10/2(日)アントニオ猪木さん。
おはようございます。
こんにちは、こんばんは、天道です。
いつも、ありがとうございます。
今日は昨日亡くなられたアントニオ猪木さんについて
書かせていただきたいと思います。
☆ ☆ ☆
今日の一枚。
アントニオ猪木さんにちなんで、レッスルジャズさんの
「プロレスジャズ〜リングの伝説〜」です。
1曲めの「炎のファイター」はイントロは物悲しい感じで始まりますが、
すぐいい感じでスイングします。
プロレスもジャズもスイングが大事ですね。
☆
アントニオ猪木さんの想い出。
天道にとっての猪木さんの想い出といえば、この試合ですね。
アントニオ猪木VSストロング小林!
禁断の日本人対決と言われた試合…だったそうです。
天道はこの当時まだ幼稚園でした。
父親と一緒にTVで観戦していました。
最後に猪木さんのジャーマンスープレックスで3カウント!
この試合で猪木さん知って、プロレスというものに興味を持ちました。
小学校高学年になると1年に1回、新日本プロレスの広島大会を父親と
見に行っていました。
あの当時はアンドレ・ザ・ジャイアントさんも元気で、タイガー・ジェット・シンさんも子供を追いかけていました。試合のことはこれっぽっちも
覚えていませんが、あの雰囲気はよく覚えています。
1年に一度の”祭り”でした。
中学生のころに、初代タイガーマスクブームがきました。
4次元殺法!ローリングソバット!タイガースープレックス!!
ほんと凄かったです。
そんなタイガーマスクブームでしたが、TVのメインイベントは必ず
猪木さんでした。
あの「アントニオ〜いの〜き〜!」のコールでガウンの紐を持ってポーズ
を取る瞬間が最高にカッコよかったと今でも思い出します。
タイガーマスクブームが去った後は、長州さんの維新軍が出てきましたが、
それくらいから部活が忙しくなってプロレスも見なくなりました。
プロレスをまた見るようになってから。
プロレスをまたちゃんと見るようになったのは、高校を卒業して進学就職のために東京に出てきてからです。
プロレスをまた見るようになりましたが、新日本ではなく全日本プロレス、
応援していたのは2代目タイガーマスクのマスクを脱いだ「三沢光晴」さんでした。
猪木さん、新日本とは違うスタイル、その当時でいう「受け」のプロレス
に魅了されていました。
そして、
時は流れ、猪木さんの引退試合はテレビで見ました。
東京ドームに行きたかったのですが、チケットを買えませんでした。
あのときは痛々しい試合だと思いましたが、あの試合もアントニオ猪木の
”作品”の一つなんだと、後からわかりました。
プロレスというものは良いところだけではなく悪いところ、全てをさらけ出すもの。猪木さんの人生は全てプロレスだったと思います。
これからもプロレスを見続けます。
馬場さん猪木さんが残してくれたプロレスを、これからも見続けます。
そして、応援し続けます。
猪木さん、ありがとうございました。
天国で馬場さんと一緒に美味しいお酒を飲んでください。
☆
今日のまとめ。
今日もここまで読んで頂きありがとうございました。
なんか書いていて上手く纏まりません。
ほんとまだ信じられないのです。
You Tubeの動画も見ました。
なのに、猪木さんなら…みたいな思いがありました。
猪木さんは100歳になっても「元気ですかー!」って言ってくれるだろうと
いう勝手なイメージを持っていました。
でも、明日や明後日には元気になっています。
なぜなら、天道はプロレスが好きだからです。
クヨクヨしたらいけないのです。
前を向いて「道」を作っていくのです。
迷わず行きます。行けばわかります。
ありがとう〜!!
また明日もnoteでお会いしましょう〜1,2,3,だーー(・∀・)/