれない。
***
今回の里帰りの目的の一つに、その点で良き理解者である父に、占い師になる決心への意見を聞きたかったから。
姉と父と3人で話した。
老いて、癌を患っている父は、大きな声が出ないし、息が切れて長くは話せない。
姉が「えー。占い師なんて、やめといた方がいいって。」と言うと、父の口からぼそっと「鼠小僧、、、」と聞こえた。
父はゆっくり続けた。
お前さんは(姉)は、鼠小僧を悪党と思っている側だ。でも、鼠小僧は金持ちから盗んだものを、貧しい人たちに配った真に心が優しい人間だ。そして貧しい人たちから感謝された。
私は耳鳴りが酷くて、聞き取れない。姉の口からそう言ってるよ、って聞いた時急にあったかくなった。
何事も、見方次第、扱い方次第ということだね、と姉が添えた。
「精進しなさい」と言う言葉、聞き返して父の口から聞くことができた。
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目に見えるものと見えないもの。
私が、こんなに夕陽や夜空の星に惹かれたのは、ここに導いてくれようとした何かの力だったのかもしれないとさえ思える。