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カーチェイスシーンをめぐって
春宵のポルノのごとく極まりぬ耽美的カーチェイスシーンは
以前(※)、デヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』を題材に取り上げた。僕個人としては、リンチのあの気味の悪さがどうも好みには合わない、と。一方、同じデヴィッドでも、デヴィッド・クローネンバーグはというと、かなり贔屓の映画監督である。
リンチに勝るとも劣らぬ偏執狂的なクローネンバーグ作品において、『クラッシュ』(1996年)は紛れもなく頭にドのつくほどの変態的映画だ。自動車事故に性的恍惚を感じるようになったある夫婦の倒錯的な愛の物語—『クラッシュ』はそんな(?)作品である。自らが起こした自動車事故をきっかけに〈クラッシュ・マニア〉の会へと傾倒していく主人公。ジェームズ・ディーンら有名人の交通事故死が再現されるなかで、登場人物たちは自動車事故や事故車、事故による傷跡に性的興奮を覚えるようになっていく・・・
と、明らかに見る人を選びながらも、名高いカルト映画として知られる『クラッシュ』—。冒頭の歌は、そんな映画作品のイメージも薄く脳裏に浮かべつつ、〈車とセックス〉というテーマを、短歌というかたちへ再構成を試みた一首だった。
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以前、この歌をとある歌会に出したことがある。歌のテーマとは裏腹に、拙歌は案外好評を得ていたようで驚いた。参加者それぞれの評が的確で、「ポルノ」と「カーチェイス」という一見異質な二物について、いずれも相対する者との熱の入った交わりという共通項が、取り合わせとして成立している、という指摘があった。
先の歌はわりと作り込んだタイプの(明確な歌意をイメージして詠んだ)歌だったが、こうして他者の評によって、作者自分よりもはるかに上手く言語化されることには、何にも代えがたい歓びがある。やはり歌会の場には、自身でも良し悪しの評価が揺れているような作品を出すのが、最も多くを得られるのだと改めて感じる次第だった。
ちなみに評の中では、「ポルノ」という語の淫靡な古めかしさにも触れられつつ、各々がイメージする〈カーチェイス映画〉が挙げられたことも興味深かった。近年の作品では『ワイルド・スピード』を筆頭に、また70年代的イメージから『マッドマックス』や『フレンチ・コネクション』などもその名が挙がった。
僕個人は、「カーチェイス映画」と言えば何を思い描くだろうか。近年だと(飛ぶ鳥を落とす勢いのライアン・ゴズリングは正直、あまり好みではないのだけれど)『ドライヴ』(2011年)とか? あるいは、タランティーノの『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007年)の印象も強烈だった。
先の歌の「耽美的」という部分について言えば、むしろ最先端の作品をイメージしていたように思う。『マトリックス』(1999年)以降の00年代のVFX、さらに10年代以降のワン・カット的長回しやIMAXカメラによる画角と高解像度を駆使した驚くべきカーアクションの数々。こうしたシーンには、確かに息を呑むような美しさがある。けれども、あまりに細部まで徹底された構図や構成、展開には、かえってリアリティが欠落していることも少なくはない。
とは言いつつも、そんな目を見張るような局所的アクションシーンには、(作品全体の出来にはよらず)どこか中毒的に惹かれるものがある。そこには、俗物的な「ポルノ」と遠く響き合うような「極まり」があるのかもしれない。
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最後に、これを書いていて頭に浮かんだ「カーチェイスシーン」をもう一つだけ。意外にも、局所的なカーチェイスの場面として印象に残っているのは、『RONIN』(1998年)かもしれない。ロバート・デ・ニーロとジャン・レノが共演する本作は、内容としてはいわゆるB級映画の類と言っていいと思うのだが、殊にカーチェイスシーンに限っては迫真に迫るものがある。四半世紀も前の作品だが、パリ市街を疾駆する車内の人物の表情がなんともリアルだ。反対車線に進入し正面からの対向車を避けながら逆走行するという、今ではお馴染みの場面も当時はすごく新鮮に感じられた。
幾度もテレビのロードショーで放映され、またVHSをレンタルして観返した記憶もある。そんなどこか懐かしい一本だ。
※ 夢の重力—『マルホランド・ドライブ』的回顧録|五十子尚夏 (note.com)