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フレンチ・マスタードの思い出

鶏卵ひとつ焼き上がりたるはつなつのクロックムッシュはクロックマダムへ

 
 「目玉焼きには何をかけるか?」というこの悩ましげな哲学的命題に、あなたは何と答えるだろうか。かく言う僕は、特段こだわりはなく、まあ無難に〈塩胡椒〉のみか〈醤油〉というところだろうか。たとえ、あなたが目の前で〈ケチャップ〉や〈マヨネーズ〉をかけたとしても一向にかまわないし、何なら僕もその選択チョイスを試してみるかもしれない。

 けれども、僕にとって目玉焼き史上最も美味だった調味料は、そのいずれでもなく、かつてパリのビストロで食した〈マスタード〉だった。


 後から知ったことだが、フランス料理にとってマスタードは欠かせない調味料の一つらしい。ブルゴーニュ地方を発祥とするディジョンマスタードをはじめ多種多様なバリエーションがあり、いわゆる高級フランス料理から素朴な家庭料理に至るまで、あらゆる場面で料理を彩るのだという。
 
 日本で言うところの〈マスタード〉は、ホットドッグに添えられているような辛さのみが際立った粒マスタードだが、本場フランスではこの限りではない。旅先のビストロで、当然のように卓上に置かれていたマスタード。何気なく手に取ったそのマスタードは、粒マスタードに比べ水分が多く、ドレッシングに近いようなクリーミーなものだった。その味は、辛さはむしろ控えめで、ほどよい酸味とほのかな甘みを感じさせたことを覚えている。
 
 朝食petit déjeunerの目玉焼きに偶然取り合わせたマスタード。そのマイルドな味わいに友人と思わず舌鼓を鳴らし、以降その旅中では、ことあるごとにマスタードを合わせては、まさに《何にでも合う》ことに驚いたのであった。


 ちなみに冒頭歌中の「クロックムッシュ」は、パンにハムとチーズを挟んで表面をカリッと焼いた、オペラ座近くのカフェが発祥のホットサンドウィッチ。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』にも描かれ、今やカフェの定番メニューとしてお馴染みである。このクロックムッシュの表に半熟の目玉焼きを乗せると「クロックマダム」となる。

 「紳士monsieur」や「淑女madame」という語を含んだその不思議な名の由来は諸説あるそうだが、ことばの響きに惹かれて、旅先ではビストロに入る度にこれを注文していたものだった。

 《Monsieur, Je voudrais un Croque-Madame, s'il vous plaît.》

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