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野球、このうつくしき世界に(Ⅰ)

ファールにて帰塁するときうつくしい走者の幾何学的な何かが


 子どもの頃は野球少年だった。といっても、部活やリトルリーグに所属していたわけではなくて、いわゆる草野球だったけれど。メンバーには事欠かなかった。当時は子どもの数も今よりずっと多くて、自然といつもそれなりの人数が顔を揃えていた。
 面子メンツはなかなかに個性派ぞろい。贔屓球団のキャップを必ずかぶっていた者、打席ではプロ選手のモノマネをせずには気がすまない者、常に隠し玉を画策していた者、月間や年間の打率や打点、本塁打数をとにかく記録・算出していた者、などなど。ちなみに僕は両打ちスイッチヒッターだった。同級生のみならず、学年入り乱れての大所帯となることもしばしば。なかにはまだ年端もいかぬ子もいて、10歳近く年齢差があることも珍しくはなかったけれど、みなが野球仲間だった。

 グラウンド代わりにしていたのは、当時住んでいたマンション敷地内の広場だった。広場の地面には正方形の石材タイルが敷かれていて、部分的に着色されたタイルが格子模様を描いていた。格子の角、すなわち直線同士の交点にあたるタイルはさらに別色だったので、それをベースに見立てると野球場にふさわしいダイヤモンドを得ることができた。空き地や公園で三角ベースをしたこともあったけれど、広場の敷材のおかげで、グラウンドだけは常に理想的な環境だった。

 球場が立派でも、中身は絵に描いたような草野球だった。ゴムボールにバットはプラスチック製。人数の関係上、捕手キャッチャーは攻撃チームの者が行う。ゆえに盗塁は禁止。野手は走者に送球を当てることでも走者をアウトにできる。
 マンションならではの特別ルールもあった。打球が広場に面したベランダや外廊下に入ってしまうと、ホームランであれファールゾーンであれ、打者は即アウトになる。そして、そこからは一斉にボールの捜索が始まることになる。ベランダ・インの場合は特に厄介だった。なかには、物音に気づいてボールを投げ返してくれる心優しい人もいた。そうでない場合は・・・戦犯となった打者が恐怖の表情を浮かべながら、ボールを返してもらいに住人を訪ねるのだった。

 今ではほとんど見られなくなったそんな草野球に、小学生時代は(天候の許すかぎり)ほとんど毎日、文字通りボールが見えなくなるまで明け暮れていた。

 グローブに触れることがなくなって、もうどれくらいが経つのだろう。今でも野球好きに変わりはないが、大抵はスポーツニュースで試合結果を確認する程度となっている。けれども、野球少年だったことは、その後の僕に少なからぬ影響をもたらしている。短歌をはじめてから、特にそう感じることが多くなったような気がする。

 野球には、他のスポーツには見られない、独特の美しさがあると思う。そして、そのうつくしさとは、幾何学的な世界に属するものだと思っている。本塁へ矢のような送球、一切の無駄のない動きによる内野手の併殺プレイ、ホームランが描く放物線。確かにそうした分かりやすい美しさもある。あるいは、球場そのものの扇形やダイヤモンドを見れば、構造上、野球がどれほど幾何学的要素に満ちているかは明らかだ。 

 もっと漠然とした感覚もある。野球を題材に、これまで多くの短歌を詠んできたが、その際に根底にあったのは野球という競技の美しさだった。試合の行方を左右するような場面や派手なプレーに限らない。むしろ、詩的なうつくしさは、冒頭歌のような何でもないふとした瞬間に現れる。

ライン際のきわどい打球はファールの判定、ボールデッドでプレイは途切れている。その刹那、スタートを切っていた走者はそれぞれ一定の足並みで元いた塁へと戻ってゆく・・・

 
 「何か」なんて言ってしまうのは、表現としては元も子もないのかもしれない。けれども、そうとしか言い表せない美しさが、確かにその瞬間にある。野球の美しさとは、幾何学の領域に属するものだと感じている。と同時に、その感覚は、遠い昔、野球少年だった頃の記憶に深く根差しているのだと、そう思うのだった。

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